2013/05/16

とことん”ドライ”で、とてつもなく”ブラック”なブリティッシュコメディの新・真骨頂・・・共感にも感動にも意味がないシュールさにハマってしまうの!~「Sightseers/サイトシアーズ(原題)」~



何かを訴えようとする志の高い(?)映画だけでなく・・・スラップスティックコメディであっても、エログロのトラウマ映画でも、何らかの感動、または不快感を生み出して、どこかしら観客の心を動かすところがないと、観るに絶えない”つまらない映画”と評価を下されてしまいがちです。「この映画って何が言いたいの?」というのは、多くの場合、褒め言葉ではありません。

何だかよく分からないのに、何故か、何度でも見たくなってしまう・・・ボクの”お気に入り”の一作となったのが、殆ど予備知識もない状態で観た「Sightseers/サイトシアーズ(原題)=ツーリスト/観光客と同義語」。”あの”エドガー・ライト(「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホットファズ~俺たちスーパーポリスメン」「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」)がプロデューサーに名を連ね、クールなバイオレンス映画の「キル・リスト」を監督したベン・ウィートリーによる最新作のブリティッシュコメディ映画であります。

カップルがイギリスの田舎をキャンピングカーで旅をするというロードムービーなのですが・・・まず、主人公のカップルの二人がイケてなさ過ぎ。ティナ(アリス・ロウ)は、ビターな性格の母親と小さな町で暮らしをしている34歳の女・・・付き合い始めて3ヶ月になる恋人のクリス(スティーブ・オラム)は、ティナに「俺の世界を見せやりたい!」とか、「君はボクのミューズ!」とか、ほざいている”さえない中年男で自称(?)ライター。約1年ほど前に、唯一の友達として可愛がっていた愛犬を失った(ティナがソファに置きっぱなしにしていた編み物棒に誤って突き刺さって死んじゃった!)母親は、いまだに落ち込んでいるのですが・・・ティナは一週間の予定でヨークシャー地方へ、クリスの執筆の取材を兼ねた旅行に出かけようとしています。

奇妙な依存関係にある母と娘でありますから、勿論のこと母親はクリスを”信用出来ない男”だと毛嫌いしていて、旅行にも大反対・・・なんだかんだで、この旅行は二人にとっては”エッチやり放題”目的の旅行であることは、母親にもバレているようです。だからこそ、罵声を浴びせる(!)母親を振り切ってティナはクリスとキャンピングカーで旅立ってしまうわけですが・・・このタイトルシーンで流れるのが「Taited Love」(Marc Almond姐さんの”Soft Cell”バージョン!)というもの、この先の皮肉な展開を予感させているかもしれません。

最初に立ち寄った「トラム(路面電車)博物館」で、アイスクリームの包み紙を捨てる男の客に遭遇したクリスは、すぐさま注意するのですが、その男は注意を無視しただけでなく、中指を立てるサインまでしてきて、その後もゴミを施設内でまき散らします。彼の大好きなトラム博物館を汚すマナーの悪い奴なんて許せない・・・という苛立ちを抱えながら出発しようとしたところ、その男が偶然にもキャンピングカーの背後に。クリスはうっかりを装おって(?)その男をバック運転でひき殺してしまうのです。タイヤで踏みつぶされた男の顔や腕は、見事にグッチャリ・・・スプラッター映画に匹敵するほど悪趣味な描写でありながら、あっさりと見せてしまうセンスは、とことん”ドライ”であります。

パニックになるティナを慰めながらも、ニヤリと微笑むクリス・・・これは、故意だったのです。結局、警察では事故と処理されて、二人はあっさりと解放されるのですが・・・その後、トラックドライバーの休憩所近くに駐車して、覗き見されることも気にせずに激しくエッチに興じます。殺人によって、性的にも興奮しちゃうって・・・ヤバいです。これをきっかけに、ある種の”歯止め”が効かなくなった二人は、イギリスの美しい田舎を旅しながら、彼らたちに関わる人々を次々と殺害していくことになっていくのであります。最初の殺人は(ゴミを捨てたからといって殺していいという正当性はありませんが)非常識な相手ではありました・・・しかし、その後は自分勝手な理由で、次々と普通の人々を殺していくのです。

キャンピングカーで旅している夫婦の旦那を石で殴り殺した上に彼の飼っている犬(偶然にもティナが殺してしまった犬にそっくり!)と一眼レフカメラを奪い・・・遺跡で犬のウンチ処理をしなかったことを注意してきた男を撲殺しサンドイッチを盗み・・・田舎のパブでクリスにちょっかいを出してきた結婚間近の女を崖の上から突き飛ばし・・・車を止める時に路肩を走っていたランナーをひき殺し・・・キャンピング用の自転車を開発した旅行者を崖から突き落とし・・・と、スプラッター映画並みに死体がゴロゴロです。

しかし、ティナとクリスは、シリアルキラーのキチガイとして描かれるわけでもなく、ボニー&クライドのようなアンチヒーロー的な破天荒っぷりさもありません。妙にスピルチュアルになったり、エコ問題には敏感だったり・・・結局、人間は他者に対して、タカが外れてしまうと冷酷になってしまうものなのか・・・と、笑いは凍りつきそうになります。しかし、ロードムービーにありがちな登場人物の人間的な成長や、説教じみた教訓もなく、淡々と人を殺す以外は(!)ちょっとオフビートなセンスを持った変わり者のカップルとして描いているに過ぎないのです。

キャンピング用の自転車を一緒にビジネスにしようとクリスが仲良くなった男性(最後に殺される)にセクハラされたと訴えるティナ・・・それはクリスの気を引くための切ない乙女な嫉妬なのですが、その嘘の内容が”ウンコプレー”という意味のない下品っぷりにドン引きであります。「人の死」と「下品なジョーク」を横並びにしてしまう不謹慎さは、とてつもなく”ブラック”です。

ここからネタバレを含みます。


こんな二人が、呑気にティナの実家に帰宅して終わるわけはないだろう・・・と思っていたら、旅の最終地点となる古い橋まで来たところで、キャンピングカーをガソリンをかけて燃やしてしまいます。そう・・・旅の終わりというのは、二人にとっての死に場所だったのです。ティナとクリスは古い橋の上から飛び降り心中をするために、橋に登ります。結構、唐突な展開なのですが・・・さらに驚きの”どんでん返し”を迎えて、再び「Taited Love」(今度はオリジナルのGloria Jonesバージョン!)が流れて、いきなり映画は終わります。正直いって「この映画って何だったの?」という呆然とさせられてしまうエンディング・・・「これこそ男と女の違い!」という解釈もできるのかもしれませんが、登ってきた脚立がすっと外されたような感じなのです。

とっちらかしの伏線を見事につなげていくハリウッドのコメディ映画や、最後には涙ホロリとさせる邦画のコメディ映画とは違う本作の、共感にも感動にも意味のないシュールさは「ワハハハ」ではなく「ヒーヒーヒー」という”引きつり笑い”しかできないボクの笑いのツボにピッタリとハマったのであります。


「サイトシアーズ(原題)」
原題/Sightseers
2012年/イギリス
監督 : ベン・ウィートリー
出演 : アリス・ロウ、スティーブ・オラム、エイリーン・デイヴィス

日本未公開

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2013/04/13

日本への怨み節が止らない「メイロマ劇場」・・・”動物化”した信者たちは「dis」る”キャリアポルノ”に救われているの?~谷本真由美(@May_Roma)著「ノマドと社畜~ポスト3・11の働き方を真剣に考える」「日本が世界一『貧しい』国である件について」~


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勝間和代氏の本をわざわざ購入しては、ネガティブな意見をブログにアップしていたボクに対して・・・「嫌いな人のこと、よく書けますねぇ~」と厭味を言われたことがあります。「嫌い」=「無関心」ということもあるけれど、期待を裏切らない「嫌さ加減」から、逆に目を離せなくなるようなこともあるのです。中身を読まずして内容を批判するというのはアンフェアでありますから、著書は購入して読んで批判というのがボクのモットー。しかし最近、勝間氏はすっかり影が薄くなくなってしまい・・・以前ほどの勢いはありません。アンチ”ファン”としては、残念な限りです。

そんな時・・・新たな獲物を物色していた(?)ボクの目にとまったのが、メイロマ(@May_Roma)こと”谷本真由美”というロンドン在住で女性であります。現地時間の早朝から夜中まで(睡眠時間を除く全時間帯)ツイッターに張りついて、毎日数百以上のツイート&リツリートを”日本語”で日本人相手にしている重度の「ネット依存症」という”痛い”人ではあるのですが・・・熱狂的な支持者=信者も存在する「カリスマツイッター職人」でもあるのです。失笑を誘う彼女のツイートに、ボクはすっかり”アンチ”ファンとなってしまったのでした。

