2017/10/22

フランスの新鋭女性監督ジュリア・ディクルノー(Julia Ducournau)による「ジンジャースナップス」的なカニバリズム映画・・・少女の”性の目覚め”と”呪わしい血族”の物語~「ロウ(原題)/Raw(英題)/Grave(仏題)」~


近年、女性の映画監督も増えてきて珍しい存在ではなくなってきたこともあり、わざわざ「女性」という”冠言葉”は不要になっている気がします。しかし、間違いなく「女性」を感じさせる映画作品もあるのです。

フランスの新鋭監督ジュリア・ディクルノー(Julia Ducournau)による長編第一作となる「 ロウ(原題)/Raw(英題)/Grave(仏題)」は、少女から女性への成長とカニバリズムへの目覚めを、並列に描いていくというホラー(青春?)映画・・・ひとつ違いの姉妹という設定から思い起こされるのが、2000年に制作されたカナダの狼女映画「ジンジャースナップス/Ginger Snaps」であります。


この「ジンジャースナップス」は、日本では劇場未公開ではあったものの、翌年(2001年)にDVDリリース・・・しかし、何故かレンタルショップに並ぶこともなく廃盤となってしまったため、現在は視聴困難。(こういう作品こそネット配信して欲しい!)ただ「ジンジャースナップス」はシリーズ化され、2004年には続編となる第2作目と外伝的な第3作目が製作されています。しかし、日本では第3作目の「ウルフマン/Ginger Snaps Back: The Begining」がDVDリリース後に「ウルフマン」の続編かのように第2作目の「ウルフマン・リターンズ/Giger Snaps 2: Unleashed」がDVDリリースされたものですから、少々ややこしいことになってしまっているのです。

16歳で初潮を迎えた(かなり遅め?)ジンジャーは、ひとつ違いの妹ブリジットと自殺死体を演じて写真を撮るのが趣味という仲良し姉妹・・・「大人の女性になること」は拒否しているところもあり、学校ではイジメの対象にされているゴスロリ系のオタクです。ある夜、謎の獣に襲われたジンジャーは、治療しなくても時間が経つと自然に傷が癒えたり、傷口から剛毛が生えてきたりと、明らかに初潮とは関係のない変化が現れるのですが・・・それと同時に、急に女性らしくなりオタク系からセクシー系に変貌していきます。監督は男性ではありますが、脚本を担当したのはカレン・ウォルトンという女性なのですが、生理で血まみれになったパンティや足元にボトボトと垂れる血の描写などは「女性ならでは」と感じてしまうのです。


ジンジャーを襲った獣の姿はハッキリとした姿も分からならないのですが(低予算映画だから?)、狼に似た獣だったようで狼男ならぬ”狼女”へ変化していく過程と少女が女性へと変化していく第二次性徴期と重ねて描かれていくわけであります。狼女に変貌していく姉のジンジャーに、それを抑制するワクチンを打って何とか助けようとする「姉妹愛」の物語ともとらえられるのですが・・・みどころはオタク少女だったジンジャーが、狼女へと変貌していくにつれて、それまで拒否していた大人の女性(それも魔性のヤリマン!)へとなっていく過程かもしれません。


ネタバレになりますが・・・最後には少女どころか女性の姿ではないバケモノにジンジャーがなってしまうところは、デヴィット・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」を彷彿させます。「ジンジャー・スナップス」の後日談である「ウルフマン・リターンズ」では、ブリジットが狼女への変貌していくのではないかと怯える姿が・・・そして、外伝的な「ウルフマン」では、この姉妹の逃れられない因縁が時代を遡って描かれます。大人の女性へと成長する過程(第二次性徴期)と、ある種のモンスター化が並列している描くという視点から、ジュリア・ディクルノー監督が「ジンジャースナップス」を意識していたのかは分かりませんが・・・「ロウ」には「ジンジャースナップス」以外にも過去の映画作品(主にホラー映画)へのオマージュがあるのです。


「ロウ」の主人公のジャスティン(ギャランス・マリリエ)は気弱な少女・・・厳格なベジタリアンとして育てられてきた彼女は、父(ローレン・リュカ)と母(ジョナ・プレシス)から少々過保護に育てられてきたようで、誤ってマッシュポテトの中にウインナーが入っていたことをレストランで強く抗議してくれるのも母親だったりします。両親が卒業した獣医大学には、既にひとつ年上の姉アレクサ(エラ・ランプ)が通っており、ジャスティンも実家を離れて大学の学生寮に入ることとなるのです。

学生寮での初めての夜、覆面姿の上級生がいきなり部屋にと突入してきて、部屋から追い出されてしまいます。ルームメイトに女子を希望していたにも関わらず、ジャスティンのルームメイトとなったのは、性的に奔放なゲイ男子のエイドリアン(ラバー・ナイ・オフェラ)・・・そんなことに戸惑っている間もなく、新入生歓迎の洗礼儀式が始まります。蛍光灯だけの暗い外廊下を、四つん這いで移動させられる様子は、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「ソドムの市」のワンシーン(若者達が肛門チェックのために集められる場面)を彷彿とさせます。ただ、目的地に着いてみれば学生達が踊りまくる歓迎パーティーではあったのですが・・・。


新入生たちに上級生たちからの洗礼は続きます。真新しい白衣を着た新入生たちは、頭の上から動物の血を浴びせられるのです。コレは言うまでもなく、ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」の有名なシーンを連想させます。先輩から後輩への”イジメ”がフランスにもあったんだと驚いてしまいましたが、アメリカの大学でも新入生への洗礼儀式があったりするので、世界的には珍しいことではないのかもしれません。そう考えると・・・無理に飲酒させるような飲み会などなくなった日本の大学というのは、随分と優しいと思えてしまいます。


血を浴びせられた後、新入生たちは列に並ばされてウサギの肝臓を”生”で食べることを強いられることになるのですが、ベジタリアンのジャスティンにとって動物の内蔵(それも生!)を食べるなんてアリエナイ事・・・しかし、同じく厳格なベジタリアンとして育てられたはずの姉のアレクサは平然と食べてしまいます。さらに「食べた方があなたにも良いんだから」と、ジャスティンの口に生肝臓を押し込んで食べさせてしまうのです。

奇妙なのが・・・血だらけのままシャワーさえ浴びずに、その後、新入生たちがランチしたり、授業でテストをしたりしているところ。主人公が学校に入学してみると妙なしきたりがあったりとか、不吉なムードを漂わせるところは、ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア」を思い起こさせます。

生肝臓を食べた夜、ジョスティンにはアレルギー反応が現れるのですが、翌日には”かさぶた”になって、まさにジャスティンは”ひと皮”剥けてしまうわけです。気付くと”肉”を食べたい衝動にかられてしまうジャスティン・・・カフェテリアでハンバーグを万引きしてしまったり、ルームメイトと肉入りのサンドウィッチを食べに出かけたり、夜中に冷蔵庫に入っている生のチキンをこっそり食ったり・・・挙げ句の果てには、自分の髪の毛を食べた毛玉を吐き出したりします。この時期の少女の摂食障害とも重なるような描写です。

ここからネタバレを含みます。


ある晩、自分の変化に悩むジャスティンは姉アレクサの部屋と訪ねるのですが・・・そこで「ブラジリアンワックスやってないなんてありな~い」ということになり、早速ビキニラインのお手入れをすることになるのです。お股のクロースアップ(ムダ毛までありありと!)の脱毛シーンの生々しさは、やはり(?)女性監督ならではかもしれません。


