2009/08/03

「ファッション」→「アート」の相性って悪くない?


デザイナーレーベルの存在意味の、ひとつの模索なのかもしれませんが、ここのところ「アート」というのがデザイナーコレクションの”キーワード”のひとつになているような気がします。
ただ、単にアート的な図柄を服に貼り付けていたり、服としての構造とは無関係なアート風な造形だったりという安易な取り入れ方というのは、結果的に消費者に陳腐な印象しか与えません。

マーク・ジェコブスがディレクターを勤めるルイ・ヴィトンのバックのデザインを日本人アーティストの村上隆を起用したことは、ファッションと現代アートのコラボレーションのひとつの形ということになっていますが・・・アートを起業ビジネスと捉えている村上隆自身がすでに十分コマーシャルな存在なので、ある意味、世界的なブランドとの「営業」でしかないように思えてしまいます。

ファッションの歴史の中でも、アートの引用という意味で成功している例は、イヴ・サンローランのモンドリアンドレスの他、僅かかもしれません。
絵画(もしくは彫刻とし)すでに成立しているイメージを、あえて服やアクセサリーに引用する意味というのは、単純なアート趣味の押し付けのようで、ファッションとしての存在意味を逆に失わしているのではないでしょうか?

ファッション界というのは、どこかにアートに対するコンプレックスを抱えているようなところがあり、売り上げ至上主義のビジネスであるという立場に反するように、ブランドとして尖りたければ尖りたいほどアート嗜好というのが意識下にチラチラとして、自らのファッションの立ち位置を現代のアートと並べたがる傾向があるように感じます。
欧米の大きなメゾンは、財団などを設立して何らかの形でアートに関わったり、サポートすることが多くあります。
しかし、所詮、イメージをビジネスにしているメゾンが関わっていくのは、アートの中でも工芸品などが中心です。
ファッションが「美しさ」や「若さ」というイメージを売っているのと同じように、アートが感じさせる「意味深げなインテリジェンス」に永遠に憧れ続けるている証拠なのかもしれません。

水戸芸術館で開催中の「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」を観て、ファッションデザイナーが若いアーティストをサポートするという形で「アート」に関わるという事も難しいもんだと感じました。
展示作品は、プリーツした紙の円錐、写真に刺繍、ぬいぐるみの家、テーマに沿って造形された靴や下駄、影の絵のイラストなど、クラフト的な手法を使いながら、日本的な「カワイイ」雰囲気の作品たちでした。
発想のスタートしての「試作品/習作」としては評価出来るものの、完成したアート作品として成熟していない印象でした。
ファッションデザイナーのサポートということで成立している企画のようで、なんとも「アート」というものが”ちょろく”思われているような気さえしました。

「アート」は「ファッション」という事象を取り入れて成立するけど、「ファッション」は「アート」という概念を含んで存在することが難しい”商品”なんですよね・・・。

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