メイロマと信者たちによって日々繰り広げられている”やりとり”を、ボクは勝手に「メイロマ劇場」と命名して傍観しているのですが・・・カツマー信者の「身の程知らずの上昇志向」や「自己評価だけは高い」”キャリア系”(?)の人というイメージとは対照的に、メイロマ信者は、精神構造が”負け組”な人や、中途半端な海外経験によって”日本人コンプレックス”を拗らせてしまった人など、どこかしら「Lower Class(下層階級)臭」がプンプンします。日本を「dis」るツイートに「禿同!」することによって、自分は他のバカな日本人とは違って”海外目線”で日本がダメなことを分かってるいる・・・という底上げされた”選民意識”を死守しようとしているのかのようです。

思いの外、谷本氏の職歴(Yatedo参照)の多くは日本(日系)企業・・・ネットを通じて知り合ったイギリス人の男性と結婚してロンドンに移住後、2010年以降は日系銀行に勤めている(すでに退職したという噂も)らしいのですが、現地採用で日系企業というのは、ある意味、日本国内にある日本の企業で働くよりも「日本」や「日本人」を意識させられる環境と言えるかもしれません。嫌いな日本から離れるために海外留学や海外就職を繰り返してきて、やっとイギリス人男性と結婚してロンドンに移住したのに、日本企業で働いている(でしか働けない?)というのは、悲しい”皮肉”と言えるでしょう。


そんな”日本人限定の自称国際人”の谷本氏は、今年に入ってから日本での出版予定が続々・・・その一冊目が「ノドマと社畜~ポスト3・11の働き方を真剣に考える」であります。この本は「電子書籍」として2013年1月に発売され、その2ヶ月後の3月に「紙の本」が出版されたのですが・・・「紙の本」になる際に「電子書籍」ではタイトルにありながら殆ど触れられていなかった「社畜」について”大幅”に書き加えています。単行本から文庫本になる時(単行本の発売から年月を経ている)ならば分かりますが・・・「電子書籍」発売の2ヶ月後に完全版(?)の「紙の本」出版というのは「電子書籍」の購買者を欺むいているとしか思えません。しかし「電子書籍」を購入した信者は喜んで「紙の本」も購入して、すぐさまツイッターで谷本氏にご報告。「お礼なう」のリツリートをしてもらうことに歓びを感じているようなのだから・・・トホホです。

サブタイトルに「ポスト3・11の働き方を真剣に考える」とあるものの・・・”はじめに”で「ノマド」ブームは『東日本大震災の後に生活や人生の価値観が激変してしまった若い人たちの間で顕著な気がします』という谷本氏の個人的見解で触れているだけ。「ノマド」「社畜」「ポスト3・11」という目を引くキーワードを並べただけで、中身は薄いという印象です。本書に書かれている「ノマド」の実体というのは、取材しているケーススタディが少な過ぎる上に偏り過ぎ・・・イギリスの「ノマド」の実例として「ニッチな専門職」を取り上げる一方で「アフェリエイト」「せどり」「下請け」という”副業”的な「ノマド」と比較するのは不釣り合い。自分の視点は「最高レベル」の実例として、読者の立場は「最低レベル」を持ち出すのは、ツイッターでもお馴染みの谷本氏の手法で・・・詐欺まがいの「ノマド」推しの商法と真逆のレトリックです。

「英語できないとダメ」「日本の仕組みが悪い」「専門職しか生き残れない」「ノドマ的社畜であれ」と・・・英語ができて、海外在住で、IT系の専門職(システム監査)で、日系企業に勤めながら英語添削塾や執筆活動している谷本氏自身の生き方を「自画自賛」するような結論の本書は・・・「私って凄いでしょ?」と自負しているノマド系の「自己啓発本」と変わりありません。谷本氏は、美味しそうに撮影された料理の写真を”フードポルノ”と呼ぶことに引っ掛けて「自己啓発本」を”キャリアポルノ”と呼んで「dis」っていますが・・・”ポルノ”として「自己啓発=勃起させる」直球の「自己啓発本」の方が(確かにゴミみたいな本ばかりだけど)まだ健全かもしれません。谷本氏の「dis」る”キャリアポルノ”は「英語できないとダメ」「日本のノマドはダメ」「社畜もダメ」のダメダメ尽くしの、やる気を削ぐような逆張り”ポルノ”で・・・読者を勃起不全にしようとしているかのようです。逆に・・・すでに勃起不全で社会の底辺に堕ちている信者たちは、谷本氏の日本「dis」という”お墨付き”によって辛うじて救われているのかもしれませんが。


谷本氏が結婚したイギリス人男性の言動は(彼女がツイッターで披露する限り)かなりの日本「dis」の人に見受けられます。彼女に影響されたのか、彼女と出会う前からそういう人なのかは分かりませんが、下層階級的なマインドの人ほど、人種差別によって”低俗なエゴ”を満足させるものだったりするもの・・・モノの見方が屈折している夫婦という印象は拭えません。「母国を恨み嫌う日本人妻」と「妻の母国を蔑むイギリス人夫」の、先入観と妄想を入り交じった”誇張”も加わって「メイロマ劇場」の日本への怨み節は止むことはなく・・・ますます暴走していくのであります。

谷本氏の二冊目は「日本が世界一『貧しい』国である件について」・・・一冊目よりも、さらに日本「dis」に満ちた内容となっています。些細なことでも日本「dis」に結びつけていく反面、イギリスについては”いい加減さ”も心の豊かさに解釈するという、お馴染みのメイロマ式の現実変換が行なわれているのは言うまでもありませんが・・・生活の質という観点から「日本が世界一貧しい」というのは、”本当に貧しい”国の人たちからしたら腹立たしいほど自虐的過ぎる見解でしょう。その上、彼女が訴える日本「dis」は、新鮮味のないステレオタイプばかりで、日本を捨てた(?)彼女自身の正当化の根拠を何とか見出そうとしているようにしか思えません。「日本が世界一『貧しい』国」というタイトルのインパクトだけ・・・内容の説得性には欠けています。

「紙の本」購入者には、谷本氏の生声ポッドキャスト(約23分)を聞くことができるという”おぞましい”(?)特典がついてくるのですが・・・恐る恐る聞いてみると「たぶんリアルでは嫌われるタイプだろうなぁ」という印象の声質と話し方。日本のバカベスト3(ベスト何だ?)として「ノマドバカ」「自己啓発バカ」「社畜バカ」を挙げているのだけど、メイロマ信者のことを言ってるかのようで笑えました。日本が”海外で”バカにされるようになったと肌身に感じるということは、ロンドン在住の彼女がどう周りの人々に扱われてきたかを反映しているわけでもあって・・・”日本人限定で自称国際人”気取りで勤務中にツイッターばかりしてたら「バカにされても当然」と思ってしまうわけであります。まるまる一冊、日本「dis」しておきながら、本書の最後の最後に「多様性を受け入れて自分とは異なる『他者』を尊敬し認めること」と本書を結んでしまう谷本氏に”ひとこと”言うとしたら・・・「おまえが言うんじゃないよ!」に尽きるのです。

去年9月頃、ボクのもうひとつのブログ「けいたいおかし」に「上から目線のツイートが痛々しい@May_Romaさん」という記事を書いたのですが・・・記事をアップしてから3ヶ月ほどしたある日、アクセスが急に増えて信者とおぼしき人たちからコメント欄へ書き込みがありました。エゴサーチを日課としている谷本氏本人が、このブログ記事についてのツイートを見つけたようなのです。そこで”あえて”記事へのリンクを貼ったまま「誹謗中傷が含まれているのでブログ運営会社に通報する」と、彼女はリツリートしていたのでした。4万人のフォロワーたちにブログ記事を晒すことで、信者たちにバッシングさせようという魂胆だったのかもしれません。

これまでもツイッター上で彼女と絡んだ人が、信者たちから理不尽なバッシングを受けるのは目にしてきました。しかし、数名の信者たちがボクを中傷するコメントを付け加えてリツリートはしたものの・・・彼女が望んでいたような「バッシングで大炎上」とはなりませんでした。谷本氏が(ツイッター、個人ブログ、Amazonレビューなどで)批判されると、谷本氏や信者は「嫉妬だ」「コンプレックスだ」「嫌がらせだ」と反撃するのですが、これこそ「嫉妬」や「コンプレックス」「嫌がらせ」という感情に囚われているから”こそ”の発想・・・嫉妬心やコンプレックスを原動力にしていることの証であり、人としての低俗さを露呈させています。