ワックスが剥がれないので、ハサミで毛を切ろうとするアレクサを、ジャスティンが足で蹴ったところ・・・誤ってアレクサは中指を切り落としてしまいます。切り落とされた指先は、そっくり見つかったものの、救急員が到着するまでの間・・・何故かジャスティンは、その指を食べたい衝動にかられて、まるで手羽先を食べるかのように姉の指先の肉に食らいついてしまうのです。ジャスティンの中で、カニバリズムのスイッチが入った瞬間であります。


退院後、アレクサはジャスティンを人気のない並木道沿いへ連れて行きます。すると、アレクサは急に走行中の車の前に飛び出すのです。避けようとした車は路側の木に激突・・・運転手は血だらけでほぼ即死状態となってしまいます。そういえば・・・本作の冒頭のシーンは同じような場面だったのですが、ここでやっと”その意味”が分かるわけです。実はアレクサもカニバリズムの嗜好を持っていて、このように自動車事故を起こしては、死にたての運転手の肉を食べて欲求を満たしていたということ・・・それを、わざわざ実践してジャスティンに教えたのであります。


次第に、カニバリズムの欲求を自覚していくジャスティン・・・その矛先は、ルームメイトのエイドリアンに向けられます。垢抜けなかったジャスティンは、化粧も、着る服も、態度も、聞く音楽の趣味も、急にセクシーになっていき、性欲にも目覚めるという展開は「ジンジャースナップス」を思い起こさずにはいられません。

ジャスティンが就寝中、シーツの中で何者かに襲われる妄想に囚われる姿は、まるでウェス・クレイヴン監督の「エルム街の悪夢」のワンシーンのようですし・・・寮の一室で行なわれているパーティーでは、青や黄色のペンキをぶっかけ合って騒いでいるのですが、これはジャン=リュク・ゴダールの「気狂いピエロ」を思い起こさせます。このように「ロウ」には、様々な映画のオマージュとも思えるシーンがあるのです。


パーティーで知り合った男子学生の唇を思わず噛み切ってしまったジャスティンは、もうカニバリズム欲=性欲を抑えられません。部屋に戻ると、ゲイのルームメイトのエイドリアンにのしかかって、ヤリ始めるのですから・・・。性的興奮が高まってくるとカニバリズム欲も高まるようです。何とか自分の腕に噛み付いて我慢するものの、明らかにモンスター化しています。


肉体関係をもったことで、エイドリアンを男性としても、獲物としても(?)ロックオンしたジャスティン・・・しかし、ゲイのエイドリアンにとっては、一夜限りのハプニングでしかありません。まだまだ”女の子”の一面のあるジャスティンは傷つき荒れて、パーティーで泥酔してしまうのですが・・・そんな妹をアレクサは(死体を使って!)からかうのです。それを知ったジャスティンはアレクサに掴み掛かり、お互いを(まさに)噛みつき合う大喧嘩になってしまいます。

翌早朝、新入生を集合させるためのサイレンで目が覚めたジャスティン・・・ベットの横にはルームメイトのエイドリアンが寝ています。しかし、掛け布団をはがすとエイドリアンは息途絶えていて、太ももを噛みちぎられていているのです。もしかして、自分が襲ってしまったのではと、不安になるジャスティン。実は、就寝中にアレクサによって、エイドリアンは食べられていたのです。カニバリズム欲を満たして呆然としているアレクサ・・・そんな姉を責めきれないのは、二人が共有する哀しきカニバリズムの宿命をジャスティンが理解したからなのでしょうか?


当然のことながら、アレクサは逮捕されて勾留されます。実家へ戻ったジャスティンは、再び厳格なベジタリアンの生活に母親から強いられるのですが・・・そこで、カニバリズムは母親からの遺伝であることを、父親の”ある行動”で知らされることになるのです。「ジンジャースナップス」だと思っていたら・・・なんと”オチ”は「肉」(2013年のカニバリズム映画)だったのであります!


本作はホラー映画にジャンル分けされる作品ですし、多少ゴアっぽい描写もあります。しかし「ジンジャースナップス」がそうであったように、作品の印象は少女の心を丁寧に描写していくカミング・オブ・エイジの青春映画でもあるのです。そして「カニバリズムの目覚め」と「大人への成長」を同列で語ることにより、誰もが通り過ぎた危うい十代を思い出させるかもしれません。


「Raw ロウ(英題)」
原題/Grave
2017年/フランス、ベルギー
監督 : ジュリア・ディクルノー
出演 : ギャランス・マリリエ、エラ・ランプ、ラバー・ナイ・オフェラ、ローレン・リュカ、ジョナ・プレシス
2017年6月25日フランス映画祭2017にて上映
2018年、日本劇場公開予定


「ジンジャースナップス」
原題/Ginger Snaps
2000年/カナダ
監督 : ジョン・フォーセット
脚本 : カレン・ウォルトン
出演 : エミリー・パーキンズ、キャサリン・イザベル、クリス・レムシュ、ミミ・ロジャース、ジェシー・モス
日本劇場未公開/2001年7月25日、日本版DVDリリース


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2017/09/01

オノ・ヨーコ出演のセクスプロイテーション映画を監督したマイケル・フィンドレイ(Michael Findlay)の因果応報な運命とオノ・ヨーコ(Yoko Ono)の炎上人生・・・ひとつの映画で交差した全く無関係な二人のはなし~「サタンズ・ベット(原題)/Satan's Bed」~


1960年代は、さまざまな分野で革命が起こった時代・・・映画の世界でもヌードや性表現の規制が緩和され、”セクスプロイテーション映画”が量産されたのも、この時代です。女性の裸を売りモノにした「ヌーディスト・キャンプ/Nudist Camp」、エッチなコントと女性の裸が売りの「ヌーディー・キューティー/Nudie Cutie」などは50年代末期に誕生していますが・・・その後、男性が女性を暴力的に扱う「ラフィーズ/Roughies」と呼ばれるジャンルに派生していくのです。

早い時期から”ラフィーズ”のセクスプロイテーション映画を手掛けて、悪名高かったマイケル・フィンドレイは、ニューヨークを拠点としたアンダーグランドの映画監督・・・1964年、女性を拉致して乱暴するという「ボディ・オブ・フィーメール(原題)/Body of a Female」で映画監督としてデビューして、その翌年、オノ・ヨーコ出演の「サタンズ・ベット(原題)/Satan's Bed」を発表するのです。


オノ・ヨーコというと・・・先日(2017年8月17日)放映されたNHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」で、スゴイ家系の出身であることや、数々の困難を乗り切った人生であったことが語られていましたが、最初の結婚についてはナレーションで触れられただけ・・・二度目の結婚や娘の存在については全く触れられることはありませんでした。ジョン・レノンと結婚する前、オノ・ヨーコは2度の結婚/離婚をしていて、ショーン・レノンの誕生以前に娘を一人もうけており・・・奔放とも言える人生を歩んでいるのです。

オノ・ヨーコは、父の仕事の関係でアメリカと日本を行き来しながら成長したバリバリの”帰国子女”・・・1953年(20歳のとき)に家族でニューヨーク近郊に引っ越して、お嬢様学校としてアメリカでも有名なサラ.ローレンス大学に入学します。大学在学中にジュリアード音楽院に留学していた一柳慧と出会い、1956年に家族の反対を押し切って結婚(大学も退学)するのです。


