2010/11/05

多様性を求めるなら、多視点をもって差別も批判も受け入れるのだ!~『フェミニズム』と『同性愛』が人類を破壊する/ヘンリー・メイコウ著~



狂信的な陰謀マニア(?)のヘンリー・メイコウによって書かれた「『フェミニズム』と『同性愛』が人類を破壊する」を、わざわざ手にして読む同性愛者というのは・・・あまりいないと思います。
タイトルからして「トンデモナイ本臭」がプンプンしている本書ですが・・・「闇の組織陰謀説」を訴える本の中でも、かなりの差別意識と無理な論理を展開しています。
まぁ、日本語版の監修が、ベンジャミン・フルフォードというのも、いかにも嘘くさい感じです。
同性愛や女性の社会進出を激励して、保守的な家庭を崩壊させることが、ロックフェラー財団を中心とした金融エリート達によって計画された人口抑制を目的のための「陰謀」であるというのです。
出産制限をして一体、誰が何の得をするのでしょう?
陰謀だとしても、それにまんまとハマっているのは白人・・・アメリカでは、ラテン系やアフリカンアメリカンの人口が増えることに危機感を感じる保守的な白人層も決して少なくないのに・・・。

ただ『フェミニズム』と『同性愛』を元々、心良く思わないグループが少なからずいることは確かで・・・そのいう人たちが、このような本を読むと「そうか、これは闇の組織の陰謀なのだ!」という結論に一気に達してしまうのかもしれません。
アメリカには『フェミニズム』と『同性愛』を迫害する人たちというのは、宗教的な理由であったり、男性原理主義的な考え方であったりと、理由はさまざまですが・・・そういう人たちは、今や世間や政府の方針とは真逆の考え方をしているわけで、世の中に常に強いフランストレーションを感じているに違いありません。
なんとか、どうして世の中は『フェミニズム』と『同性愛』ばかり優遇する社会になってしまったのか・・・と。
それは、自分だけは「まっとな人間である」という”おごり”でしかないのですが・・・差別する側というのは常にそういうものであります。
アメリカの歴代大統領はロックフェラー財団の操り人形となるために、同性愛的な結束力で育成されているのだ・・・という、ものすごい結論に達するわけであります!
理屈の通らない主張を正当化するためには、すべての悪の根源である『フェミニズム』と『同性愛』の裏には、トンデモナイ闇の組織による陰謀があるということで、納得するしかないのでしょう。

今の日本は、若者が既成概念と戦わなければならないほどの、抑圧やら常識というのはなく、世界的にみても自由な考え方の出来る国だと思います。
アメリカには、革新的な考え方を持っている人々がいる反面、極端に保守的な考え方の人々が共存していて、その意見は常に真っ向からぶつかり合っています。
日本人同士でも口論することはありますが・・・日常的な場面では、できるだけコンフリクトは回避していく傾向にあるのではないでしょうか?
口論するためには、まず自分の意見や考え方をしっかりと持っていなくてはならないのですが・・・ボクから見ると、きっちりと言葉で白黒を説明するわけでもなく、その場の空気を察して同調していくことが好ましいという傾向があるように感じられるのです。
明らかに世間的に批判を受けるような過激な発言をするのは難しいもので・・・空気を読むこと”だけ”に長けている方が、場の仕切りが上手な人ということになったりします。
感情的に口論することも「幼稚」ですが・・・自分の意見を主張せず空気を読むというのも「幼稚」かもしれません。
さまざまな考え方があるという多様性は認めるという建前にはなっているというだけで、本質的な論議などないまま、雰囲気で「いいんじゃな・・・人それぞれで」となっている事柄が多いということ。
時代の雰囲気や世の中の流れが変わってくれば・・・今度はそれに流されて、ひっくり返ることも起こりえるのです。
それは、単に「村八分」にならないための、世間の視線を意識しての「自分の考え方」だということに他なりません。

日本では「『フェミニズム』と『同性愛』が人類を破壊する」を絶賛する「空気」はありませんが・・・陰謀説は行き過ぎとしても『フェミニズム』と『同性愛』が人類を破壊しているという風に思っている人というのは、実は結構いるのかもしれません。
男性の女性に対する幻想がリピドーを支えているというのは、何となく同性愛者のボクでも理解できますし、『フェミニズム』の隆盛と共に、その男性側の妄想が成り立たなくなってきているというのも想像できます。
ボクのゲイの友人に本書のタイトルを話すと・・・「そうかもしれない」と同調する人が多いことに驚きました。
これって、別にゲイである自分を自己否定をしているわけでなく、漠然とストレートとして家庭を築いて子供を持つ方がまっとな生き方だという考え方が、いまだにゲイでも持っていることに違いありません。
たとえ、考え方が差別的であろうが、マイノリティーとして多様性を社会に求めるのならば、多視点をもって自分の立場に対して批判的な意見にも耳を傾けることは、必要なことではないのでしょうか・・・?



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