彼女がブログ運営会社(アメーバ)に通報したかどうかは分かりませんが・・・個人情報を掲載したり、脅迫しているわけではないのに、ブログ運営会社が一方的な要求で記事を削除するわけはありません。彼女のツイッター発言によると・・・『ツイッターは広告媒体として、彼女の旦那が講師らしい「英語ビジネス」へ誘導することや、「有料ウェブマガジン」を購読させることが目的らしく(略)』という文章がお気に召さなかったらしく(あの記事の中でソコ?)・・・「ツイッターは英語塾への勧誘」という解釈が「誹謗中傷」「名誉毀損」「営業妨害」だというのが彼女の言い分のようです。「英語塾は営利目的ではない」「家人の暇つぶしと人助けでやってる」と、彼女が必死(!)に反応したことで、「なんで英語塾の添削料金ってそんなに高額なの?」(英文履歴書添削3万円から/「英語虎の穴」お仕事の依頼参照)とか「英語塾からの収入の納税はどうなっているの?」という疑問も生みました。

谷本氏の日本「dis」が多少なりとも支持されたのは、民主党時代のデフレ経済による出口の見えない状況が長く続いていたということがあったかもしれません。しかし(すべての人が景気回復を実感しているわけではありませんが)「アベノクミス」によって世の中の雰囲気は、急激に変わりつつあります。不景気の時には「政治が悪い」「会社が悪い」「システムが悪い」と、自分のおかれている環境を「dis」ることで不満を晴らすところがありますが、景気が良くなっていく時には、その波に乗ることの方に人の興味は移っていくものです。もし、順調に日本経済が上向きになっていくならば、谷本氏のような偏った日本「dis」をする風潮は「時代遅れ」になっていくような気がします。

谷本氏の三冊目の出版も間近(2013年5月21日)で、そのタイトルは「日本に殺されずに幸せに生きる方法」・・・カルト宗教の勧誘文句のような根拠のない危機感を煽っています。勃起不全の信者たちにとって、この本は救い主=メイロマ神(?)によって授けられた”ノアの箱船”になるのでしょうか?「メイロマ」という踏み絵によって、狂信的な信者たちを寄り分けているようで・・・彼女の私怨である日本「dis」が、どこに向かっているのか分からなくなってきます。メイロマの”アンチ”ファンとしては、カルト性は程々に・・・「嫌いがい」のある””痛さ”を発揮し続けてくれることを願うばかり。さらに6月には「キャリアポルノは人生の無駄だ」というタイトルの四冊目を出版・・・”日本人限定の自称国際人”による上から目線の日本「dis」、同族嫌悪のような自己啓発本「dis」という、ツイッター上でお馴染みの”スタンスは変わりないようです。

仲正昌樹氏の「いまを生きるための思想キーワード」という本で、最近のネット住人の”動物化”について書かれているのですが・・・まるで「メイロマ劇場」で起こっている現象を言い表しているかのようなので、その文章を引用して終わります。

ブログやツイッターに一日中張りついて、同じようなパターンのイタイ発言を繰り返している人たちがいるが、彼らはごく少数の同じような嗜好の人たちから承認されれば、それで結構満足する。批判的なコメントはすぐ削除・ブロックするか、(承認/非承認機能を使って)「承認」しないことにする。そして、自分たちのスゴさを理解できない”俗人”たちを、(どの程度の実体があるかは分からない)”仲間”と一緒に軽蔑、罵倒し、溜飲を下げたつもりになる。小さな”仲間”サークルに属している人たちは、発言の中身や真偽にかかわらず、脊髄反射的・・・ネット上では、条件反射よりも更に原始的という意味合いで、「脊髄反射」という言い方をする・・・に、”味方”を賛美し、”敵”を攻撃する。そのせいで、”仲間”内で結束すればするほど、言葉による表現力、理解力、意思伝達力はどんどん低下していく。




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2013/04/07

マツコ・デラックスの”俗っぽさ”を露呈させた池上彰の”毒”・・・テレビタレントのコメント瞬間芸 VS. ジャーナリストの取材力と分析力~「池上 X マツコ ニュースな話」~



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先日(2013年4月4日/木曜日)ゴールデンタイムのテレビは、マツコ・デラックスにテレビジャックされていました。まず午後7時台からテレビ朝日で「池上 X マツコ のニュースな話」の3時間スペシャル、その番組終了後の午後10時台からはフジテレビで「アウト x デラックス」のレギュラー番組化を控えての1時間半スペシャル・・・午後7時から午後11時半の4時間半、マツコ・デラックスが出ずっ張りという事態になっていたのです。どちらもコメンテーターではなくMC・・・特に「ニュースな話」は、池上彰とマツコ・デラックスが”ツーショット”で語り合うという構成だったので、なんとも濃厚なマツコ・デラックス尽くしの一夜となっていたのでした。(ボクは録画して週末に何度かに分けて視聴しました)

分かりやすいニュース解説で知られるジャーナリストの池上彰氏でありますが・・・テレビ東京の参議院選挙速報の生放送番組でも覗かせた”毒”のある鋭い追求をする「ブラック池上」のファンも結構多かったりします。逆に、世間的には歯に衣着せぬ辛口コメンテーターとして知られるマツコ・デラックスでありますが、超巨漢の女装というインパクトのある風貌のわりには、コメント内容は非常に常識的・・・特に、ここ1~2年はテレビタレントとしての立ち振る舞いを心得てしまったのか、自分に求められている「ご意見番」的役割をテレビ向けにこなしているようです。

番組制作側の意図としては、ニュースの本当の意味から「今の日本」を考えるということだったようで・・・池上氏がニュースの話題の背景や歴史を解説して、マツコに鋭く切り込ませるつもりであったのかもしれません。しかし、報道されてきたニュースの上っ面を覆すような池上氏の鋭い分析を前にして、マツコは視聴者視線の凡庸な相槌を打つしかなかったのでした。とは言っても、頭の回転は早いマツコですから、池上氏の意見に”瞬間芸のコメント力”で摺り合わせていくのはお上手・・・しかし、”おうむ返し”で同調するマツコを許すほど、池上氏は優しくありません。

池上氏は、アジェンダごとに冒頭でマツコに投げかけて、世間の期待を裏切らない鋭い意見を求めます。しかし、マツコから引き出せるのは常識的、かつ、表層的な意見ばかり・・・そんなマツコに対して「今日は随分と大人しいね?」と、何度も繰り返しダメ出しをする池上氏というのは、なかなか意地が悪い人であります。アジェンダとして取り上げているのは、政治的な背景を理解した上で倫理的な立場を明らかにすることを求められるような難しいものばかり・・・一般的なワイドショーではコメンテーターは、視聴者の反感を買わないような世論に添った意見を言うことで水を濁すような話題です。

学校のいじめ問題について「いじめられるって、想像したこともない」というマツコに「もしかしたら、自覚しないでいじめたのでは?」と切り返す池上氏。「いじめ」はいつもの時代に起きていることだから、その状況から「逃げる」ことも選択ひとつだと池上氏はアドバイスします。それに対して、両親から野放しで育てられたおかげで自分で考える力を養ったというマツコは、いじめ問題には親の対応が大切と説くのですが・・・いじめに対しても親は野放しでというのがマツコの主張なのでしょうか?また、教師による体罰に関して「体罰になるか、ならないかは、やられた側がどう受け取ったか次第」というワイドショー的な意見のマツコに・・・「体罰は愛情だったと感じられる信頼関係があるのであれば、そもそも手を上げる必要などなかったのでは?」と、池上氏は体罰をする教師側の「指導不足」を厳しく指摘します。

日本人の学力が下がってきたといわれますが・・・ゆとり教育を批判して塾の必要性を宣伝した学習塾や、PISA(国際的な学力テスト)の調査で日本の順位が下がったことだけを浅く扱う報道が煽っていることを池上氏が指摘すると、マツコは水を得た魚のように学習塾やマスコミ叩きを始めます。池上氏は、新しく参加した国は日本よりも学力が高いという結果だったけど、学習能力自体は昔(数十年前)よりも良くなっていることから、決して日本の教育レベルが低くないことを強調します。さらに日本人は英語がしゃべれないという問題については、いきなりマツコが「英語が話せることが、そんなに偉いの?」と発言・・・確かにグローバル化に反するラジカルな意見だけど、DQNな人たちにありがちの考え方であります。池上氏は、日本人が高等教育を母国語で受けられることが裏目に出て、逆に英語を学ぶ機会を失ってしまっていることを指摘します。