当時、ニューヨークのダウンタウンで流行っていたビートニクスだけでなく・・・前衛芸術の活動には、夫の一柳慧の影響は少なからずあったようです。特に、一柳慧を通じて知り合った実験音楽家ジョン・ケージの影響を強く受けたことは明らかで・・・オノ・ヨーコの前衛芸術の基礎となる”ハプニング”に依存した「偶然性や観客参加による不確定性」は、ジョン・ケージの音楽理念そのものだったりします。現代音楽家らとの交遊関係の中で、オノ・ヨーコは新鋭の女性芸術家としてニューヨークで頭角を現していくのです。


1962年、ニューヨークで活躍し始めていたオノ・ヨーコは、日本を拠点にすることを考えます。何故、評価を受けていたニューヨークを離れて、日本に戻ろうと考えたのかは分かりませんが・・・夫だった一柳慧が1961年に日本に帰国していることから、彼についていったということも考えられます。帰国後、オノ・ヨーコの代表作ともなった観客が衣服をハサミで切り取るパフォーマンス・アートの「カット・ピース」、詩的な言葉の”指示”よるコンセプチュアルアートの「グレープフルーツ」の自費出版、現代音楽家とのコラボレーション・パフォーマンスなど発表するのですが・・・前衛芸術に理解の乏しかった日本では、全く理解されることはありませんでした。

日本での酷評にショックを受けてノイローゼ気味になったオノ・ヨーコは、自殺を図ります。家族と夫の一柳慧により精神病院に入院させられて、孤独感を強めていったといいます。そんな入院中、毎日花束を持って面会を申し込んでくる男性が現れるのですが・・・これが、ニューヨークでオノ・ヨーコの作品に感銘を受けて、彼女を捜して日本に来日していたアメリカ人映像作家のアンソニー(トニー)・コックス(Anthony Cox)だったのです。退院後、二人はすぐさま男女の関係になってしまいます。その後、早々にアンソニー・コックスとの再婚となるのは、オノ・ヨーコの妊娠が判明したから・・・一柳慧との離婚成立後の1963年6月にオノ・ヨーコは再婚、同年8月に長女キョーコを生むのです。


1964年、オノ・ヨーコはアンソニー・コックスと共にニューヨークへ戻ります。その頃から、アンソニー・コックスは”プロモーター”として、オノ・ヨーコの前衛芸術活動をサポートするようになっていくのです。渡米から2年後の1966年、オノ・ヨーコはロンドンの現代芸術協会の招きで、イギリスを訪ねることとなります。当時の活気あるロンドンの若者カルチャーに触れて、オノ・ヨーコは夫アンソニー・コックスに支えられながら、活動の拠点をロンドンに移すことを決断するのです。

1966年11月、オノ・ヨーコの個展を訪れたジョン・レノンとオノ・ヨーコは、恋に落ちてしまいます。ジョン・レノン27歳、オノ・ヨーコ35歳の1968年、娘キョーコと共に二人は同棲をスタート・・・当時、ジョン・レノンも結婚していたので、ダブル不倫の関係になります。夫アンソニー・コックスは娘のキョーコを誘拐・・・二人の関係は泥沼化していくのです。それでも何とか、それぞれの離婚が成立・・・1969年に二人は有名な”ベットイン”のパフォーマンスをして正式に結婚します。そして、翌年1970年にビートルズは解散・・・オノ・ヨーコはビートルズを分裂させた原因であるとされて、世界で最も嫌われる女性となったのです。

ただ、ジョン・レノンとの再々婚後も麻薬問題やら女性問題やらがあって、ふたりの結婚生活は平坦だったわけではありません。1973年頃・・・メイ・パン(May Pang)という中国人女性に、ジョン・レノンの愛人になるように頼み込み、ロサンジェルスで二人を同棲させて(オノ・ヨーコはニューヨークで別居)、結果的に離婚危機を回避したことさえあるのですから・・・。その後、性生活を取り戻したオノ・ヨーコとジョン・レノンの間にショーン・レノンが誕生するのは、1975年、オノ・ヨーコ42歳のときです。


ジョン・レノン没後、オノ・ヨーコにはインテリアデザイナー(アンティークディーラー?)のサム・ハヴァトイ(Sam Havadtoy)という長年同居するパートナー(おそらくオノ・ヨーコと最も長期に渡る関係を持つ男性)が存在するものの、彼と再々々婚しないのは「ジョン・レノンの未亡人」というタイトル(立場)を失いたくないから・・・と邪推してしまうのは少々意地悪でしょうか?ちなみに「ファミリーヒストリー」では触れられなかった娘キョーコですが・・・オノ・ヨーコと和解して、現在ではショーン・レノンを交えて家族ぐるみで付き合いがあるそうです。


欲望のままなのか、行き当たりばったりなのか、それとも戦略的に男を乗り換えていったのかは分かりません。「強くて独立している女性」「過激なフェミニスト」としてして知られるオノ・ヨーコらしくない生き方のように思えますが・・・結果的に、結婚した男性たちの社会的な立場や人脈のネットワーク、芸術的な才能や社会的な影響力によって、彼女自身の人生をステップアップしていったことは確かです。ただ、世間から”やることなすこと”厳しく批判され、常にバッシングを受ける”炎上人生”であったことを考えると・・・十分すぎるほどの贖罪(?)を果たしている気もします。


オノ・ヨーコについて長々と書いてしまいましたが・・・マイケル・フィンドレイ監督の「サタンズ・ベット」が公開されたのは1965年のことであります。アンソニー・コックスとの再婚後にニューヨークに戻ってきた後、おそらくオノ.ヨーコが31、2歳の時に撮影されたようです。タイトルに監督名のクレジットはありせんが、本作はマイケル・ファンドレイ監督作品とされています。実は、タミジアン(Tamijian)という映像作家による未完成の「ジューダス・シティ(原題)/Judas City」という映画に、マイケル・ファンドレイが別に撮影した映画を編集で加えて、一本の映画として完成させたという経緯があるのです。

「サタンズ・ベット」は、ニューヨークに住む麻薬売人の男のところに、嫁として日本人女性(オノ・ヨーコ)が港に到着するところから始まります。夫となる男は、売人から足を洗おうとしているのですが、元締めはそうはさせるものかとしているようです。彼女はマンハッタンのホテルに滞在しているのですが、そのホテルの従業員は、彼女を人種差別的な扱いしたり、彼女の金を盗んだり・・・遂には、彼女は強姦されてしまいます。必死に路上へ逃げだしたところ、彼女は車に轢かれてしまいます。


オノ・ヨーコの役には、英語の台詞は殆どなくカタコト程度で、日本語の台詞は棒読み・・・正直言ってかなりの大根役者っぷりです。この日本人女性の物語が「ジューダス・シティ」という映画だったようなのですが、強姦シーンでカメラがパンしてしまうなど、セクスプロイテーション映画としては少々パンチ不足で未完のまま・・・そこで撮影済みのフィルムの権利を、マイケル・フィンドレイが買い取ったというわけです。


