2009/09/30

「ブリッ子」が輝く時と場所!

いつごろから「ブリッ子」という言葉が生まれたのは定かではないけれど、松田聖子が出現したあたりから耳にしたような気がします。

僕は、明菜派でもなければ、聖子派でもないけれど、「ブリッ子」のほうにイラっとくる方なのです。

ただ、近年はアキバ系のメイドやアニメキャラが一般的に受け入れられてきたところもあって「ブリッ子」という差別的な表現するほうが、稀になってきている印象があります。


入院生活の後半の数日間は、4人部屋で過ごし周りの状況なども冷静な目で観察出来るようになっていました。

「看護婦」ではなく「看護士」という男女でも指す名称になったものの、僕の入院していた病院の看護士は全員女性でした。

看護士が女性である方が、男性患者にとってだけでなく、女性患者にとっても、なにかと都合が良いのでしょうが、仕事内容は時に力仕事も含むハードなものなので、現場に男性がひとりもいないというのは結構驚きでした。


女性の看護士には、大雑把に分けてふたつのタイプがありました。

ひとつは、仕事をテキパキとこなす元気な看護士で、どちらかというと勤続年数は長く、主任とか担当看護士というような責任のある立場だったりします。

一般の会社とかだったら課長とか係長のような「キャリアっぽい女性」です。もうひとつは、ちょっと甘ったれた口調の若い看護士で、仕事の手順が悪かったりしますが、可愛らしさでカバーして許されてしまう「ブリッ子っぽい女性」です。

普段の状況であれば、間違いなく僕は前者のタイプの女性を高い評価をするのですが、入院している状況だと「ブリッ子」というのは、ある種「癒し効果」を生むんだと感じました。


入院中というのは淡々と時間を過ごしていますが、時には体調が優れなかったり、退院出来ないストレスとかで、感情的には結構ボロボロな状態だったりします。

そんな時に、テキパキした手順の良さというのは、追い詰められられるようなプレッシャーを感じさせられます。

怒られているような気分にもなってきたりして、看護士が巡回してくるだけで妙な緊張感があったりします。

また、馴れているルーティンの仕事だからなのか、血圧検査の結果を患者に伝えなかったり、点滴の交換時間を忘れていたりとか、小さなケアレスミスが意外にも多かったのが、キャリアっぽい看護士のほうでした。

ブリッ子っぽい看護士は、しゃべり方から仕事の進め方まで、ゆっくりなのですが、それが入院している患者にとってはちょうど良いスピードだったりします。

また、上司への報告義務があるのか、業務マニュアルどおりに仕事をこなすことだけには長けていて、逆にミスは少なかったりします。


テキパキしている看護士は、体格的にガッチリしていて、いつも元気一杯でパワフルなのですが、基本的に声が大きく、またその声が院内に響き渡ります。

言うことを聞かない患者に怒鳴り続けて鍛えられた声帯・・・?と、想像してしまうほどの声量で、耳から脳に響くような声であれこれ指示されると、患者はその声を聞くだけで疲れてしまいます。

大きくなる声と反比例して、年寄りの患者はますます看護士に非協力的になるという悪循環を生んでいました。

それとは逆に、ブリッ子の看護士は、自分の手順が遅いこともあってか、とりあえず年寄りの患者を黙って「待つ」のです。ノンビリとしたスピード(悪く言えばダラダラ)に逆に心安らかになり、患者のほうから自然と看護士に協力的になっていくという好循環を生んでいたのです。

結果的に部屋全体が良い雰囲気になるし、語尾を伸ばした鼻にかかった話し方と相まって「ブリッ子」嫌いの僕でさえ、なんとなく~く癒されてしまったのでした。


ただ・・・「ブリッ子マジック」の癒し効果が発揮されるのは入院中だけで、退院が決まった直後に「お昼も食べて言ったら良いのに~」って、甘ったれた口調で言われた途端に、僕はイラっとしました。

やっぱり、現実の世界に戻ってしまうと「ブリッ子」は勘弁してくれ・・・ってことなのでした。


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2009/09/28

犬と飼い主の物語(ラブストーリー)と思ったらトンデモナイ!~「犬身」/松浦理英子著~


「男好きのする女」という表現があるならば、「犬好きのする人」というのも”あり”だと思うのですが・・・何を隠そう、僕自身が「犬好きのする人」だと思っています。

そんな意識しているのには、それなりの自覚があったのことです。


それは、外で出会う近所の犬と、非常によく目が合うということです。

正確に言うと、僕を見ているのか、僕の周りのオーラか背後霊を見ているか分からないような、視線がピッタリと合っていない感じのズレを感じる見られ方なのです。

普段外を歩いていて、散歩している犬から、庭に繋がれている犬まで、ピタっと身動きしないで僕の方向をジーっと「ガン見」されることが、とにかく多いのです。

見られることが「犬に好かれる」ということには、直結しないのかもしれませんが、世界に存在する人間以外の動物の中でも、犬が一番好きということもあって、ちょっと自意識過剰になっているのかもしれません。

「よく目が合うんだよねぇ」とか言って、モテることを自認する人に限って、自分を見ている視線を必死に探していただけってこともあるわけですから・・・僕の方から犬のことを見て視線を求めているのかもしれません。