日本と中国の問題についても「政治家や外務省は、もっと頭を使った対応すべき」という漠然とした見解を述べるマツコに、池上氏は日本は中国をもっと研究すべきだと投げかけます。また、反日教育で不満を国外に向けさせる本来の意味というのは、民主的な選挙で選ばれていない共産党政府に政治的な正当性を持たせるためであると分析します。将来的に中国が民主化したとしたら反日教育や反日主義の必要性がなくなり、ひとりっ子政策で少子高齢化する中国は急激に労働人口が減少し経済発展が失速するのは確実・・・日本は中国抜きでもやっていける体勢をつくることで、交渉力を身につけて”したたか”に付き合うのが良いのではと、池上氏が締めくくります。

番組後半、自衛隊の国防軍化というアジェンダになると、マツコは視聴者的な立ち位置の聞き役に回っていました。池上氏は、自衛隊には交戦規定がないので偶発的に戦争に巻き込まれてしまう可能性があるのではと危惧されているので国防軍とすることで、より役割や対応を実体に近い形にしようとするのが今の自由民主党の考え方であると説明します。さらに日米安保については、その歴史を紐解いた後「やっぱりアメリカなしでは日本は生きていけないのね」という平凡なまとめ方しかできないマツコに、何気なくガッカリしたような池上氏・・・さらに、これからの世界での日本の立ち位置をどうするべきかという質問に、会社内でどの上司に付いていくかという社内抗争の”例”にして得意げに語るマツコに、池上氏は「打算的に動く国は信用されない」「民主主義という理念を大切にして日本の立ち位置を考えることが大事」と嗜めます。それでも「民主主義って、経済ほど魅力ないわ〜」というマツコこそ、池上氏が危惧しているであろう日本人の考え方のかもしれません。

番組の最後に収録を振り返り池上氏は、マツコ・デラックスをゴールデンタイムのニュース番組起用するというリスクをテレビ局は背負ったのに・・・と、マツコの日和っぷりに苦言します。マツコからは、マイノリティ(同性愛者、女装)という立場から、斬新な意見を期待していたのかもしれませんし、自分とは違う視点の考え方をぶつけてくることで「池上氏の分析」=「番組の結論」としない意図もあったのかもしれません。いずれにしても、池上氏(番組制作側)の期待にマツコ・デラックスは応えていなかったことは明らかで・・・それには本人も気付いている様子ではありました。

芸能の話題だけでなく社会/政治から道徳的なことまでを語る「ご意見番」として、もはや”文化人”レベルに扱われているようなマツコに対して「ブラック池上」が”身の丈”を知らしめるような”冷や水”を浴びせる番組になってしまったわけですが・・・逆に第2弾、第3弾と「特番」として続くのであれば、マツコ・デラックスの面の皮の厚さも”なかなか”なものだと言えるかもしれません。

その後、午後10時からのフジテレビの「アウト x デラックス」では、”OUT”な芸能人や素人を相手にノビノビとイジりまくっていたマツコ・デラックス・・・ある種の安定感を感じずにはいられませんでした。やはり、マツコ・デラックスの主戦場は、トコトン”俗っぽい”バラエティ番組であることを再確認した次第であります。

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2013/03/29

個人的には全く萌えないマシュー・マコノヒー・・・”変態”役者として最近妙にキレキレなの!~「Magic Mike/マジック・マイク」「The Paperboy/ペーパーボーイ 真昼の引力」「Killer Joe/キラー・スナイパー」~



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俳優の好き嫌いを”外見”だけで判断することはないけれど、”外見”が好きでないから興味がない・・・興味がないから出演作を観ない・・・観ないから”外見”だけのイメージしか持てないという連鎖によって、ますます興味を持つ”機会”さえ少なくなってしますのです。

ボクにとって、そんな俳優のひとりがマシュー・マコノヒー・・・もう20年近くハリウッド映画に出演し続けているハリウッドスターのひとりと言ってもいい俳優であるし、一般的なアメリカ人の感覚では好き嫌いは別にして「典型的なハンサム」の代表格のような俳優ではありますが、そのルックスが災いして惹かれる個性を感じられなかったりもします。彼の出演作を観た記憶というのがボクには全くと言っていいほどなくて・・・漠然とロマンチック・コメディとかに出演していそうという程度のイメージしか持っていません。そんなわけで、マシュー・マコノヒーの出演している作品を”あえて”観ようということは、ボクにはまずなかったのです。

本編のエンディングのネタバレを含みます。


「Magic Mike/マジック・マイク(原題)」は男性ストリッパー業界を描いた(最近やたら多作の)スティーブン・ソーダバーグ監督作品・・・チャニング・テイタムを始め、男優たちのストリップシーンばかり注目されている一作ですが、チャニング・テイタム自身の男性ストリッパー時代の経験を元にした結構真面目(?)な青春映画であります。物語は、大学を辞めて金をとりあえず稼ぐためにストリッパーになったアダム(アレックス・ペティファー)と、昼間は家具デザイナーとしてビジネスを立ち上げようとしながらも人気ストリッパーとしても頑張るマイク(チャニング・テイタム)の、転落と成長を描いていくのですが・・・プレイーガール誌のピンナップボーイのような若手男優たちの中で異彩を放っているのが、ストリップクラブのオーナーのダラス役のマシュー・マコノヒーであります。

アダムの姉に「30歳のストリッパー!」と言われ、自分はダラスのような「40歳のストリッパー」になりたくないと、マイクはストリップから足を洗うことを決断するのですが・・・40過ぎのダラスにとってのストリップこそ「天職」・・・より集客の見込める大都市のマイアミに移転して、ストリップクラブのビジネス拡大を狙う野心もあるのです。薬物中毒になって堕ちていく者やペニス増大器まで使ってストリッパーを続ける者がいる男性ストリッパーの「闇」と、スポットライトを浴びている間だけの「光」の痛々しさが、映画の佳境に満を持してダラスのストリップで表現されます。痩せた筋肉質の40男のカラダには、ハッキリ言って健康的なセクシーさはありませんが、自分の仕事に誇りを持って生き抜いてきた男の気迫を感じさせられてしまいました。ある意味、年齢と共に劣化した自らの肉体をも曝け出したマシュー・マコノヒーのダンスに何故か涙してしまったほどです。単にハンサムだけの無個性な俳優と思っていたけれど・・・実はボクの大好物の”変態役者”なのかもしれないと気付いたのです。


マシュー・マコノヒーの気味悪さを確信させたのが「The Paperboy/ペーパーボーイ 真昼の引力」であります。「プレシャス」のリー・ダニエル監督によるフィルムノアール系の気持ち悪いスリラーサスペンスで、ニコール・キッドマンがザック・エフロンに放尿する(!)映画として話題になった一作です。まだ黒人差別が色濃く残る1969年のフロリダを舞台で、”マイアミ・タイムズ”の記者であるワード(マシュー・マコノヒー)が、大学を中退したばかりの弟ジャック(ザック・エフロン)を雑用係にして、死刑囚ヒラリー(ジョン・キューザック)の無実を明かそうとする話・・・ジャック以外の登場人物は一癖も二癖もあるキャラばかりで、つかみどころのない気持ち悪さとエグさ満載なのです。

ヒラリーのフィアンセ(といっても手紙のやり取りだけで婚約したのですが)であるシャーロット(ニコール・キッドマン)というのが、とんでもない女でありまして・・・ミニスカートのまま大股開きをしてパンティ越しに割れ目を見せつけたり、面会の際にはフェラチオの真似事をしてヒラリーをイカせちゃうのであります。話題のシーンというのは、海でクラゲに刺されたジャックの応急処置のためにシャーロットがおしっこをかけるということだけのことでした。アバズレっぷりを生き生きと演じるをニコール・キッドマンや、狂気のセックスマニアックっぷりを熱演するジョン・キューザックとは対照的に抑えた演技で脇を固めているマシュー・マコノヒーが、一番気味が悪いのであります。語り手であるワードとジャックの実家のハウスメイドの台詞だけでしか説明されないのですが・・・実はワードは同性愛者のマゾで、黒人の男たちから受けるハードなSMプレーを好んでいたらしいことが分かります。こんな理解し難い不可解な役柄を、すんなりと演じてしまうマシュー・マコノヒーって気持ち悪い!