マイケル・フィンドレイは、男女三人の若者たちが次から次へと女性を襲って犯していくという・・・「ジューダス・シティ」とは、まったく関係のない映画を撮影して、二つの映画を編集でミックスしたのであります。照明や撮影技術のクオリティーは「ジューダス・シティ」の方が明らかに高く、別撮りした部分は音声はアフレコ(撮影現場で録音しないので安上がり)になっているのですが・・・マイケル・フィンドレイが得意とする”ラフィーズ/Roughies”ならではの暴力描写を加えたことで、公開にこぎつけた作品だったのです。とは言っても、公開当時、決して商業的に成功したわけでもなく、評価が高かったわけでもありませんが。

ちなみに、マイケル・フィンドレイとオノ・ヨーコは一度も会ったことはないそうで・・・オノ・ヨーコは意図せずにセクスプロイテーション映画に出演したことになってしまったのです。ただ、オノ・ヨーコの役は、当時のアメリカ人の日本人女性のステレオタイプだったと思われる「ひと言も英語が理解できない」「金を取られても分からない」「襲われても拒絶できない」という人種差別的な設定・・・オノ・ヨーコ本人の生き方や思想とは反する役柄であることは脚本からも明確だったはずなのに、出演の承諾をしたのは奇妙なことです。後年、オノ・ヨーコ唯一の”女優”としての映画出演として語ち継がれることになるとは、彼女も思ってもいなかったことでしょう。


「サタンズ・ベット」を撮った後、マイケル・フィンドレイは次々と”ラフィーズ”を手掛けます。マイケル・ファンドレイ自身が、妻に浮気された腹いせに、ストリッパー、ゴーゴーダンサー、売春婦の女性たちを様々な道具で殺害して復讐するという陰湿な主人公を演じた「ザ・タッチ・オブ・ハー・スキン(原題)/The Touch of Her Flesh」は、クラシック音楽と詩的で残忍なモノローグという組み合わせが独特で・・・ところどころにストリップ映像が挿入されるというセクスプロイテーション映画的なサービス精神満載の作品です。

「ザ・タッチ・オブ・ハー・フレッシュ」は商業的に成功して・・・「ザ・コース・オブ・ハー・フレッシュ(原題)/The Curse of Her Flesh」「ザ・キス・オブ・ハー・フレッシュ(原題)/The Kiss of Her Flesh」という続編もつくられます。これら”フレッシュ(Flesh)”三部作は、マイケル・フィンドレイ代表作となるのです。これら”ラフィーズ”の作品の監督クレジットは、ジュリアン・マーシュ(Julian Marsh)になっており、出演、撮影、脚本、音楽など担当している妻のロベルタ・ファンドレイは、アナ・リーヴァ(Anna RIva)など、複数の名義を使い分けてクレジットされています。

基本的にフィンドレイ”夫妻”二人によって、制作、監督、脚本、編集、音楽、撮影、照明など、ほぼ映画製作の全てを行なっていたのですが・・・これは、彼らが様々な才能に恵まれていたということではなく、単純に資金的な理由だと思われます。。そんなわけで、どのマイケル・フィンドレイ監督作品も、映画としてのクオリティーは素人レベル・・・暴力とエロのギミック”だけ”が売りの低俗映画としか評価されていなかったのです。ただ、1960年代後半のニューヨークのアンダーグランドの空気感を、生々しく伝える”タイムカプセル”のような役目は果たしているのかもしれません。


1971年・・・フィンドレイ夫妻は、アメリカよりも資金が少なくても映画を撮れるアルゼンチンへ行って「ザ・スローター(原題)/The Slaughter」をつくります。これは、カルト集団の若い女性たちが次々と殺人しまくるという・・・マイケル・フィンドレイ”らしい”作品ではあったのですが、あまりのデキの悪さに限られた上映が行なわれただけで、配給会社の判断でお蔵入りしてしまいます。


1974年「シュリーク・オブ・ザ・ミューティレイテッド(原題)/Shriek of the Mutilated」というイエティ(雪男)調査隊の学生たちが次々襲われるという低予算のモンスター/ホラー映画を”マイク・フィンドレイ”という名義で監督。ニューヨーク近郊でイエティ捜索するというのもアリエナイ設定なのですが、実は、調査隊の教授が率いるカルト集団の男が、イエティの着ぐるみを着て人々を襲っていたという”オチ”で・・・「サイテー映画」として、おもしろがる以外に存在価値のない(?)作品であります。


その後、フィンドレイ夫妻は映画をつくる機会さえもなくなっていったのですが・・・思いもしない形で、マイケル・ファンドレイ監督作品が世界的に公開されることとなるのです。それが、本物の殺人映画として世の中を騒がせた「スナッフ/Snuff」であります。これは、お蔵入りしていた「「ザ・スローター」のタイトルやクレジットを外して、撮影終了直後の撮影現場で、主演女優が撮影スタッフよって惨殺されるというエンディングを付け加えられた作品だったのです。


1976年にアメリカや日本で公開されて・・・「本物か、トリックか」という宣伝が話題になり(そこそこ?)ヒットします。注意深く観れば・・・別の女優に入れ替わっているし、複数のカメラで撮影が切り替わるし、血糊があまりにも赤過ぎるし、手や胴体が模型であることも分かるのですが・・・後年、都市伝説のように「スナッフ」は、殺人映画として語り継がれることになったのです。

かつて、マイケル・フィンドレイが他人の撮影した「ジューダス・シティ」という映画に、勝手に自分の映画を編集で加えて「サタンズ・ベット」を完成させたように・・・自分の撮影した「ザ・スローター」という映画に、勝手な結末を付け加えられて「スナッフ」が完成されたとは、因果応報としか言えません。クレジットを外された夫妻には興行収入も入ってくるわけもなく、夫妻は配給会社のオーナーを告訴すると脅します。結果的に示談で決着はつくのですが・・・その後、妻のロベルタ・フィンドレイは夫を捨てて、「スナッフ」の配給会社のオーナーとくっついてしまうのです。ロベルタはハードコアポルノやホラー映画の製作、監督、脚本、撮影をして、1980年代後半まで映画界で活躍。その後、音楽スタジオを経営する別な男性と再婚して、現在は音楽業界で活躍しているそうで・・・男性の影響で、あらゆる業界で活躍するところは、オノ・ヨーコ的な強さを感じます。


映画製作においての最大の協力者であった妻ロベルタを失ったマイケル・フィンドレイは・・・ジョン・アメロ(John Amero)という1960年代~70年代にセクスプロイテーション映画の監督や出演をしていた人物と、フランシス・エリー(Francis Ellie)という共同名義でゲイポルノ映画を4本「マイケル、アンジェロ・アンド・デヴィット(原題)/Michael, Angelo and David(1976)」「Kiss Today Goodbye(1976)」「ポイント・メー・トゥワード・トゥモロウ(原題)/Point Me Toward Tomorrow(1977)」「クリストファー・ストリート・ブルース(原題)/Christopher Street Blues(1977)」を発表します。

1972年にハードコアポルノがアメリカで解禁されたことにより、当時のストレートのハードコアポルノ業界は、1960年代にセクスプロイテーション映画をに関わっていた映画人たちの受け皿となっていた”はず”なのですが・・・マイケル・フィンドレイが、監督だけでなく、制作、撮影、編集まで担当して、ストレートポルノではなくゲイポルノに参入したというのは、ちょっと不可解ではあります。

フランシス・エリー名義のゲイポルノには、暴力的な描写はなく・・・マイケル・フィンドレイ”らしさ”は微塵もありません。特に「キス・トゥデイ・グッバイ(原題)/Kiss Today Goodbye」は、当時のゲイポルノの中でも王道の恋愛ストーリーとして知られる名作だったりします。ちなみに、共同監督であったジョー・アメロの兄のレム・アメロ(彼も1960年代からセクスプロイテーション映画の監督や出演していた)が、カメオ出演(キス・トゥデイ・グッバイ)したり、衣装(ポイント・メー・トゥワード・トゥモロウ、クリストファー・ストリート・ブルース)を担当していることから、ストレートの映画仲間たちが集まって、ゲイポルノを作っていたという事だったのでしょうか?


