2010/04/30

清水ミチコの顔マネでは・・・ありません!?〜森村泰昌展・なにもかへのレクイエム〜


まだ、ニューヨークでデザイン大学に通っていた頃に、森村泰昌氏の西洋の絵画の中の人物に扮した写真を初めて見たのですが・・・ボクは「美術にまつわるジョーク」をしている芸人さだと、その時に何故か思い込んじゃったんです。
最初の印象が、そんなんだったものだから、森村氏のその後の作品群を見ても「また、ふざけている。おもしろ~い!」という反応しかできなくなってしまったようです。
そして「女優家M」としての女装シリーズでは、ニューヨークのドラッグクィーンが、やりたくてしょうがないような「なりきり系」の女優系のコスプレを凝ったセッティングと撮影でやっている”ノリ”に、かなり笑わせてもらったのでした。

・・・・・ただ、その後、日本に帰国して、森村氏の文献とかに接する機会があって、彼は特にふざけているんじゃなくて、かなり真面目に活動されている”美術家”ということを知って、逆に「ドヒャー!」って、ひっくり返ってしまったのであります。
森村さんって、知的っぽい笑いを追求している「芸人」さんじゃなかったのね・・・失礼致しました。


さて、東京都写真美術館で開催されている「森村泰昌展・なにもかへのレクイエム」は、20世紀の男たち」に扮したセルフポートレート写真の新作シリーズです。
元ネタが「報道写真」だったり、有名な写真家が撮影した「ポートレート写真」ということから、以前の作品群より直接的な引用を感じさました。
女装モノよりも、本気で似せようとしているし、かなり元ネタと似ているのですが、ますます「顔マネ度」が高くなってしまった・・・という感じです。

まるで、清水ミチコのものまね芸の「顔マネ」のような!!!


そりゃ勿論、写真としてのクオリティも、作品として訴えているテーマもまったく違うのですが・・・元ネタを小馬鹿にしているのか、リスペクトしているか、ビミョーな際を表現している感じに、同じようなスピリットを感じてしまったのです。
「20世紀の歴史」と言えば大きなテーマではありますが、清水ミチコの芸能人/著名人の洞察力というのも、ある意味、そのときの時代を語っているわけで・・・100年後、200年後には森村氏の美術写真も清水ミチコの顔マネも同じように「過去の文化」として扱われるの・か・も・しれません。


セルフポートレートという同じ写真の手法のせいか、何かとシンディー・シャーマンと比較される(らしい)森村氏であります・・・が、どうなんでしょう?
森村氏本人は「シンディー・シャーマンは我が妹」と公言しているし、オマージュとしてシンディー・シャーマンの作風を真似て、シンディーになりきった作品も発表しているほど。
確かに、年齢は森村氏が多少年上なので・・・そういう意味では「兄」ではあるのでしょうが、セルフポートレートの作品群を発表したのは、シンディー・シャーマンの方がずっと早くて1970年代後半のこと。
それに、同じセルフポートレートでありながら、作品の意図することや、作品に対する姿勢は、かなり違うものであります。
「Untittled Film Stills」シリーズ、後に森村氏の女優家Mの作品に影響は与えたとは思うんだけど・・・シンディーが扮するのは、タイトルもない映画の、名前もない「女」という存在。
自己消却」しているシンディーと「自己主張」する森村氏・・・ボクには、大きく違う表現者と思えるのです。

さて・・・「森村泰昌展・なにもかへのレクイエム」は、女装シリーズほど「笑える展覧会」ではありません。
歴史を記録した写真を「再現する」ことに、ボクはそれほど深い意味を感じることが出来なかったし、メッセージも非常に分かりやすくて(別に難解であることがアートだとは言わないけどさぁ)歴史をパロった「森村流の芸」という印象ではありました。
そして何よりも・・・ところどころが、ベタなオヤジギャグところが「やっぱり森村さん、根が芸人!」としか、言えなかったのでした!