制作された順序は前後するのですが・・・日本では劇場未公開で、何故かDVD/ブルーレイの発売さえなく、レンタルのみという不遇の作品が、ウィリアム・フリードキン監督による「Killer Joe/キラー・スナイパー」です。テキサス州のホワイトトラッシュ(白人貧困層)の家族の崩壊と再生(?)を、エロスと暴力とブラックユーモアを交えてハードボイルに描いた本作では、マシュー・マコノヒーは”保安官”でありながら副業で”殺し屋”という「善」とも「悪」とも取れない屈折した役柄を演じています。

借金の返済に困っているクリス(エミリー・ハーシュ)は、父親ハンセン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)と彼の現妻シャリア(ジーナ・ガーション)と共謀して、保険金目当てに実の母親の殺害を殺し屋ジョー(マシュー・マコノヒー)に依頼するのですが・・・この家族に前払いで全額を用意できるわけがありません。受け取らなければ仕事は引き受けないというジョーだったのですが・・・母親の保険金の受取人のひとりがクリスの妹のドッティ(ジュノ・テンプル)であることから、ジョーはドッティの身柄を担保に殺害依頼を一方的に承諾します。実はジョーは、この家族の中で唯一ピュアな心をもつドッティにひと目惚れしていたのです。ドッティにとってもジョーはダンディで素敵な大人の男・・・二人はあっさりと恋に落ちてしまいます。

依頼通りあっさりとクリスの母親を殺害したジョーは、ある「真実」をこの家族に突きつけて、ドッティを受け取るために彼らのトレーラーハウスに現れます。現妻シャリアは裏でクリスの母親の現ボーイフレンドとデキていて、クリスをそそのかして、自らの手を汚さずに邪魔者のクリスの母親を殺して、保険金も全額受け取ろうという魂胆だったことを、ジョーは巧みな尋問で暴露していきます。そして、ジョー自らの手でシャリアに屈辱的な罪滅ぼしを強要するのです!フライドチキンのドラムスティックを股間にかざして、跪かせたシャリアにドラムスティックをしゃぶるように命令します。興奮しながらドラムスティックをシャリアの喉の奥まで突っ込むジョー・・・明らかに絵的には「強制フェラチオ」であります!

溺愛する妹ドッティをジョーに奪われることを阻止するため、クリスはジョーを殺害しようとするのですが・・・すでに崩壊した家族は元に戻ることよりも、ジョーを加えた再生を目指そうとするのであります。父親ハンセンはクリスを押さえつけ、銃を奪い取ったドッティはクリスを銃殺してしまうのですから・・・。ジョーに銃を向けながら、ドッティは妊娠したことを告げます。それを聞いて喜ぶジョーの笑顔で映画は終わり、ドッティがジョーを撃ったのかは分かりません。なんとも、拍子抜けするエンディングなのですが・・・血だらけの暴力描写の中に、きわどいユーモアを感じさせる本作は、コメディ映画だったと思い知らされるのです。

個人的には全く萌える要素を感じていなかったマシュー・マコノヒーですが、熟女ならぬ「熟男」となって、いい具合(?)に腐ってきた感じが溜まりません。醸し出される変態性と、シニカルな可笑しさから、しばらく目が離せなくなりそうです。


「マジック・マイク(原題)」
原題/Magic Mike
2012年/アメリカ
監督 : スティーブン・ソーダバーグ
出演 : チャニング・テイタム、マシュー・マコノヒー、アレックス・ペティファー、オリビア・マン、ライリー・キーオ、マット・ポーマー、ジョー・マンガニエロ、アダム・ロドリゲス、ケヴィン・ナッシュ、ガブリエル・イグレシアス

日本公開未定


「ペーパーボーイ 真昼の引力」
原題/The Paperboy
2012年/アメリカ
監督 : リー・ダニエル
出演 : ニコール・キッドマン、ザック・エフロン、ジョン・キューザック、マシュー・マコノヒー、デヴィット・オイェロウォ、スコット・グレン、

2013年7月27日より日本劇場公開


「キラー・スナイパー」
原題/Killer Joe
2011年/アメリカ
監督 : ウィリアム・フリードキン
出演 : マシュー・マコノヒー、ジーナ・ガーション、ジュノ・テンプル、エミリー・ハーシュ、トーマス・ヘイデン・チャーチ

レンタル中

 
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2013/02/02

”日本のカワイイ文化”と”見世物的クラブシーン”を融合した(?)日本人デザイナー・・・”日本人のメンタルの弱さ”と”総合的デザイン力の欠如”が露呈してしまったのかも!?~「プロジェクト・ランウェイ・シーズン10/Project Runway Season 10」~


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2004年からアメリカで放映されている「プロジェクト・ランウェイ/Project Runway」が、遂に「シーズン10」を超えました!番組の内容については、以前「めのおかしブログ」で「プロジェクト・ランウェイ」について書いたことがあるので、良かったらご覧下さい。

過去のファイナリストたちを集めた「プロジェクト・ランウェイ・オールスターズ」、ジュエリー、ハンドバッグ、靴などのデザインで競うアクセサリー版の「プロジェクト・アクセサリー」という”スピンオフ番組”が制作されていますし、世界各国(イギリス、オーストラリア、ベルギー、オランダ、フィリピン、韓国など、計20カ国)で、その国のバージョンの「プロジェクト・ランウェイ」というのも制作されています。現在「シーズン11」がアメリカでは放映され始めたところで、リアリティー番組の中でも長寿番組のひとつとなっています。

ボクは「シーズン1」からアメリカでDVDボックスが発売されると同時に購入して、全エピソードを一気に観てきました。しかし「シーズン8」を最後に、アメリカではネット配信のみ(日本からは閲覧不可能?)で、DVDボックスの発売をしなくなってしまったため「シーズン9」以降は観ていませんでした。日本では、WOWWOWが日本語吹き替えで放映しているようですが、先日「シーズン8」が終わったところのようで、2013年に「シーズン9」の放映が決まっています。オフィシャルサイトには放映中の「シーズン11」について書かれているし、番組の一部の映像は”YouTube”にアップされているので、リアルタイムで情報を得ることは出来るのですが、まとめて観る時の楽しみを奪われてしまうような気がして・・・あえて、ボクはネット上の情報は見ないようにしてきました。

最近になって怪しげなサイトで「シーズン10」までのDVDボックスセットを販売しているのを発見し、さっそく取り寄せてみました。テレビからダビングした番組をDVDに焼いた中国版海賊版らしく、画質はVHS並み、編集点ではシーンが飛ぶことがある粗悪品・・・ただ、正規版DVDが販売されない以上、海賊版の存在はありがたいものだったりします。

「シーズン8」では日系アメリカ人(四世?)の女性(アイビー・ヒガ/Ivy Higa)が出演していましたが・・・「シーズン10」では、初めて日本生まれの「日本人デザイナー」が「プロジェクト・ランウェイ」のキャストの一人として出演しているのです!

アメリカ人以外のキャストは、今まで数多く出演しているのですが、リアリティー番組の性質上、英語でのコミュニケーション能力というのは「必須」となります。また、単に言葉の問題だけではなく・・・共同生活しながらキャスト達とのコミュニケーションを取っていったり、審査員からの辛口批評に対して屈せずに自分の意見を述べたり、番組の中で自分のキャラクターをどう表現して振る舞っていくのかなどの能力も要求されるのです。

同調性をコミュニケーションの手段とする日本人にとって、お互いを批判し合いながらも尊重していくというのは(頭で分かっていても)なかなか難しいこと・・・英語力や服作りの才能以前に、切磋琢磨しながら素人同士が争うというリアリティー番組というフォーマット自体に、日本人にはハードルが高いのかもしれません。それ故に(1対1のバトルの似たような番組は過去にあったけど)日本版の「プロジェクト・ランウェイ」という番組が制作されることがないのかもしれません。初めての日本人キャストに対して(ボク自身がなし得なかったことをやってくれるという)大きな期待と同時に・・・最悪の結果を残してしまうのではないかという不安も感じぜずにはいられませんでした。

さて・・・「プロジェクト・ランウェイ」に登場する日本人デザイナーというのは、どんな人なのでしょうか?「Kooan Kosuke」という名前で出演していますが、本名は「大川公輔」という姫路出身の現在(番組出演時)30歳男性・・・番組内では「KOOan/コーアン」と呼ばれています。2002年(20歳?)で渡米して、「F.I.T」に入学してファッションデザインを学んだということなので・・・18歳で渡米し、英語学校、プレップスクール、芸術大学を経由して、23歳でパーソンズ・デザイン大学のファッション科に入学したボクには親近感が湧きます。

2006年、彼は「ベストデザイナー」を受賞して「F.I.T.」を卒業します。デザインの方向性はさておき・・・日本人のステレオタイプとしての手先の器用さを裏切らず、彼の服作りの”クラフトマン・シップ”ののレベルは高いことは間違いないようです。「パーソンズ・デザイン大学」と合同で開催された「Fusion Fashion Show/フージョン・ファッション・ショー」では、計30名の卒業生たちのフィナーレを飾っています。