1977年、マイケル・フィンドレイは39歳で、突然亡くなります。前年に制作した「ファンク 3ーD(原題)/Funk 3-D」という3Dハードコアポルノのために発明した3Dカメラを、フランスの投資家に売り込むために、ジョン・F・ケネディ空港へ向かう途中、パンナムビル(現・メットライフビル)の屋上からヘリコプターに乗ろうとして、事故に巻き込まれたのです。ヘリコプターの機体の片側がビルに接触して、外れたローター羽根によって体を切断されてしまったそうで・・・これまた因果応報としか思えないような壮絶な亡くなり方であります。なお、この3Dカメラを使用して、台湾では「リベンジ・オブ・ザ・ショーグン・ウーメン(原題)/Revenge of The Shogun Women」と 「ダイナスティ(原題)/Dynasty」という2作品が撮影されているそうです。

正統派の映画史で論じられることなど”まずない”マイケル・フィンドレイ監督ではありますが・・・彼の辿った運命は、彼自身が出演し監督した映画よりも、興味深く、どこかしら切ない気持ちにもさせられます。ちなみに、マイケル・フィンドレイの死後、ジョン・アメロはフランシス.エリー監督名義を使用し続けて・・・「ネイビー・ブルー(原題)/Navy Blue(1979)」「ザ・デス・オブ・スコーピオ(原題)/The Death of Scorpio(1979)」「ブーツ・アンド・サドル(原題)/Boots & Saddles(1982)」など、ゲイポルノ黎明期の名作と呼ばれる作品を監督しているというのも・・・”美談”として受け止めるべきなのか、なんとも妙な気持ちにさせられるのです。

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マイケル・フィンドレイ(Michael Findlay)監督のフィルモグラフィー


1964 Body of a Female(ジュリアン・マーシュ名義)
1965 The Sin Syndicate
1965 Satan's Bed(クレジットなし)
1966 Take Me Naked(ジュリアン・マーシュ名義)
1967 The Touch of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 A Thousand Pleasures(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 The Curse of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1968 The Kiss of Her Flesh(ジュリアン・マーシュ名義)
1969 The Ultimate Degenerate(ジュリアン・マーシュ名義)
1969 Night Rider
1969 The Closer to the Bone the Sweeter the Meat
1969 Mnasidika
1969 Crack-Up
1970 Take My Head
1971 The Slaughter
1971 Vice Versa!
1974 Shriek of the Mutilated(マイク・フィンドレイ名義)
1975 Snuff(ノークレジット)
1976 Michael, Angelo and David(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1976 Kiss Today Goodbye(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1976 Virgins in Heat
1976 Funk in 3-D(ジュリアン・マーシュ名義)
1977 Point Me Toward Tomorrow(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)
1977 Christopher Street Blues(フランシス・エリー名義/ゲイポルノ)

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「サタンズ・ベット(原題)」
原題/Satan's Bed
1965年/アメリカ
監督、撮影、編集、音楽  :  マイケル・フィンドレイ(クレジットなし)
出演          : オノ・ヨーコ
日本未公開

「ザ・タッチ・オブ・ハー・フレッシュ(原題)」
原題/The Touch of Her Flesh
1965年/アメリカ
監督、制作、編集。主演  :  マイケル・フィンドレイ(ジュリアン・マーシュ名義)
制作、編集、音楽、照明、エキストラ出演 : ロベルタ・フィンドレイ
出演 : スザンヌ・マレー、アンジェリーク・ペティジョン、ヴィヴィアン・デル=リオ、ペギー・ステファンズ
日本未公開

「ザ・スローター(原題)」
原題・The Slaughter
1971年/アメリカ、アルゼンチン
監督、出演   : マイケル・フィンドレイ
撮影、声の出演 : ロベルタ・フィンドレイ
出演      : マーガリータ・アムチャステギュー、アナ・カーロ、ブライアン・カリー、リリアナ・フランチェス・ビアンコ、エンリク・ラーラテリ、アルド・マヨ、カーロ・ヴィラヌーヴ、ミーサ・マッサ、ザンティ・エリス
日本未公開


「シュリーク・オブ・ザ・ミューティレイテッド(原題)」
原題/Shriek of the Mutilated
1974年/アメリカ
監督、編集、エキストラ出演 : マイケル・フィンドレイ
撮影            : ロベルタ・フィンドレイ
出演            : アラン・ブロック、ジェニファー・ストック、タム.エリス、マイケル.ハリス、ダーシー・ブラウン、ジャック・ヌーバック、トム・グラーリ、ルーシー・ブランデット、イヴァン・アゴール
日本未公開


「スナッフ/SNUFF」
原題/Snuff
1975年/アメリカ、アルゼンチン
クレジットなし
1976年6月19日、日本劇場公開

「キス・トゥデイ・グッバイ(原題)」
原題/Kiss Today Goodbye
1976年/アメリカ
制作、監督、編集、撮影 : マイケル・フィンドレイ(フランシス・エリー名義)
制作、監督       : ジョン・アメロ(フランシス・エリー名義)
出演          : ジョージ・ペイン、リウ・シーガー、デヴィット・サヴェージ、マイケル・ガウト、マーク・ハミルトン、カート・マン、レム・アメロ、ベン・ドーヴァー
日本未公開

「ファンク 3ーD(原題)」
原題/Funk 3-D
1977年/アメリカ
監督、制作、編集、脚本 : マイケル・フィンドレイ(監督のみジュリアン・マーシュ名義)
出演          : ドン・アレン、ブリー・アンソニー、ロジャー・ケイン、リタ・デイヴィス、ニッキー・ヒルトン、エド・ラロックス、アレックス・マン、アラン・マーロウ、アニー・スプリンクル
日本未公開



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2017/08/24

三島由紀夫の「切腹映画」!・・・”武士道”でも”愛国主義”でもない同性愛的なマゾシズムの”切腹ごっこ”~「憂國」「人斬り」「巨根伝説 美しき謎」「愛の処刑」「Mishima : A Life in Four Chapters/MISHIMAーー11月25日・快晴(仮題)」「11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」~


ボクが小学生の頃(1970年代)・・・男の子たちの間では”切腹ごっこ”なるものが流行っていた時期がありました。定規などをお腹に当てて「うっ・・」と呻いて、前屈みになって死んだ真似をするという他愛ないもので、お腹から血や腸が飛び出してくる様子まで再現することを、この上もなく面白がっていたわけであります。当時は、毎晩のようにテレビでも時代劇がやっていたし、切腹シーンがお茶の間でフツーに放映されていた時代ではあったのですが、子供たちに強いインパクトを与えたのは、1970年11月25日に起こった三島由紀夫の自決事件だったのです。

