2009/07/03

「悟りのスイッチ」が入いりました


電車や地下鉄などが、スケジュールどおりに運行して、お店やレストランでは(表面的には)人当たりが良くて、雑踏の混雑さえ、節度を保っている東京にいると、些細なことで、イライラしてしまうことが多いような気がします。
だいたいのことが、予定や予測どおりにことが運ぶので、少しでも思い通りにスムーズに進まないことに対して、過敏にストレスを必要以上に感じてしまうのです。

しかし、そんな自分でも、ニューヨークにいる時は、まるで「悟りのスイッチ」が入ったように、なぜか心穏やかでいられるように思えます。
それは、決してニューヨークが、何も問題なく気持ちよい街というのではなくて、不可解なことだったり、不愉快ことだったり、予測不能のことだったり、東京の基準ではストレスを感じることが、あまりにもあり過ぎるからなのです。

まず、時間の基準が、ゆるくなります。ニューヨークの親友の家がマンハッタンでも辺鄙(?)なミッドタウンのイーストリバーの近くにあるので、最寄りの地下鉄の駅がありません。
そこで、バスを利用することになるわけですが・・・このバスが結構”あて”になりません。
アベニュ−を横切るクロスタウンバスに乗ったら、渋滞に巻き込まれて1ブロック動くのに15分もかかってしまったりします。
地下鉄も時刻表があってないようなものだし、タクシーだって必要なときに限って掴まらなかったり。逆に時間に縛られずに行動している自分がいます。

また、どう扱われようとも、気持ちが寛容になります。
JFK空港での入国手続きや、タクシー待ち合わせ場所で家畜のように指示されることなんて、朝飯前。チャイニーズのテイクアウトや、オプションの多いファーストフードなどでは、下手すると怒られながら注文しているような感じです。
日本的な客扱いというのは。まずされません。
せめて、客としての最良のサービスを受けるように、的確で、チャーミングで、心の広い『扱いやすい客』を演じるだけです。
鼻っから期待や予測ができないってことになると、ある種の「あきらめ」の境地に入って、気持ちは「らくちん」になるようです。

もちろん、不愉快なことばかりというわけではありません。
お店やレストランで人間的な親切なサービスを受けたり、移動中に見知らぬ者同士の譲り合う優しい心に触れたり、出会った人の個性に触れて楽しい経験も多くあります。
それは「悟りのスイッチ」を入れたからこその、東京で感じられない「ご褒美」のように思えるのです。

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