卒業の1年後には、2008年の春夏コレクションを発表・・・このショーの後、セントクリストファー・ネイビス連邦(西インド諸島にあるイギリス連邦の王国のひとつ)でのファッションショーに参加したり、ニューヨークマガジンが出版している「ルックブック」で取り上げられたり、ケーブルテレビのTLC(ザ・ラーニング・チャンネル)で放映された古着をリメイクして素人をメイクオーバーするという「I 've Got Nothing to Wear」という番組に出演したり、ビヨンセの「Freakum Dress」ミュージックビデオに出演しているダンサーのジョンテ(JONTE' ☆ MOANING)の衣装デザインを韓国人アーティストのクラヨン・リー(Crayon Lee)とコラボをしたりと・・・デザイン活動の場を広げていきます。

彼のファッション・ショー映像を見るかぎり、ファッション専門学校の学生に”ありがちな”スタイルという印象は拭えません。彼のスタイルが日本人デザイナーを代表しているとは、殆どの日本人が思わないでしょう。クラブシーンで受けそうな見世物的なキッチュさはイギリスのパフォーミング・アーティストのリー・バワリーなどの影響と同時に、外国人受けしそうな日本の「カワイイ文化」の引用をしているようにも見えます。ある意味、いつの時代にも必ず存在しているナイトクラブ受けする”アヴァンギャルド”・・・既成の服のディテールを誇張した”Catoon/カートゥーン”(漫画チック)のスタイルは、アメリカでは「ハラジュク系」と解釈される「ストリートクチュール(?)」といったところでしょうか?

ニューヨークにいる日本人には、異様に”キャラ”が立っている人が、たくさんいるのですが・・・その人たちに共通するのは、とにかく見た目が派手で、テンションが異様に高いということ。良くも悪くも「イロもの」として、クラブシーンでは目立つ存在となり、”プチ有名人”になることも結構あったりするのです。何を隠そう・・・ボク自身もパーソンズ・デザイン大学に在学中は、髪の毛をブリーチしてブロンドならぬ”たまご色”にして、相当おかしな格好をして、クラブを徘徊しておりました。とりあえず目立つことによって、言葉のコミュニケーションに多少ハンディがあっても、クラブシーンでは注目を浴びることができるわけです。地方から原宿に遊びに来て、ド派手なファッションや奇妙な行動をするのに、ちょっと似ているのかもしれません。


「プロジェクト・ランウェイ」のオーディションでは、彼のハイテンションなパーソナリティーと金髪のアフロヘアの奇抜なパーソナルスタイルが受けたそうです。実は「シーズン10」は三度目の挑戦で・・・「F.I.T.」在学時代にオーディションを受けて落選、その後「シーズン6」(2008年)の時に再挑戦して一旦キャストに選ばれるものの、クリーンカード(永住権)を持ってないことを理由に却下されてしまったそうです。2008年から2012年の間に、何らかの手段でグリーンカードを取得したのか、仕事を通じてワーキングビザが発行してもらえたのか分かりませんが、晴れてアメリカ滞在のためのステイタスの問題もなくなり、念願が叶ったということになるのでしょう。

ただ、どう見ても彼は「ヒーローズ」に出演していた日本人俳優マシ・オカ的な「イロもの」として扱われているようで・・・ハイテンションの「おかしな日本人」というポジションでのキャスティングであることは否定することは出来ません。

ここからは「プロジェクト・ランウェイ・シーズン10」のネタバレを含みます。


エピソード1の「お題」は、宿題として制作してきた自分のデザイン哲学を表現したルックと対になる二着目をデザインして一日で制作するというものでした。色の組み合わせも、使用している生地の選択も、服のディテールも、まるでジョークのようなコスチュームだと、彼のデザインはレギュラー審査委員たちには評されてしまいます。一着目と二着目のデザイン的な関連性も、イマイチ分からず・・・リアルな服としての存在感の感じない奇妙なスタイルでした。ただ、ゲスト審査員が、個性的なストリートスタイルに理解のあるパトリシア・フィールドであったことはラッキーだったかもしれません。評価の低い3人に選ばれるものの、最初の落伍者になることは免れることができました。


エピソード2では、一般的には服の素材でないモノで服を作るという「プロジェクト・ランウェイ」ではお馴染みの「お題」・・・今シーズンは、ロルフ・ローレンの娘さんが経営するキャンディ屋さんが舞台。彼のデザインの方向性とキャンディの相性は良さそうなので、彼には”もってこい”の「お題」のように思えたのですが・・・溶けてしまう綿アメをスカートにしようとして失敗し、単にたくさんのキャンディをモスリン生地で作った土台に無理矢理縫いつけただけのドレスを制作しました。勿論、ランウェイを歩くモデルのドレスからは、ボロボロとキャンディが落ちてしまったことは言うまでもありません。せっかく、彼の持ち味のスタイルに合ったテーマであったのに、そのポテンシャルを生かすことなく、かろうじて合格点で通過という無難な結果に終わりました。

このエピソードまでは、相変わらずハイテンションで、おちゃらけていたのですが・・・その後、様子が急変して塞ぎ込むようになってしまうのです。番組には映っていない部分なので、あくまでもボクの想像なのですが・・・長時間ライバル同士で競い合う状況で、他のキャストたちと本当の意味でのコミュニケーションが、彼は取れていなかったのではないでしょうか?元々、キャラ”が立ち過ぎているところはあったのですが・・・一体、彼がどういう人間なのかは、他のメンバー達には理解出来なかった気がします。結局、番組内で彼は「おかしな日本人」という理解を超えた不思議な存在というアピールしかできなかったのかもしれません。

日本人は「建前」と「本音」という習慣が、深みのある美徳のように自負しているような気がするのですが・・・実は、これこそが日本人のメンタルの弱さの根源ではないかと、ボクは考えています。日本人は、追い込まれた状況になると、急に押し黙ったり、感情的になりがち・・・「建前」である”キャラ”が崩壊して”素”という「本音」を露呈させてしまうことがあります。ある時まで「建前」で冷静さを装っている日本人は、実は非常に感情に流されがちだったりするのです。映画やドラマでは、すぐに感情を剥き出すステレオタイプのあるアメリカ人ですが、実は”素”を出してしまうほど感情的になることは、理性のある大人であったら恥ずかしいこと・・・”幼稚な行動”と受け取られて周りからは敬遠されます。日本人からみるとタワイもないことで感情的になっているようにみえるのも、実はガス抜きであったり、自分の意向を押し通すための主張をしているだけ・・・自己のバランスを保つために必要な防衛策だったりするのです。


エピソード3の「お題」は、デザイナーがペアとなってクライアントのために”レッドカーペット・ルック”(エミー賞授賞式に出席するためのドレスやガウン)を制作するというものでした。「プロジェクト・ランウェイ」では、自分ひとりでデザインするだけでなく、他のデザイナーとの共同作業や、クライアントのためにデザインするというチャレンジが多くあり、自己主張しているだけでも駄目・・・といって、自分の個性を殺しても駄目という”コミュニケーションの駆け引き”も求められるのです。

この「お題」は、明らかに彼にとって苦手なことは推測できました。運良くフェミニンなスタイルが得意なデザイナーとペアを組むことになるのですが・・・イニシャティブは完全にパートナーに奪われてしまい、デザインプロセスに関わることもできないまま終わってしまいます。結果的には、審査員たちには好評で、高い評価の2グループに入る快挙を成し遂げるのですが・・・自分を見失ってしまった結果、彼のおちゃらけた”キャラ”は崩壊してしまいます。

エピソード4ではスタート早々、とんでもないニュースが明らかにされます。女性キャストの1人が夜中に共同生活しているマンションから逃げ出したというのです。過去にリタイヤした人は何人かいますが、夜中にコッソリというのは初めてのことです。キャスト内に衝撃が走る中、生地を購入して作業室に戻って来たメンバーたちに、いきなり彼はリタイヤすることを告げます。すでに混乱しているキャストたちは、ただ唖然・・・もしかすると彼なりに、このドサクサに紛れてリタイヤしなければ、もうチャンスはないとでも思ったのかもしれません。