三島由紀夫が”切腹フェチ”であったことは、著書からも言動からも三島独特の”美学”として、生前から周知の事実であったと思います。1960年、増村保造監督の「からっ風野郎」でヤクザ役で映画主演デビューを果たしていた三島由紀夫は、1965年に 短編の切腹小説「憂國」の映画化を企画するのですが、当初は海外の映画祭への出品を前提に、芸術映画として製作しよう話もあったそうです。しかし、三島由紀夫は映画会社から干渉されることを嫌がり、あくまでも”自主映画”として製作することにこだわったため、大映のプロデューサーだった藤井浩明氏によって、秘密裏に大映のスタッフが集められて、会社上層部には隠れて撮影されることになります。そのため、撮影、メーキャップ・アーティスト以外のスタッフはアンクレジットとなっているのです。


「憂國」は、二・二六事件に参加できなかった新婚の中尉が仲間と役職の間で苦しんで、自分は切腹で妻は自害で心中という・・・三島由紀夫の典型的な”死の美学”の物語。能舞台を連想させるようなミニマルなセットと、三島由紀夫扮する中尉と妻(鶴岡淑子)の二人のみの出演者という、当時としては斬新で実験的な映画であります。三島由紀夫は企画当初から・・・台詞なしで字幕によって物語が説明されること、音楽はワグナー作曲の「トリスタンとイゾルデ」を使用することを考えていたそうです。「からっ風野郎」では大根役者っぷりが叩かれて不評だった三島由紀夫でしたが、本作では台詞がないことが作品の芸術性を高めるのに功を博したかもしれません。ボディビルディングに陶酔していた三島由紀夫は、ここぞとばかりに裸体を披露してします。三島由紀夫がリアルさにこだわった切腹シーンには、本物の豚の内蔵を使って飛び出す内蔵を再現・・・当時のスプラッター表現としてはモノクロの画面と相まって、かなりショッキングです。


日本で「憂國」は、当時は海外のアート作品配給専門だったATGで上映・・・「憂國」は28分の短編映画だったので、併映はルイス・ブニュエル監督の「小間使いの日記」だったそうですが、記録的な大ヒットとなります。後に独立プロと半分ずつ予算を出す「一千万円映画」と呼ばれるATGの低予算映画のきっかけになったのは、実験的な前衛映画であった「憂國」の成功があったと言われています。しかし、三島由紀夫の死後、未亡人の要望により、上映用のフィルムは全て焼却処分されてしまうのです。表向きは、自決事件をストレートに連想させるからという理由ですが・・・もしかすると、未亡人は「憂國」に秘められていた三島由紀夫にとっての”切腹”の意味が許せなかったのしれません。ボクが初めて「憂國」を観たのは、フランス上映版のコピーをダビングしたビデオテープだったので、本作の映像美の見る影もない粗悪なモノでした。2005年、「憂國」のネガフィルムと資料が三島由紀夫の自宅で発見された(実は未亡人の死後の1995年には発見されていたらしい)ことが公表されて、翌年には日本国内ではDVDと全集別巻として発売されています。


演出を担当した堂本正樹は、慶応普通部4年生の時(1949年頃?)に、銀座のゲイバー「ブランズウィク」のボーイから新人作家だった三島由紀夫を紹介されたという人物・・・二人の仲をとりもったボーイが亡くなったことがきっかけで親密になり、三島由紀夫の”弟分”として親交を結んだとのこと。「憂國」の映画化が企画されるずっと前から、二人で”切腹ごっこ”をしていたそうです。三島由紀夫は「聚楽物語」の無惨絵を見せて”切腹ごっこ”に誘ってきたそうで・・・新宿の小滝橋通りの岩風呂のあった宿にしけこみ(!?)、”兄弟ごっこ”といって風呂で背中を流し合い、忠臣蔵の判官切腹の場面、満州皇帝の王子と甘粕大尉、沈没する船の船長と少年水兵、ヤクザと学習院の坊ちゃんなど、三島由紀夫の好んだ設定で”切腹ごっこ”は繰り返し行なわれたといいます。美少年に見守られながら切腹をするシチュエーションには、特に興奮していた様子で、”切腹ごっこ”をしながら三島由紀夫は勃起していたそうです。堂本正樹によると「憂國」の新婚夫婦という設定は”方便”で、実は”美少年と美男”の物語であったとのこと・・・三島由紀夫と堂本正樹の”兄弟の神話”であったというのですが、三島由紀夫が”切腹ごっこ”をしていたのは、堂本正樹”だけ”ではなく他にも何人かいたと言われています。


三島由紀夫が自決する一年前に公開された五社英雄監督の映画作品「人斬り」で、三島由紀夫は再びカメラの前で切腹を演じることになります。「人斬り」は勝新太郎主演の人斬り以蔵の半生の物語で、勝プロダクションの第一作目・・・勝新太郎によって演じられた人懐っこい以蔵のキャラクター、仲代達矢や石原裕次郎などのスター共演、五社英雄らしい血しぶき殺陣シーンの娯楽作品で、興行的にも大ヒットします。三島由紀夫が演じるのは、以蔵の理解者であり友人でもあった田中新兵衛役で、主人公の以蔵と対比して寡黙でありますが、以蔵の裏切りにより切腹で自決するという物語に重要な役柄です。

新兵衛の出演場面はそれほど多くはないのですが、勝新太郎が演じる以蔵に互角に渡り合える強烈なキャラクターが必要だと制作側は考えて・・・自分の思想や美学を貫く姿勢が、当時の学生運動をしていた若者の人気を集めて”スーパーアイドル”のような存在だった三島由紀夫に白羽の矢が当たったそうです。当然、三島由紀夫は、切腹する新兵衛役を喜んで引き受けます。盾の会の設立、自衛隊への体験入隊、日本古来の武道への傾倒など・・・幕末の志士らを連想させる危険な雰囲気を漂わせていて、三島由紀夫の抜擢は好評だったそうです。

いざ撮影となると三島由紀夫は緊張してしまくり、上手く台詞を言えず、何度もNGを出したそうですが・・・衣装ではなく普段着でリハーサルをしたり、勝新太郎からの演技のアドバイスやフォローで、なんとか撮り終えることができたということです。素人臭い緊張している演技が逆に新兵衛の殺気ある存在感を生み出していたと、高い評価を受けます。基本的に五社英雄監督の演出には一切口出ししなかった三島由紀夫でしたが、切腹の場面の演技だけは任せて欲しい直談判して、一任されることになるのです。


以蔵によって暗殺の濡れ衣を着させられた新兵衛が、証拠となった刀を見せて欲しいと手に取ると・・・唐突に刀を自らの腹に突き刺して切腹してしまいます。さすがに「憂國」のように飛び出した内蔵などや血だらけのスプラッター表現はありませんが、カメラは三島由紀夫の鍛え上げられた上腕筋や背筋をじっくりととらえて、臨場感溢れる迫真の演技を見せつけるのです。否が応でも自決事件を連想させてしまうからなのか・・・五社英雄監督と勝新太郎の代表作ともいえる作品にも関わらず(1990年代には国内ビデオとレーザーディスクのリリース、フランス版DVDはありますが・・・)いまだに国内版DVDは発売されていません。


自決事件後・・・ことあるごとに歴史として振り返られるたびに、三島由紀夫の行動の異常さにスポットライトがあてられるようになります。若者は”シラケ世代”と呼ばれるように無気力になり・・・さらに経済的に豊かになっていくと「なんとなくクリスタル」的な(おそらく三島由紀夫が最も嫌っていたであろう)風潮が、若者文化の主流となっていったのです。「日本男児」という汗臭いイメージはトコトン嫌われて、切腹なんて「ダサい」という反三島由紀夫的な世界観に日本国内が満ちあふれていた1980年代前半に、三島由紀夫的世界観(ただし同性愛的観点)に傾倒していったのが「ゲイ」であったことは偶然ではありません。