さて、そんな犬好きの僕にとって、松浦理英子著の「犬身(けんしん)」は、そのタイトル、帯からも、非常に興味をそそられる小説でありました。

主人公の「房枝」は、人として犬好きというだけでなく、犬になって好きな人(これは別に男でも女でも)に可愛がられたいという「性同一障害」ならぬ「種同一障害」ということであり、犬の毛並みや肉体に対する憧れがこれでもかと語られます。

房枝は自分好みの飼い主「梓」と出会い、魂と引き換えにバーテンダーに化けている(?)狼男によって「フサ」という名の牡の子犬にされてしまうのです。

その”くだり”は、あっけないほど簡単に描かれているのですが、どうやって人間が犬になるのか・・・というのは、それほど物語には重要なことではありません。

僕自身が犬として可愛がられることが、セクシャルな行為にはまったく結びつかないのですが、房枝の「犬になりたい」という願望が、段々と理解できてくるような不思議な導入部でありました。


フサという犬になってからは、飼い主の梓との「愛の蜜月」がねっとりと語られるのかと思いきや・・・梓と彼女の家族にまつわる嫌悪感たっぷりの別の物語が中心となっていくのです。

フサにとっては子犬の視点で傍観するしかない、この家族の最大の問題というのは、梓と兄との近親相姦です。魂と交換してまで梓の犬になったフサ(房枝)にとっては、なんとも気の毒な展開としか思えないような状況ではあります。

気持ち悪い兄妹の性行為がこれでもかと繰り返し語られるので、僕は吐き気を感じるほどでした。

さらに、家族に無関心で後に蒸発してしまう父親、そして息子を溺愛する母親によって、次第にこの家族は悲劇的な方向へ向かっていきます。

フサは命がけで梓を救い(?)、最後の最後には梓の胸に戻るという一応のハッピーエンドを向かえるのですが・・・後半はフサが犬になりたがった人間であったということは、単に語り部の視点でしかなくなってしまい「犬として生きる人の物語」でなくなってしまったのは、僕にはたいへん期待はずれで、後味の悪いものでした。


もしも、フサのような元人間の化け犬に飼い主として選ばれたとしても、それはそれで不気味なものかもしれません。

犬の心というのが人には分からないからこそ、人にとって理想の関係がなりたっているわけで・・・人のような自主的な考え方を持ってしまったら、ある意味愛玩する対象としての犬は、その魅力を失ってしまうところがあります。

無条件に好きな飼い主に可愛がられるとしても、やっぱり僕は犬にはなりたくないと思うのでした。



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2009/09/26

えばる男って・・・ダメだなぁっていう話

自分に余裕がないと周りのことって見えないものですが、入院したばかりの時は自分のことで精一杯でありました。

しかし、点滴のポールをゴロゴロしながらも、トイレに行けるようになると、自分の置かれている状態というのを、じっくりと観察するような余裕が出てきます。


僕は緊急入院したために、最初の2,3日は「リカバリルーム」と呼ばれる手術後の患者のいる、ナースステーションに隣接した大きな部屋の一角のベットにおりました。

周りには、生命維持装置を付けているようなお年寄りが多く、自由に歩き廻れるなんて、なんとも申し訳ないほどでした。

生きるか死ぬかの状態で、どうしても唸り声のような溜め息のような”音”は漏れてしまうのは仕方ないことだとは思いましたが、僕以外の患者は水一滴も飲めないようないようで「水をくれ~」と泣きながら訴えている様子は、聞くに耐えられないものはありました。


消化器系の患者が多いフロアだったので、7,8割は年配以上の高齢者、そのうちの殆どが男性のようでした。

というのも・・・声を出して、あれこれ訴えるのは、男の声しか聞こえないのです。

それほど大きな病院ではなかったので(カーテンで視線を遮ることは可能な)男女混合の合い部屋でした。

確かに女性のほうが数は少なめなのですが、女性の声というのは病棟で殆ど聞こえません。

僕の向かい側にいた70代ぐらいのおじいさんは、看護士が何をしても「痛い!痛い!」と大声を出す始末で、可哀想というよりも、滑稽にしか思えませんでした。

採血やらなにやらで少しは痛いことはありますが、我慢の「が」文字も出来ないとは情けないおじいさんでした。


入院から数日後にリカバリールームを出て、4人部屋に移りました。

僕の斜め向かいのおじいさんは、元々身体が不自由なようで介護的なケアが必要な患者だったのですが、とにかく”わがまま”の限りで、昼夜問わず、看護士が来るまでナースコール押し続けたり、大声で叫び続けるのです。