彼はリタイヤの理由として「自分なりの方法でファッションデザインをしたい」という”もっともらしい”言い訳をするのですが・・・正直、これには理解に苦しみます。どのような「お題」が出されるとか、どれほどの短時間で完成品を制作しなければならないとか、などは「プロジェクト・ランウェイ」を観たら明らかなこと・・・自分の好きなスタイルだけでなく、アヴァンギャルドからエレガント、太った女性から子供、幅広いデザインをこなす柔軟性が要求されることは、覚悟できたはずではないでしょうか?また、極端な時間の制約や無茶なお題にチャレンジすることを承知して、番組に参加していることが前提なのです。「厳しいファッション業界でデザイナーになる別な方法を探していきたい」という、当たり前な結論に達してリタイヤしてしまうのであれば・・・「そもそも何故、出演しようと思ったの?」と根本的な疑問さえ浮んでしまいます。

ライバルである仲間たちが、彼のリタイヤを湿っぽく引き止めたりしないのはアメリカならでは・・・サポート役であるティム・ガン氏も、自分で決めたのであれば仕方ないというサッパリとしたものです。こうして、エピソード4で唐突に、彼は番組から消えrこととなるのです。作業室を去る際の彼の行動は、残されたキャストたちの目を点にさせます。最後の最後に、おちゃらけた”キャラ”を取り戻して、彼なりの「建前」を繕ったのかもしれませんが・・・「おかしな日本人」の不可解な振る舞いとしかキャストの目にも、多くの視聴者の目にも映らなかったのではないでしょうか。

残念ながら、日本人的なメンタルの弱さと総合的なデザイン力の欠如を露呈させてしまう結果となりました。もし、彼が自らリタイヤしていなくても、遅かれ早かれドロップアウトしていたでしょう。ただ、誰もが簡単に手にすることの出来ないチャンスを得た者の使命を感じて、石にかじりついてでも頑張って欲しかったというのが、ボクを含む多くの日本人、そして視聴者の気持ちだと思います。

「プロジェクト・ランウェイ」を観るたび、過去の自分に与えられていたのかもしれない”可能性”を振り返って漠然とした後悔に襲われてしまうことがあるボクにとって・・・リタイヤした彼の姿は自分自身の姿と重なり、胸を切なく痛めて止まないのです。

「プロジェクト・ランウェイ」
WOWOWプライムにて順次放映

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2013/01/24

向田邦子の台詞を巧み紡いだ魔性の女優たち競演の舞台!・・・オリジナルの「品性」「エグさ」「斬新さ」は超えられない!~2013年舞台版、森田芳光監督映画版、NHK土曜ドラマ版「阿修羅のごとく」~


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NHK土曜ドラマ枠(午後9時から)で放映されていた「阿修羅のごとく」は、舞台となる1979年の”リアルタイム”で制作されていたこともあって、向田邦子の代名詞となっている「昭和の家庭」を懐古するようなノスタルジーさを感じさせるというよりも「”斬新なホームドラマ」でありました。テーマ曲のトルコの軍楽(メヘテルハーネ「ジェッディン・デデン」)や、本編中の楽曲は、当時のホームドラマとしては不気味なセレクションと言えます。レインボー「バビロンの城門」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「フィール・ブルー」、サンタ・エスメラルダ「悲しき願い」、シルバー・コンベンション「Get Up and Boogie」、イエロー・マジック・オーケストラ「テクノポリス」、ピンクレディー「UFO」などが、不穏な感情を揺さぶったものです。

日常に潜む”おんな”の阿修羅的な恐ろしさを描いたといわれる本作・・・四姉妹がそれぞれの心に潜ませる妬み、嫉みなどの愛想を、何気ない台詞や表情で”ミニマル”に表現されています。夫が愛人を囲っていることを長年知りつつも、知らん顔していた母親がみせる嫉妬が、一番恐ろしいです。母亡き後のパート2では、さらに四姉妹の運命は劇的な展開をしていくのですが、沈黙の中での一瞬の表情さえも見逃すことを許さない、緻密で凝縮された演出が凄いことなっています。また、父親の”柳に風”のような動じないさや、男たちの優柔不断さや頼りなさなど、”おとこ”への厳しい視線も鋭いです。


長女・綱子を演じるのは「寺内貫太郎一家」の母親役でお馴染みの加藤治子・・・長女らしい保守的なところがありながらも、どこかしら”すっとぼけ”ていて、ゆるい”エロさ”を漂わせているところが絶妙でありました。夫に先立たれて生け花の師匠として生計を立てているのですが、実は営業先の料亭・枡川の旦那と不倫中・・・その旦那を、往年の二代目俳優・菅原謙次が演じているのですから、なんとも艶っぽいわけです。優柔不断で優しい二枚目という存在自体を、せせら笑うようでありました。そして料亭の女将さんを演じているのが、三條美紀という女優さん・・・着物の似合う大御所でありますが、意地悪さ加減が、観ていて小気味良いほどです。

次女・巻子を演じるのは、八千草薫・・・品の良いお母さん役というイメージの女優さんでしたが、同時に”のほほん”とした不気味な印象もボクは持っていました。専業主婦で視聴者が一番親近感を感じやすい役柄ということもあってか、四姉妹の中では主役的な存在であったような気がします。巻子の夫の鷹男役は、パート1が緒形拳で、パート2は露口茂・・・緒形拳は飄々と演じている印象でコミカルさを感じさせるのですが、露口茂はどこかウェットでシリアスな感じで、ボク個人的には緒形拳がいい味出していたように思います。またパート2では、2013年の舞台版で巻子役を演じる荻野目慶子が、巻子の娘役で出演しています・・・ただ、現在の魔性っぷりからは想像出来ないほどの初々しさです。

三女・滝子を演じるのは、いじだあゆみ・・・ボクの世代にとっては「ブルーライト・ヨコハマ」というヒット曲の歌手というイメージが強いのですが、性に関して潔癖性なクセに、実は欲求不満の図書館の事務員という、華やかなイメージからはかけ離れた役柄が意外でした。父親の愛人調査を依頼した探偵・勝又と恋に堕ちてしまうのですが・・・勝又を演じるのが、宇崎竜童という意外なキャスティングで・・・口下手で正直者という役柄が、妙にハマっておりました。

四女・咲子を演じたのが風吹ジュン・・・今でいうグラドルみたいな存在で、歌手として歌っても吐息ばっかりで音痴、演技もけだるい感じでやる気なさそうというノリが、学生運動が終結した当時のアンニュイな雰囲気に合っていたのかもしれません。本作の中では、ソバージュの髪型、肩パッドなどの1979年~1980年当時の”今風”ファッションを体現している役柄でもありました。

四姉妹を演じる女優にも増して、スゴいのが父親を演じる佐分利信であります。威厳のある父親という、いわゆる”寡黙な親父”像そのもののような役者さんなのですが、出演作のどれを観ても似たような演技というイメージ・・・ボクは「あまり演技が上手ではない役者さんだなぁ」と思っていたのですが「阿修羅のごとく」を観て印象は変わりました。一見すると無表情でありながら、目の奥で内面を表現していたのです。物語が進むにつれ・・・愛人に振られ、妻に先立たれて、侘しさを増していく様子は惨めさをヒシヒシと感じさせます。向田邦子が描いてきた父親像というものを崩壊させている本作ですが・・・と同時にまわりの女たちの繰り広げる嫉妬や葛藤にも感情を露にしない”男のズルさ”もしっかりと覗かせています。

母親を演じた大路三千緒という女優さんについては、ボクは何も知らなかったのですが・・・元宝塚の男役スターだったそうです。ただ、本作では影の薄い専業主婦の母親を演じています。夫に愛人がいたとしても家庭を守るということが美徳ととらえられていた時代の母親・・・しかし、娘のフリをして新聞社に投書したり、愛人の暮らすアパート付近で見張っていたりと、内面では嫉妬に燃えていたというのが、向田邦子が男に対して放つ平手打ちのようです。まったく素振りを一切見せない演技が、より奥深い嫉妬の怖さを増しているのかもしれません。

オリジナルのNHK土曜ドラマ版は、演じる役者を考慮して脚本を書かれているということもあって、キャスティングは役者さんの表層的なクラクターだけでなく、深層に潜むキャラクターまでもあぶり出している”エグさ”がありました。だからこそ、観るたびにキャラクターの人間像の発見があり、制作から30数年経った今でもNHKドラマの名作として語り継がれているに違いないのです。


2003年(オリジナルドラマ放映から24年・・・森田芳光監督により「阿修羅のごとく」が映画化されます。パート2放映後から1年後に飛行機事故で向田邦子が亡くなったこともあり、本作は繰り返しNHKで再放送されていましたし、昭和という良き時代の家庭を懐かしむ風潮が高まってきたこともあったのかもしれません。ただ、森田芳光監督と豪華な配役にも関わらず、映画版は失敗作であったとボクは思っています。