1983年に「薔薇族映画」の第一弾として製作された「巨根伝説 美しき謎」は、ピンク映画の監督として知られる中村幻児によるソフトコアのゲイポルノ映画であります。以前「おかしのみみ」という映画ブログで、この作品について書いたことがあるので、そちらも参照してください。本作が三島事件を題材としていることは明らかです。登場人物は男だけでヌードやセックスシーンはふんだんにあるものの、ゲイポルノとしてそそられるようなエロではなく、コメディタッチの軽さやセットの陳腐さなどが、いかにもピンク映画らしい不謹慎さなのです。薔薇族映画という限られた観客向けに制作されたから、三島由紀夫の未亡人や関係者の目には留まらなかったものの・・・もしも、本作の存在を知られていたら、お咎めなしでは済まなかったと思います。

当時ピンク映画(ストレートもの)の常連男優だった大杉蓮扮する三谷麻紀夫(明らかに三島由紀夫を意識!)が率いるのは先生と呼ばれる右翼リーダー・・・若い隊員たちと半裸姿で筋トレしたり、愛国思想の勉強会をしたり、軍人訓練の合宿をしたりしています。当然のことながら・・・隊員は全員そろってゲイで、新人隊員は先輩に犯されてゲイに目覚めするし、合宿の夜は隊員同士はやりまくったりという単なるゲイ集団なのです。三谷先生の側近でもある森脇(森田必勝を意識?)は、夜になると先生のケツを掘って啼かせています。自決事件後、三島由紀夫の遺体の肛門から森田必勝の精子が検出されたという”デマ”が拡散したことがありましたが・・・その妄想を映像化しているようです。


先生と森脇で切腹ショーを演じれば、隊員たちはむせび泣きながら興奮して、全員で乱交という・・・とにかく「一心同体」をモットーに、ことあるごとにやりまくっている集団ではありますが、警視総監を人質にして自衛隊員を説得してクーデターを企てる(まるで三島事件と同じ!)ことになります。しかし、前夜にやりまくったために朝寝坊して決起できなかった隊員カップルは、その後新宿二丁目で女装バーで働いているという・・・なんとも陳腐なオチで終わるのです。ところどころ三島由紀夫を連想させる、確信犯的な本作が製作されて、宣伝もされて(ゲイ向けの専門館とはいえ)映画館で堂々と上映されていたことは驚きかもしれません。


「愛の処刑」は、1952年から1962年まで発行されていた”アドニス会”の同人誌「ADONIS(アドニス)」の別冊「APPLLO(アポロ)」5号(1960年10月)に発表された榊山保という名義で発表された同性愛小説・・・「憂國」との共通性が指摘されて、三島由紀夫が書いたものではないかと発表直後から噂されていたそうです。2006年に三島由紀夫によって執筆されたことが確定後には、三島由紀夫全集の補巻にも収録されています。筆跡から三島由紀夫であることが判明することを危惧して、堂本正樹によって書き写させた原稿が同人誌へ送られたそうです。この「愛の処刑」を原作とするゲイポルノ映画が、奇しくも「巨根伝説 美しき謎」と同じ年の1983年に制作/公開されます。

監督はピンク映画の黎明期から男優として活躍していた野上正義で、1970年代のATG映画っぽい暗くて陰湿な雰囲気を漂わせていて、「巨根伝説 美しき謎」のような”おふざけ”は一切なし・・・低予算ながら重厚な印象に仕上がっています。登場人物はほぼ二人だけの60分の中編作品ですが、制作者たちの気迫が伝わるような一作です。ゲイ向けのポルノ映画館で公開するために制作された作品なので(ただ”ポルノ”を期待すると肩すかしかもしれません)・・・三島由紀夫好きのストレートのお客さんに観られることは、殆どなかったカルト作品です。近年では、横浜の日ノ出町にある国内唯一の薔薇族映画の専門上映館で上映されることもあるようですし・・・上映権を持つケームービー株式会社によって、VHSビデオの通信販売は行なわれています。

さびれた漁港のある村の一軒家に暮らす中学校の体育教師の大友先生の元に、彼の教え子である今林少年が大雨の夜に訪ねてきます。素行の悪かった田所少年を大雨の中に立たせた体罰のせいで、肺炎で亡くなっていたのです。田所少年の死は大友先生のせいだから、責任をとって切腹して死ぬべきだと、親友でもあった今林少年は”処刑”を求めます。二人の少年を愛していた大友先生は、喜んで切腹を決心するのですが・・・褌姿になって井戸の水で体を清める大友先生の姿を、舐め回すように見つめる今林少年も、実は大友先生を愛していたのです。


手渡された短刀で切腹する大友先生の横で「ただ、先生が好きで切腹して死ぬところが見たかった」と告白する今林少年・・・大友先生も「君のような美少年に見守られて切腹したかった」と答えて、二人はお互いの愛を確認します。腹を切開した”だけ”で即死するわけではないので、介錯なしの切腹というのは腸が飛び出しても生きた絶え絶えという苦しみが続くのです。大友先生が息絶えた後、その遺体を前にして今林少年は心の中で「先生、愛している!」と何も叫び(きっと先生のカラダを愛したはず!)朝方には短刀で胸を突いて後追い自殺・・・翌朝、普段のように家政婦が大友先生の一軒家に向かっています。


本作に直接的なセックスシーンというのはないので”ポルノ映画”と呼べないかもしれません。それでも、強烈なエロティシズム漂ってくるのは、当時のゲイ好みを反映したキャスティング・・・大友先生を演じる役者さんの雰囲気は、高倉健と三島由紀夫を足して二で割ったような男臭いタイプですし、今林少年を演じる役者さんは「さぶ」の挿絵に出てきそうな”美少年”です。わきががキツかったと言われる三島由紀夫同様に、大友先生もわきががキツいという設定だったりして、明らかに三島由紀夫を意識しています。

愛する美少年に見守られて切腹死したい・・・という自らのフェチを昇華させた小説を(偽名であっても)発表せずにいられなかった三島由紀夫にとって、本作で描かれている切腹こそが理想であったと思えてしまいます。1983年というバブル景気に向かいつつあった日本で、時代の空気に逆行するような「愛の処刑」を映画化しようとした制作者たちの思いも強かったことも感じるのです。


「Mishima : A Life in Four Chapters/ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ(原題)」は、アメリカン・ジゴロ」の監督や「タクシードライバー」の脚本家として知られるポール・シェレイダーによって製作された1985年のアメリカ映画です。三島由紀夫の歩んだ人生の回想(モノクロ)、代表的な小説3作品のオムニバス(極彩色)、自決事件を起こす現在(カラー)という3つの要素をミックスして「過去と現在」「現実と虚構」を行き来しながら三島由紀夫の人物像に迫った、伝記映画として同じような構成の作品が存在しない独創的な作品となっています。キャストは全員日本人の俳優で、ナレーションを除いて台詞も全て日本語・・・アメリカ映画でありながら日本映画のようです。