仕舞いには、でベットのスチールパイプを何か固いモノででガンガン叩くというアピールまでするので、大変迷惑な同室者でした。

家族が面会に来ると今すぐ自宅に帰りたいと駄々をこねて大騒ぎ・・・そして、しばしのハンガーストライキという無意味な行動を取るので、看護士もお手上げのようでした。

寝たきり状態に近いはずなのに、ベットの上で暴れまくるようでしたので、ある意味、元気だったのかもしれません。


歳を取ると老人は子供に戻るとは言いますが・・・カワイイ子供になるわけでなく、癇癪持ちのわがままな子供になるわけですから情けないものです。

僕は96歳で亡くなった祖母がいましたが、明治の我慢強い女性の見本のような人で、亡くなる一時間前まで自分でトイレに歩いていくというほど毅然としていたそうです。

入院中に見たような老人というのを実際に目にしたことがなかったので、他人とはいえ、ちょっとショックではありました。ただ、えばりまくっていた男の最後って、こんな情けないことになるのだということを証明していたようで・・・やっぱり人生というのは、どこかで「フェア」になっているような気がしてしまうのでした。


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2009/09/23

負の連鎖からの不快感が快感になる~「贖罪」/湊かなえ著~

湊かなえ氏の最新刊「讀罪」は、第一人称のモノローグ形式(スピーチ、手紙などの形式)で語られたミステリー小説です。

僕はその形式で書かれた小説というのが特に好きなのですが、それは同じ物語であっても視点の数だけ真実があるというのが、大変興味深く思うのです。


湊かなえ氏は、第一人称のモノローグ形式にこだわっている作家さんようで、デビュー作である「告白」も、中学教師が自分の娘を殺した生徒に復讐することから始まる不幸の連続を、違う登場人物による第一人称のモノローグ形式で語っていくミステリー小説でした。

それぞれの内なる思惑と誤解によってさらなる不幸を生んでいく不快感になんとも救いのない気持ちになりました。

第2作の「少女」は、ふたりの高校生の少女の話が、交互の視点で語られるミステリーで、幼い子供の策略と少女たちの残酷なまでのあっけらかんさにやるせなさを感じました。


さて、第3作目となる「贖罪」は、田舎町で起こった少女殺人事件の目撃者となった4人の少女たちが大人になってから、過去のトラウマによって、次々と不幸の悪循環をしていくというミステリーです。

娘を殺された母親は、目撃者となった4人の少女たちが犯人の男の顔を憶えていなかったために、犯人が捕まらなかったという思い込んで、少女たちに時効までに犯人が捕えられないのであれば、少女たちに復讐すると脅迫をして、田舎町を去っていくのです。

「告白」でも生徒に復讐する教師がいたように、どうも、湊かなえ氏は子供を責めて追い込む大人の姿という不愉快な設定がお気に入りのようです。

エゴスティックな大人によってトラウマを植え付けられた4人の少女は大人に成長してからも、そのトラウマから抜け出せずに、自ら罪を犯してしまうという不幸を繰り返してしまうのです。

登場人物のそれぞれが、ここまでの罪の贖いをすべきほどの原罪を背負っていないにも関わらず、これほどの負の連鎖を起こしていってしまう因果というものが、読者をどうしようもない不快な気持ちにさせます。


それにしても、それほど不快感を感じさせる湊かなえ氏の小説を、僕は何故、読みたくなるのだろうかと考えてみたのですが・・・彼女の描く「負の連鎖」というものは、大きな過失によってではなく、何気ない思い込みの積み重ねのような気がするからかもしれません。

もちろん、僕の日常生活の中で殺人などの事件に巻き込まれることはありませんが・・・「ちょっとした解釈の違い」や「お互いの真意のすれ違い」などのズレが、いつの間にか人間関係さえもなくしてしまう「負の連鎖」を生んでしまうことって、時にしてあることのような気がしてならないのです。

そんなやるせない気持ちの積み重ねを、虚脱感を感じながら楽しんでしまうところってあるのかもしれません。



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2009/09/22

”それ”はいきなりやってくる・・・「下血ブー!」で緊急入院

その夜、遅めのランチだったこともあって、夜9時過ぎまで電話で友達と話したりして、夕食はまだ食べていませんでした。

9時半頃、お腹が下ったような感覚があったので、二階の部屋から階段を下りてトイレに用を足しに行きました。

いくら何でも下し過ぎかなぁ・・・というくらい”流れ”出たので、便器を見てみたら、血が混じったような感じでした。

「何か、おかしい」と思いながら立ち上がったたころ、ちょっとフラっとしました。

母のいたダイニングルームに足を踏み入れるやいなや、めまいで倒れてしまったのですが、いきなりのことだったので、母は「何をふざけているの?」ぐらいに思ったそうです。

倒れてすぐさまに、再びもようしてきたので、フラつきながら慌ててトイレに戻りました。

用を足している間にドンドン頭がボーっとしてくるし、これは普通ではないと思いつつ、立ち上がって下着を穿いたところで、僕はどうやら気を失ったようなのです。


スピリチュアル的なことでも、霊的体験でもなく、単に脳科学的な現象だと思うのですが・・・気を失っている間、僕自身は先月亡くなった親友のお墓参りに行かなくちゃ!と、焦っている場面にいました。

2週間ほど前から友人のご家族にお墓の場所を訊ねているのですが、なかなか連絡をもらえず、ここ数日大変気になっていたところだったのです。

深層より浅いレベルで気になってことだったので、意識を失っている脳内に真っ先に浮かんだ”大事なこと”だったのでしょう。

意識的には僕はお墓参りに行っているつもりでいたので、心配してトイレを覗きにきた母に向かって、気を取り戻した僕の第一声は「お墓参りに行かないと!」だったのでありました。