まず、過去を舞台とする物語となったために、昭和的なノスタルジーを取り込もうとしたようです。確かに、本作で描かれる父親像、母親像、そして、四姉妹それぞれの物事の考え方・・・さらに、物語の辻褄上、黒電話などの小道具も重要ではあり、1979年という時代設定は無視できません。しかし、リアルタイムで生きていたボクからすると・・・1979年というのは、もはや懐かしい”昭和”を感じさせてくれるような時代ではなく、学生運動が盛んだった混乱からバブル景気への”中間点”・・・”しらけ世代”の冷めた無気力感、個性尊重の個人主義、ブランド志向などの風潮が広がっていく、実は”昭和”感から大きく脱却した時代であったのです。

ドラマのパート1とパート2の全7話のストーリーを2時間ほどにまとめるわけですから、はしょらなければならない場面が出てくるのは当たり前のことです。おおまかな物語の流れは、パート1の母の死をクライマックスにしながらも、パート2の四姉妹のエピソードを前後シャッフルして織り交ぜていくという手法をとっています。しかし、オリジナルの台詞を忠実に再現しようとするばかりに、その言葉だけが残っていて、その背景にある感情が希薄になってしまった印象です。

キャスティングにも問題があったように思います。それぞれの役柄に合った役者を起用しようとしたのでしょうが・・・逆に周知の”キャラクター”を前面に押し出すだけになってしまった気がします。長女役の大竹しのぶは、デビュー時代は”田舎臭い娘役”で天才女優の名を欲しいままにしていました。しかし、人生を重ねるうちに上手な演技と呼ばれてきた芝居もある種パターン化してきて・・・身持ちの悪い役を演じさせると、下品さだけが目立つようになってきました。長女は、確かに料理屋の旦那とカラダの関係を断ち切れないのですが、生け花の師匠で未亡人という”気品”も共存しているはず・・・その”品”が、大竹しのぶには絶望的に欠けているのです。また、料理店の女将を演じる桃井かおりも、下品さでは大竹しのぶに負けていなくて・・・二人が対決する場面は場末のホステス同士の喧嘩のようです。

次女役の黒木瞳にしても、三女役の深津絵里にしても、それぞれの役のイメージに合わせたキャスティングなのかもしれませんが、それまで演じてきた役柄の延長線上という感じです。四女役の深田恭子に至っては演技が下手で話になりません。父親役の仲代達矢も、母親役の八千草薫も、四姉妹の物語の背景のような扱いをされているので、生かされていないキャスティングです。一番ヒドいのは三女と付き合う探偵の勝又役の中村獅童・・・監督の指示なのか、中村獅童の役作りなのかは分かりませんが、口下手で正直者という以上に、落ち着きがなく吃るという変なキャラクターになってしまっています。その演技が、あまりにも大袈裟で、まるで障害者を滑稽に真似しているかのよう・・・観ていて不謹慎に感じました。映画版のキャスティングで良かったのは、長女の夫・鷹男役の小林薫と、長女の不倫相手の料理屋の旦那役の坂東三津五郎ぐらいでしょうか?残念ながら・・・映画版「阿修羅のごとく」は、オリジナルドラマファンのボクにとっては残念な作品でした。


「阿修羅のごとく」が、初めて舞台化されたのは・・・小説版「阿修羅のごとく」の文庫あとがき(南田洋子著)によると、1999年6月のようなのですが、ネットで調べても詳細が分かりません。南田洋子が母親役、長門裕之が父親役を演じていたようですが、四姉妹を誰が演じられたのか分かりません。2004年に、再び、南田洋子の母親役、長門裕之の父親役で、芸術座で公演されています(2006年の博多座で再演では、母親役は水野久美、父親役は天田俊明)。長女・山本陽子、次女・中田喜子、三女・秋本奈緒美/森口博子、四女・藤谷美紀/細川ふみえ、鷹男・国広富之、勝又・渋谷哲平というキャスティングというのは、商業演劇らしい気がします。どちらの舞台もボクは観ていません。

さて、先日観に行った2013年版舞台「阿修羅のごとく」は・・・母親・加賀まりこ、長女・浅野温子、次女・荻野目慶子、三女・高岡早紀、四女・奥菜恵という”魔性の女優”ばかりを集めた確信犯的なキャスティングに、興味を惹かれてしまいました。

母親役に”加賀まりこ”というのが”ありえない”気がします。”おんな”として枯れてしまった役柄を演じるには、69歳であっても加賀まりこは瑞々しい”現役感”ありすぎの印象・・・白菜のお漬け物を漬けるイメージからも程遠く、嫉妬に燃えながらも夫の浮気に絶えたりせずに凄い剣幕で愛人宅に怒鳴り込みそうです。ただ、年を取っても若い役を演じられる舞台の魔法が逆に作用して”老け役”に挑んだという感じでしょうか?

長女役の”浅野温子”が「未亡人」の「生け花の師匠」というのは、かなり無理・・・未亡人の枯れたエロスもなければ、生け花の師匠らしい気品もなく、不倫することなんか全然気にしなさそうな”あっけらかん”としているイメージしかありません。目力の強いデビュー時代には男性ファン、W浅野時代には女性ファンを獲得していた浅野温子も、その後は迷走し続けているような感じがします。この舞台では「サザエさん」役を彷彿させるコミカルな演技をみせています。

次女役の荻野目慶子が、専業主婦というのもシュールです。まったりとした独特のエロさは、長女役に適しているような気がするのです。夫の浮気を疑う様子は妙におどろおどろしいし、夫を問い詰める様子は変に甘えているようで・・・隠せないエロさが滲み出てしまっています。三女役の高岡早紀は、いい意味で、高岡早紀っぽさを消して役柄になりきっていた印象でした。四女役の奥菜恵は、頑張り過ぎて下品で派手なオバサン(?)みたいになってしまっていました。この5人の女優よりも異彩を放っていたのが・・・長女の浮気相手の奥さんを演じていた”伊佐山ひろ子”でした。長女とのやり取りでは、完全に浅野温子を制圧してしました。

さて・・・全7話のテレビドラマを、どうやって2時間ちょっとの舞台にするのか?場面が頻繁に変わる展開を、どうのような舞台装置を使うか?というのが、ボクは大変興味がありました。舞台は15分の休憩を挟んで、1部と2部に分かれているのですが・・・1部でパート1、2部でパート2の物語を追っていきます。時間的にかなり凝縮されているので、全体的にドタバタ感があって展開のペースが早いです。ただ、向田邦子の書いた台詞を言うだけでは感情が伴わなくなってしまいますが、巧みに時間軸や場面を変更して、生きた台詞として紡いでいたのには驚きました。また、舞台という制約もあるなかで、記憶に残っていたキーポイントとなるドラマの場面も殆ど再現されていました。

今回の舞台版の脚本の巧みさだけでなく、舞台セットも複数に進む物語を効果的にみせることに成功していた気がします。真ん中に大きな茶の間、その左横に出入り口のある茶の間(長女宅の茶の間)、左上にダイニングテーブル(次女宅の食堂)、右脇に病室や外など自在に変化する空間、右上に小さな茶の間(四女の部屋)、その茶の間の奥に土手・・・という風に舞台上に6つの空間を設けることで、めまぐるしく場面の変わる物語を手際良くみせていました。

舞台としての完成度は決して低くはありません。興業として考えた場合、今回のキャスティングというのは、ボクのようなオリジナル版のファンの興味も惹いたわけですから、成功と言えるのかもしれません。ただ・・・焼き直されるたびに失われていく「品性」「エグさ」「斬新さ」を、改めて確認してしまうことも事実なのです。


「阿修羅のごとく」
1979年、1980年/テレビドラマ
演出 : 和田勉、高橋康夫、富沢正幸
出演 : 加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュン、佐分利信、大路三千緒、緒形拳(パート1)/露口茂(パート2)、宇崎竜童、荻野目慶子(パート2)

パート1/1979年1月13日~1月27日放映
パート2/1980年1月19日~2月9日放映

「阿修羅のごとく」
2003年/映画
監督 : 森田芳光
出演 : 大竹しのぶ、黒木瞳、深津理絵、深田恭子、八千草薫、仲代達矢、小林薫、中村獅童、桃井かおり、坂東三津五郎

2003年11月3日劇場公開

「阿修羅のごとく」
2013年/舞台
演出 : 松本祐子
出演 : 浅野温子、荻野目慶子、高岡早紀、奥菜恵、加賀まりこ、林隆三、伊佐山ひろ子

2013年1月11日~1月29日 ル・テアトル銀座/東京
2013年1月31日~2月3日 森ノ宮ピロティホール/大阪
2013年2月9日~2月10日 名鉄ホール/愛知 


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