「MISHIMA ーー11月25日・快晴」という仮の邦題までつけられていましたが、右翼団体が上映反対の騒ぎが起こることを配給会社が危惧して上映されなかったというのが、定説のようですが・・・三島由紀夫の未亡人から、猛烈な抗議があり日本国内での上映を絶対に認めなかったとも言われています。三島由紀夫の同性愛的な嗜好を匂わす表現があることが、感情的に許せなかったのかもしれません。いまだに、日本では劇場公開はおろかDVD/ブルーレイの発売もなく、ケーブルテレビでの放映もネット配信さえされていない・・・日本国内に限れば”封印映画”ではありますが、海外版のDVD/ブルーレイが発売されているので視聴することは比較的簡単にできます。

まず、小説3作品の映像化それぞれ”だけ”で邦画のまるで映画一本分のようであります。「金閣寺」坂東八十助、佐藤浩市、萬田久子、「鏡子の部屋」沢田研二、左幸子、烏丸せつこ、李麗仙、横尾忠則、「奔馬(豊穣の海・第二巻)」永島敏行、池辺良、勝野洋など豪華キャストで、アメリカ映画が日本を扱った時のような不自然な表現は皆無です。本作の小説部分で映画の美術を初めて担当した石岡瑛子氏は、本作で高い評価を受けたことをきっかけに衣装デザイナーとして活躍の場を世界に広げることになるのです。本作では舞台のような装置が展開するセットが特徴的で、小説の虚構の世界観を見事に表現しています。


青年期以降の三島由紀夫を演じるのは、緒形拳・・・正直、顔が似ているとは思えないキャスティングなのですが、筋トレによる肉体改造、付け胸毛に腹毛(!)と外見だけでなく、三島由紀夫の特徴的なクセまでも演じきっていて、いつの間にか緒形拳が三島由紀夫にしか見えなくなってくるほど見事な演技なのです。多くの代表作がある緒形拳ですが、、もしも本作も日本公開されていれば代表作のひとつとして語られることは間違いありません。


クライマックスとなる切腹シーンは、グロテスクな表現ではなく、三島由紀夫らしい最期の瞬間をエモーショナルに表現しており、彼の代表作3作品の主人公達の悲劇的な最期とオーバーラップさせながらも、陽が昇っていくエンディングは明確な三島由紀夫讃歌として、清々しい(?)終わり方をするのです。「Mishima : A Life in Four Chapters」のような三島由紀夫の作家性、人間像、創作世界を総括するような作品を、アメリカ人によって製作されてしまったのは、ちょっと残念に思います。


三島由紀夫の自決事件が日本映画で描かれるのは、没後40年以上経った2011年で、若松孝二監督による「11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」であります。盾の会の設立から自決事件までを描いているのですが、学生運動や右翼を絡ませてくるところが若松孝二らしさ・・・また、三島由紀夫を語る時、あまり触れられることのない瑤子夫人が重要なアイコンとして描かれるのも独特かもしれません。エンディングには日本の音楽事務所がデビューさせたイギリス人バンドのベラキス(Belakiss)の曲が流れるのですが・・・これって、三島由紀夫が最も嫌っていただろうタイプの音楽のように思えます。さまざまな証言や文献に基づくエピソードを時系列で描いているものの、あくまでも若松孝二監督の視点でしかない印象です。


完全なミスキャスティングとしか思えないのは、三島由紀夫を演じる井浦新(本作のためARATAから改名までした)・・・”モノマネ”の必要はないのかもしれませんが、あっさりとした井浦新の雰囲気は、過剰なほど男臭さい三島由紀夫とは真逆です。さらに・・・意外なほど(?)鍛えられていない井浦新のゆるい腹周りは、肝心の切腹シーンの緊迫感を台無しにしています。また、森田必勝役の満島真之介の無駄に熱い演技も空回りしていて、盾の会のメンバー達も含めて、頭のおかしくなった愛国主義者/武闘派右翼という印象なのです。三島由紀夫の”切腹フェチ”をステレオタイプ化せずに表現することが、なんと難しいことなのかを改めて感じさせられます。


三島由紀夫は映画の役柄だけでなく・・・友人でもあった矢頭保(めのおかし参照)による切腹写真も撮影しています。自決事件での死に様は、もしかすると三島由紀夫が思い描いていた”死の美学”には、ほど遠かったのかもしれません。”切腹ごっこ”が切腹に対しての自慰的な行為だったとしたら、マスターベーション”だけ”で満足できれば良かったのに・・・と思ってもしまいます。マスターベーションだけでは性的な達成感を得られなくなり、本番(切腹)をしなければならなくなることは、三島由紀夫にとっては当たり前の終着点だったのかもしれません。

三島由紀夫の自決した時の様子は、悲惨そのものだったと言われています。何度も演じていたおかげか(?)・・・小腸が飛び出るほど深く広く切開された見事な切腹だったそうです。三島由紀夫の介錯という大役を担った森田必勝は、緊張のあまり三度も斬り損じたようで・・・頸部の半ばまで切られて頭部が前に傾く体勢になってしまい、三島由紀夫は自ら舌を噛み切ろうとしたほど苦しんだらしい。


結局、古賀浩靖によって首の皮一枚残すように介錯をされ、切腹に使用した短刀で胴体と頭部が切り離されたそうです。森田必勝の後追い自決を三島由紀夫は止めていた言われていますが、森田必勝の固い意志は最後まで揺るぐことはありませんでした。考えてみれば・・・介錯の失敗で面目を失った森田必勝には、自決するしか残された道はなかったのかもしれません。ただ、森田必勝の腹部に残っていた切腹の痕は切り傷程度で、古賀浩靖の介錯による即死だったそうです。

ボディビルで鍛えられた肉体で盾の会の同志(森田必勝らが美少年かは別として)に見守られて切腹する瞬間こそが、三島由紀夫にとっての人生最高のエクスタシーであったとするならば・・・「ネクロマンティック」のラストシーン、死体愛好家の主人公が自殺しながらマスターベーションに興じる姿に、オーバーラップしてしまうところさえあります。”武士道”でも”愛国主義”でもなく・・・三島由紀夫の”切腹フェチ”の根本に、同性愛的なマゾヒズムとナルシシズムを感じてしまうのです。


「憂國」
1966年/日本
監督、製作、原作、脚色、美術 出演:三島由紀夫
1966年4月12日、劇場公開

「人斬り」
1969年/日本
監督 : 五社英雄
原作 : 司馬遼太郎
脚本 : 橋本忍
出演 : 勝新太郎、仲代達矢、三島由紀夫、石原裕次郎
1969年8月9日 劇場公開


「巨根伝説 美しき謎」
1983年/日本
監督 ; 中村幻児
出演 : 大杉蓮、長友達也、野上正義、首藤啓、山科薫、金高雅也
1983年4月 劇場公開

「愛の処刑」
1983年/日本
監督 : 野上正義
原作 : 榊山保(三島由紀夫)
出演 : 御木平助、石神一
1983年11月2日 劇場公開


「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ(原題)」
原題/Mishima : A Life in Four Chapters
仮題/MISHIMAーー11月25日・快晴
1985年/アメリカ
監督 : ポール・シェレイダー
出演 : 緒形拳、三上博史、沢田研二、坂東八十助、佐藤浩市、永島敏行
日本劇場未公開


「11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」
2011年/日本
監督 : 若松孝二
出演 : 井浦新、満島真之介、寺山しのぶ
2012年6月2日 劇場公開



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