僕の目の前にはトイレの掃除用品などがあって、何故そんなモノを目にしているのか一瞬理解に苦しんだのですが、母が「こんなの見たことない!救急車呼んだらいいの?どうしたらいいの?」と叫んでいる様子で、現実に引き戻されました。すぐに、自分がトイレで気を失っていたことを把握しました。

傷害事件の現場のような”血の海”に倒れているというトンデモナイ状況であったので、まず「救急車呼んで!」と、母に言いました。

ところが「救急車の番号って何番だっけ?」と、母はかなり慌てている様子でした。

母は間違って”消防署”に電話をしてしまったようですが、このような場合にはどちらでも関係ないようで、救急車はすぐ来ることになりました。


母は電話で「近所に恥ずかしいから、サイレンならさないで欲しい」とお願いをしたようですが、その願いは叶いませんでした。


冷静さを徐々に取り戻してきた僕は、血だらけの状態で搬送されるのは「嫌っ!」と思いたち、服を脱いでお湯が入ってあった湯船に飛び込みました。

さっきまで気を失っていた人間が、いきなり風呂に入って良いのか?と、後になって思いましたが、その時はとにかく身体をキレイにしたかったのです。

僕が風呂場にいる間に、母が着替えを用意してくれたのですが、白い下着、白いシャツ、黒いスラックスという”お出掛け”のコーディネートだったので、自ら二階の部屋に行って、汚しても良いようなカジュアルな服に着替えました。

また、必要最低限のモノを持っていかなければと思い、保険証、財布、携帯電話を小さなバックに入れました。

意外にも冷静な自分に驚きながら、バッタリと玄関に倒れて救急車を待ちました。


救急車は電話してから5、6分ほどで到着したようです。

その時は、それほどめまいもしていなかったので、自分で歩いて救急車の中の担架に横になりました。

救急車のなかでは、何が起こったのかいろいろと質問されました。

意識あるうちは問題なくやり取りが出来るのですが、気が遠くなるような感覚に時々襲われて頭がクラクラしました。

総合病院に到着した時には意識はあったのですが、医者から説明を受けていると、また気が遠くなりだしました。

このまま意識をなくして死んでしまうような恐怖感を感じて、僕は必死に自分の意識と戦いました。後から分かった事ですが、大量の血を失って貧血状態だったというわけではなくて、下血と下痢による脱水状態で血圧が急激に下がっていたために、意識を失ったり、失いかけたりしていただけだったようです。

また、トイレでの血の海の正体は、出血した血液だけではなく下痢便が混じっていたために、大量の血のように見えたらしいです・・・ゲゲゲー!

薬の投与で血圧も安定したところで、内視鏡による大腸の検査と、胃カメラによって胃と十二指腸の検査をしましたが、結局出血場所は分からず仕舞でした。

病室に着いた頃には、すでに真夜中を過ぎて日付は翌日になっていました。


かつてないほどドラマティックな一夜だったので、病室でなかなか寝付くことが出来ませんでした。

ただ、自分が「生きるか」「死ぬか」のような大変な状態ではないことは、なんとなく確信出来ました。

気分が落ち着いて、その夜起こったことを頭の中で改めて想像してみると、まるでギャグ漫画のように思えてしまいました。おしりから血を噴き出して気絶なんて「鼻血ブー!」ならぬ「下血ブー!」だなと...。

真っ暗な病室でひとりニヤニヤしながら、僕の初入院は始まったのでした。


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2009/09/14

ユーミンと失われた時を求めて~松任谷由実”TRANSIT”コンサートツアー~


葉山マリーナでのコンサート(1978年)に行って以来だから・・・ユーミンのコンサートは約30年ぶりということになります。
プール券付き前売り券3000円というリゾートの余興的なノリだったのですが、初めてマリーナで行われたということもあって、いろんな意味でがっかりなコンサートでした。
プールサイドで水着姿でしゃがんで見るというカジュアルな小一時間程度のミニコンサートで、特に音響システムがひどく「ユーミンの生歌」と「アルバムの音」の差を感じたものでした。
これがトラウマになって「二度とユーミンコンサートには行くものか」と思ってしまったのでした。

ハイファイセット経由でユーミンを知った僕は、ベストアルバムの「YUMING BRAND」から逆行して荒井由美時代の楽曲を聞き、松任谷由実としてのオリジナルアルバムは「紅雀」から「時のないホテル」までは発売日に購入していました。
レコードがすり切れるほど繰り返し聴きながら、よく一緒に熱唱していたものです。
何故か、ユーミンの第二次ブームとなる「SURF & SNOW」あたりから聴かなくなり、留学した1981年以降は、友人から送られてくるカセットテープに含まれているユーミンの曲をたまに聴くことがあるぐらいでした。
だから、バブル時代にOLのカリスマとして大ブームになっていたユーミンの活躍というのは、僕はよく知らないのです。
その後「シャングリア」などのスペクタクルコンサートなどで話題を集めるようになったユーミンですが、なんで小林幸子のようなことやっているんだろう・・・とクールに無関心でした。
今回のコンサートに行く準備として、最新アルバムを聴いたのですが、原点回帰しているような懐かしいユーミンの世界観を感じたので、良い意味で期待は広がっていました。

”TRANSIT"コンサートツアーは最新アルバムの「もう一度夢を見るだろう」からの新曲と過去のユーミンの楽曲から”旅”を連想される楽曲をミックスして編集されているのですが、過去の楽曲のほとんどが1980年頃までという、長年ユーミンから遠ざかっていた僕のような古いファンにはピッタリの選曲でありました。
貴婦人風衣装での弾き語りとヨーロッパっぽい駅の雰囲気で「ユーミンとの旅」がスタートします。
1970年代と最新アルバムからの楽曲が違和感なく繋がっていく編集はさすがでした。
スピリチャルやエスニックに寄り道した時期もあったのかもしれないけど、ユーミンは本来のユーミンの世界に帰ってきたみたいです。
ただ、若い時に書かれた楽曲は、おばちゃんの声帯には少々厳しい印象でした。
また、元々ダンサーでもないユーミンがノリノリで踊りまくるのですが、おばちゃんが足広げて飛び跳ねているような・・・残念な姿になっているのでした。
さらに、ピンクレディーのような銀のスパンコールのミニドレスは、まるで町内会のかくし芸をするおばちゃんのようで、思わず苦笑してしまいました。

しかし、ドタドタと舞台で歌い踊り続けるユーミンを見ているうちに、思わず「おばちゃん!頑張れ!」と心の中で叫ばずにはいられなってきたのです。
ずっと聴いていなかったにも関わらず全コーラスの歌詞を記憶している楽曲は、ユーミンを聴きいていた若い時の自分を甦らせたのです。
ユーミンと共にいなかった失われた時間が、あっという間に埋められた瞬間でした。
コンサートの終わり近く、ユーミンは「この旅の終点は過ぎ去った若き日々かもしれません」と言われて、我々はユーミンの巧みな策略にまんまとはめられたことを知るのですが、まんまとはめられたことを嬉しく思うのです。
ユーミンは、ちょっとおばちゃんになってしまっていますが、一生懸命歌い続ける姿が、「昔も」「今も」我々の目の前に存在していることだけに「ありがとう」という気持ちになってくるのです。
昔の演歌歌手を思わず拝んでしまう田舎のおばあちゃんの気持ちが少し分かったような気がしました。

僕は「荒井由美時代の第1ブーム」と「松任谷由実時代の第2ブーム」の”はざま”のファンで、大掛かりなスペクタクルショーも知りません。
だからこそ、葉山のコンサートを観て以来の30年間分を「おばちゃん!頑張ったぞ!」と、心の中でユーミンに向かって応援してしまうのかもしれません。
ユーミンに「頑張ったぞ!」と何度となく呟きながら、自分に対しても「頑張ったぞ!」と、言いたかったことに気付きました。
僕はずっと自分に対して「頑張ったぞ!」と、言うことはできませんでした。
30年という年月の間に褒めるほどの何かなんてしていないのかもしれないけど・・・やっぱり「頑張ったぞ!」と、自分に言ってあげたかったのです。

松任谷由実”TRANSIT”コンサートツアー追加公演
2009年9月12日 神奈川県民ホール

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2009/09/11

「リメンバー9・11」をリメンバー


今年も「9月11日」がめぐってきました。8年という年月が経ち、日本のニュース番組では追悼式が行われたことを報道する程度で、扱われる時間も少なくなくなってきています。


僕が実物のワールド・トレード・センターのツインタワーを初めて目にしたのは、1975年に母とアメリカ横断旅行をした時でした。

110階建てという考えられないような高層ビル(それも二棟!)には大変な衝撃を受けました。

6年後、アメリカ留学をするときに「ニューヨークに行きたい!」と我を通したのは、この時の旅行で体験したことが大きかったと思います。

1981年からニューヨークでの留学生活が始まるのですが、当時は生活費からすべては親の仕送りに頼っていました。

1ドルは250円だったし、個人の海外への送金には時間がかかり、手続きも複雑な時代でした。今思い返すと変な送金方法だったと思うのですが・・・ツインタワーの100階ぐらいにあった住友銀行のオフィスまで直接行って、現金で受け取っていました。

毎月、高層ビルの高層部分にあったオフィスに上れることが、小さな楽しみでした。


1987年、ニューヨークのファッション界、社交界でたいへん話題になったクリスチャン・ラクロワのデビューファッションショー/パーティーが、ワールド・トレード・センターの一角で開催されました。

当時パーソンズデザイン大学のファッション科に在籍していたシニア(最終学年)生徒だった僕は、特別にこのファッションショーとパーティーを「見る」ことができました。

生徒たちはパーティー会場ではなく、工事中であった三階部分のテラスのようなエリアに押し込められて、パーティーの出席者からは数メートル離れた空間に隔離されました。それでも「W」などの雑誌の社交欄でしか見たことのない”セレブティー”や”ハリウッドスター”が目の前にいることに興奮したことを憶えています。

12年後の1999年に「GEN ART」 という団体が行ったファッションコンテストのイブニング・ウェア部門で、僕は賞を頂きました。そのファッションショー/授賞式がラクロアのパーティーと同じ会場だったので、少なからずワールド・トレード・センターという場所に縁を感じた出来事でした。


1996年から、僕はマンハッタンのチェルシー地区と呼ばれるエリアのアパートで暮らしていました。

周辺にはタウンハウスと呼ばれる低層のビルディングが多く、南向きの14階の部屋からはマンハッタンの南部の西側からハドソン川の羨望が広がり、ワールドトレードセンターのツインビルも遠くに見えていました。

引っ越した当初は、眺めに感動して毎日窓の外に広がる景色をぼんやりと眺めるのが日課でしたが、そのうち窓から景色には慣れてきってしまい、いつしか、外を見ることもなくなってしまいました。

ただ、近所のセブンアベニューを南下するとツインタワーが進行方向の先に建っており、自分の生活圏にはワールドトレードセンターは、「いつまでも」そこにある景色として存在していたのです。


2001年2月末に、僕は日本に完全に引っ越していたのですが、その年は仕事で4月、8月にもニューヨークを行きました。

8月の出張では31日に帰国で、出発の前日にはワールド・トレード・センターの横にある「Century 21」というデザイナーブランドが売られているアウトレットショップで、いつも通りに買い物をしました。

その時に、ツインタワーをきちんと見ることもなく、ましてや、見上げることなどもしなかったことを、その後悔やむことになりました。

翌年の1月の出張の際に、グランド・ゼロと呼ばれるワールドトレードセンター跡を訪れた時には、涙が溢れて止めることが出来ませんでした。

ツインタワーが無意識に、自分のニューヨーク生活のシンボルのような存在であったことを、改めて感じました。

その後、ニューヨークを訪れた時には必ずグラン・ゼロには立ち寄っています。徐々にツインタワーのあった土地は整地され、新しいビルの土台工事も始まっていますが、僕の脳裏には「いまでも」ツインタワーが建っているのです。


今年も「9月11日」がめぐってきました。アフガニスタン攻撃の正当化のためにアメリカ人は「リメンバー9・11」と叫びました。

8年という年月が経った今、復讐のためではなく「リメンバー9・11」と僕はもう一度心の中で叫んでいます。


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2009/09/09

異星人が創造したようなコスチュームのような何か~Nick Cave~




いきなりの夕立ちを避ける為に立ち寄ったニューヨークのユニオンスクウェアにある本屋さんで、今年(2009年)の5月から7月にサンフランシスコのYerba Buena Center of the Artsにおいて開催された展覧会のために出版された「Nick Cave/Meet Me at The Center of The Earth(ニック・ケイブ/地球の中心で会いましょう)」というアート本を偶然に手にしたことが、アフリカ系アメリカ人のアーティストのニック・ケイブを知るきかっけでした。


ニック・ケイブの作品で最もインパクトのあるのが、着てパフォーマンスをして動くと音がするということで「サウンドスーツ/Soundsuits」と名付けられたコスチュームです。

アフリカの儀式に出てくるような頭部を高くディフォルメしたフォルムに、刺繍、ビーズ、編み込みニット、ロングファー、オブジェクトなどで過剰なほどの装飾を施しています。

展示会場でマネキンに着せられて並んだこれらのコスチュームの立ち姿は、異星人が創造したこの世のにはないお祭りの衣装のようなオリジナリティを強く感じさせます。


主に自然からインスピレーションを受けた図柄やアフリカ的なカラフルな色使いの装飾のひとつひとつが、手芸的なクラフトとして高いレベルにあるのは勿論ですが、コスチュームの表面すべてを覆うほどの密度とさまざまなモチーフの組み合わせは、圧倒的な手仕事量にも関わらず、その重々しさを感じさせません。

アフリカ系アメリカ人というバックグラウンドからその人種的なルーツを模索しているとか、人類という枠を超えた神的な宗教のメッセージを具現化しているのではとか、そのクラフト/ファッション的な要素から衣服に対する我々の持っているイメージなどの問題提起とか、勝手にいろいろと解釈することもできますが・・・そんな小難しいことを抜きにして、展示作品やパフォーマンスを目にした者は素直に楽しむことができます。

どの作品についても、引用されているモチーフの意味を理解しなければならないようなコンセプトの押しつけはなく、さまざまな材料との出会いや次々と新しい手芸テクニックを楽しみながら制作している姿勢や、ニック・ケイブ自身が人間的に持ち合わせたユーモラスな感性を感じさせるからかもしれません。


ニック・ケイブの作品をみて、1980年代のロンドンのクラブシーンで活躍したリー・バワリー(Leigh Bowery)というアレキサンダー・マックィーンなどのイギリスのアバンギャルドなファッションデザイナーに多大なる影響を与えた奇才のパフォーマーのことを思い出しました。

リー・バワリーのコスチュームは、クラブファッションや時代のムードと連動し、パンキッシュでダークなコンセプチュアルな独特の世界でした。当時はアートというよりも、見てはいけない見世物小屋のフリークスを覗くような、あくまでもキワモノのパフォーマンスという捉え方をされていたところもあったと記憶しています。

近年の80年代ブーム(?)によって再評価され、彼に関する本やDVDも発売されました。そんなリー・バワリー亡き後、造形的なコスチュームアーティスト/パフォーマーというアートのジャンルに登場したのが、僕にとっての「ニック・ケイブ」というアーティストのように思います。



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2009/09/06

「孤独死」こそ、理想の逝き方

独り暮しの人が誰にも看取られずに亡くなった時、その死は「孤独死」と呼ばれます。

それは、単に人生の最後の瞬間を、亡くなる本人ひとりで過ごしたという状況というだけのことなのですが・・・生きている人間にとって「死」自体が未知な恐怖だからこそ、それをひとりで経験する状況を、特別に「孤独」と感じるのかもしれません。


人生の伴侶/パートナーもいなくて、子供もいない、兄弟もいない、血縁関係のあるのはまったく付き合いのない従姉妹だけ(それも年齢がかなり離れている)という自分にとって「孤独死」と言われる”自宅でひとりで逝く”というのは、起こる可能性の高い逝き方であり、理想とするものです。母方も父方も健康に長生きする家系なので、おそらく自分も日常生活を気をつければそこそこ長生きはするでしょう。

長生きすることは素晴らしいことだということになっていますが、長く生きれば生きるほど、家族や友人に先立たれて、たくさんの人達を見送り、「孤独」になっていくのです。大家族であれば別ですが、自分のような血縁関係者が少ない者は、長生きしすぎると、身元引受人という法的な存在の人物さえもいなくなってしまいそうです。


時々、自分が凄く長生きていることを考えると、妙に淋しい気持ちになります。まだ自分ひとりで外出ができるのであれば、出先で急に死んでしまった場合は「行き倒れ」と扱われる可能性が高いように思えます。

所持品から、身元ぐらいは分かるとは思いますが、自宅には誰もいないし血縁者もいないので、死体を引き取りにくる人もいないわけです。

また、病院に入院している間に死んでしまった場合も、家族という立場の人間がいるわけではないので、手術や治療についての承諾書というのも自分でするしかありません。

治るような病気であれば良いけれど、治っても寝たきりというような状態であれば、そう簡単に独り暮しの自宅に戻れるものではありません。

病院だったら死ぬ瞬間は、ひとりきりではないかもしれませんが、自分をとりまく状況は「孤独」そのものになっているような気がしてならないのです。

同じ「孤独」という生活環境なら、病院や雑踏の中ではなく、住み慣れた自宅で逝くことが出来たらなら(誰かに救急車を呼んでもらえたら、延命出来たとしても)本望だと思えてくるのです・・・第三者からみたら淋しく哀れな「孤独死」という死に方だとしても。


幼い頃、母が「人はひとりで生まれ、ひとりで死ぬのよ」と、よく言っていたのを思い出します。

子供ながらに、何故そんな淋しいことを何度も何度も繰り返し子供に向って言うのだろうと思っていましたが・・・将来的に「孤独死」に直面する可能性が高い人生を結果的に歩んできている僕にとって、母の根源的な人間としての強さを感じさせる言葉になっています。


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2009/09/04

アンチカツマー万歳!これが私の生きる道~「しがみつかない生き方」/香山リカ著~


香山リカ氏は、ワイドショーなどのテレビ番組で活躍している精神科医のコメンテーターで、弱者やマイノリティーに対してサポートするような立場をとるスタンスには、自分は以前から好感を持っています。

元祖「メガネ女子」的なポジションを本人的に築いているところは妙な自意識を感じますが、世相に沿った観察力や解説には説得力を感じさせるのです。


「オタク文化」「ハラスメント」「依存症」「スピリチュアル」「団塊ジュニア」「鬱」などのキーワードをタイムリーに使って、社会の問題点をマスコミや読者の興味をそそる手腕はさすがです。

扱うテーマは違っても一貫した視点を香山リカ氏から感じます・・・「前向き」よりは「後ろ向き」「積極性」よりは「消極性」「外交的」よりは「内向的」「プラス」よりは「マイナス」の「引き算」な生き方を肯定して、説いているような印象があります。


「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール・・・という副題の香山リカ著の「しがみつかない生き方」は、訴えていることがシンプルな内容だけに、目次を読んだら著者の言いたいことの8割は伝わってしまうほどです。

「ないない」づくしのルールは「恋愛にすべてをささげない」「自慢・自己PRをしない」「すぐに白黒をつけない」「老・病・死で落ち込まない」「すぐに水に流さない」「仕事に夢を求めない」「子どもにしがみつかない」「お金にしがみつかない」「生まれた意味を問わない」・・・と、一般的な人生の指南書には反するような印象を与える意見ですが、香山リカ氏の著書を読んだり、テレビ番組でのコメントを聞いたことがある人ならば「らしい」発言と感じるのではないかと思います。


その時代、時代に提案される「足し算」的なもっともっとを求める上昇志向の強い生き方は、高度成長時代であれば高い能力、強い精神力、そして幸運などを持ち合わせていれば可能な生き方かもしれませんが、殆どの人は挫折感や喪失感を抱える原因でしかありません。

なれもこれも「しない」というネガティブな生き方を薦めているのではなく、誰でも「できる」という不可能な理想や目標は持たない方が良いのではないか・・・というです。考えてみれば、それは昔から言われてきた「身の丈ほど」の生き方ということであり、現代人のこころの事例を挙げながら、改めて提案しています。


「成功」を目指す生き方ではなく「ふつうの幸せ」を目指すための最後のルールは「勝間和代を目指さない」というのは、なんともタイムリーな引用ではあります。

勝間和代氏は「カツマー」と呼ばれる彼女の生き方を崇拝するフォロワーがいるほどの成功者であり、経済的、社会的な高い自己実現を方法を説くカリスマのような存在です。

そんな勝間和代、カツマーらの生き方に真っ向から疑問を投げかけるようなこの本は、いま大変売れているようで、近所の本屋さんの新書の売り上げベスト1になっています。


社会的、経済的な成功に執着して、不況下でも自分だけは勝ち組(死語になりつつある?)を目指して頑張りすぎることに疲れ始めた日本人に対して「しがみつかない」「ふつうの幸せ」という分かり易いキーワードで、香山リカ氏の鋭い洞察力と彼女らしいゆるい生き方提案をしている一冊でした。



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2009/09/02

ゴキブリの殺し方・・・これが決まり手!


清潔にしているはずなんだけれど・・・自宅のキッチンにはゴキブリがたくさんいます。

特に、夏は気温が高いので寒い時期より活発に活動するのか出現率が多くなります。夜中に麦茶でも飲もうかとキッチンに入ると、シンクの周辺に何匹かゴソゴソやっているます。

以前、窓から飛んで入ってきたゴキブリが自分の肩にとまったことがあって、その時は失神してしまいました。


ゴキブリだけでなく、この世界に存在するすべての昆虫類を「触れない」「近くに寄れない」ほど、昆虫が嫌いです。

蝶がフワフワと頭の上を飛んこようというならば、ダッシュで走って逃げ回ります。魚類、鳥類、両生類も苦手で、遠くから眺めるだけで十分という感じです。

基本的に人間、犬、猫、以外の生き物には触りたくないといういうのが正しいかもしれませんし・・・考えてみると、人間にもそれほど積極的に触りたいと思っているわけでもなかったりします。

それは極端な「潔癖症」ということでは全然なくて、ただ単に自分以外の生き物とは生理的に距離を保ちたいという”タチ”というだけなのです。


これだけいろんな生き物が存在しているの中で、日常生活の中で遭遇する可能性が意外と高いのが、ゴキブリだったりします。

夜中の暗いキッチンの電気をつけた瞬間に目に入るゴキブリの姿には、毎度のことながら恐怖を感じて身がすくむ思いをしています。

しかし、いつまでも脅えて逃げているばかりというのも何とも悔しいので、ゴキブリをどうにかして退治してやりたいと思うのです。

何かを叩きつけるという古典的な殺し方だと、スピードで負けてしまいます。それに、もし叩きつけて圧死させることが出来ても、後片づけが最悪です。

つぶれて中身がグチュっと出たゴキブリなんて、乾燥してカラカラになるまで近くにも寄れません。


そこで、スプレー式のゴキブリ退治を試してみました。

しかし、命中しているにも関わらず、一発でゴキブリがくたばることなんてありません。

何度も追い回してスプレーを命中させ続けないと、たった一匹のゴキブリさえ殺すことは出来ないのです。

メーカーがスプレーの毒性を強くすれば一瞬で殺せるようになるのかもしれませんが、そうなると噴射した空気自体が汚染されそうで、人間への害が不安になります。

ゴキブリホイホイ的な受け身的な退治方法は散々やっていますが、動きがとれなくなってもがく姿や、餓死で息絶えたゴキブリを見るだけでは、達成感は実感できないところがあるのです。

王道は、あくまでも自らの手で、ゴキブリを退治することなのです。


最終的に考えついたのが「熱湯」です。

熱湯なら、電気製品以外であれば、かけても色や匂いがつくわけでもないし、濡れたところが乾けば、変なシミも残りません、それに一瞬でゴキブリの動きを止めることができます。

ただ、湯沸かし器の蛇口をひねっても、すぐに熱湯がでてくるわけではないので、そっと熱湯をグラスに汲まないといけません。

グラス一杯の熱湯をゴキブリにかけることが出来れば、熱さでもだえて裏返しになって、走って逃げ回るのを止めることが出来ます。

そして、もう一杯熱湯をじっくりとかければ、ゴキブリの息の根は完全に止まります。

大変サディスティックな殺し方ではありますが、薬品を一切使用しないのでエコロジー的にも正しく、瞬時に簡単にゴキブリを殺すことのできる最高の手段だと思っています。


しかし・・・ゴキブリの死体をキッチンペーパーを何重にしても触れることが、どうしても出来ない僕には、翌朝、母(素手でゴキブリを握り殺す強者!)が片づけやすいように目立つ場所にゴキブリの残骸を放置しておくのが精一杯だったりするのです。


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