森村泰昌展・なにものかへのレクイエム
東京都写真美術館2F、3F
2010年5月6日まで



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2010/04/27

「おっぱい星人」「ちんちん星人」・・・男のサイズも評価基準になる?


「巨乳」って今では日常会話でも使われるようになっているけど・・・初めて聞いたときは、生々しくて”イヤらしい”感じがした。昔は「ボイン」とか可愛らしく表現してたし・・・その後「デカパイ」とか言ってた頃もあったような気がするけど、さすがに日常使われてはいなかったと思う。それに比べて「巨乳」は、女性からも市民権を獲ている言葉のような気がする。



胸の「大きい」「小さい」は、生まれ持った身体的な特徴だけど、男の妄想によって評価されている。ボクらの世代の若い頃には「大きな胸」=「すぐヤラせる女」というような・・・世間の勝手なイメージが、まだまだあったから、どちらかというと隠す方が多いような気もする。それが、バブル時代のボディコンから意識って変化したのかもしれない・・・。「結局、男はデカイ胸が好き!」という定説を女性が信じることによって「巨乳」は「キレイ」や「かわいい」と同じようなモテ要素のひとつとして、アピールすることが主流になったようだ。男が「オレって、おっぱい星人!」と、”巨乳好き”を自負しても白い目で見られることもない・・・逆に、草食系男子が増えてきた今、ある意味「男性的」だとして好感度がアップかもしれない。

ボクは女性じゃないから「巨乳」「貧乳」の評価を下されることはないけど、もしも、男性も身体的な「大きい」「小さい」が評価の対象となったら、どんな気分なんだろう?そう、女性が「巨乳」なら、男性は「巨根」・・・おちんちんのサイズが日常会話で語るようなことになったら、男は平然と生きていけるのだろうか?



アタシ、ちんちん星人なの~」と、女性が”巨根好き”をアピールしたり、「オレって、巨根系じゃん?股関節、痛てぇ~よ!」とか、日常会話で交わされているとしたら・・・。

そもそも、おちんちんの「大きい」「小さい」の基準って・・・ハッキリしない。イヤ・・・逆に男性としては、あまりハッキリして欲しくないのかもしれない。女性の胸の大きさに関しては「Cカップ以下は貧乳」とか、勝手なこと言ってるくせにね。

男の平均サイズには諸説あるけど、正確な統計を集めることが難しいようだ。自己申告制だと、見栄を張って申告しがちなので・・・統計結果は「大きめ」に。性の悩み相談の返答では、コンプレックスを持たせまいとして・・・平均サイズは「小さめ」に。せめて「平均サイズで、ありたい!」と思う男性は、結局のところ、自分の都合の良いようにデータを解釈している。しかし、そこをハッキリさせようということで・・・「Condomania/コンドマニア」が、世界70カ国27000人の顧客データを集計した「勃起時の平均サイズ」を、先日発表したのだ!

TheyFit condoms/ゼイフィット・コンドーム」という、76のサイズのあるコンドームの販売データから分析されているので、おそらく信憑性は高いと思われる。ただ、アメリカのサイトでの販売実勢が中心となっているので、日本人男性の平均とは違うかもしれない。どうやってサイズの計るのかというと・・・まず、コンドマニアサイトから「Fit Kit」をダウンロードして印刷をする。ペニス用の定規をハサミで切り抜いて、それを自分のモノに巻き付けて、長さ(14段階)と、太さ(11段階)を計るというもの。サイズチャートから導かれる適正サイズのコンドームよって、長さも太さもしっかりと”モノ”にフィットするので、みんな「ハッピー!」というわけ。



さて、その「調査結果」だけど・・・50%の男性は5インチ(127mm)から6インチ(152mm)ということだった!数値に、随分と幅を持たせているところが「なまぬるい」という気もするるけど・・・ボクの正直な反応としては、アメリカ人男性を対象としたことを考えると「思っていたよりも、小さい」という印象。27000人には敵わないけど、ボクなりのアメリカ人男性のサイズの統計はあるわけで・・・6インチより若干大きめ(16センチぐらい)が、平均かな?・・・というのが、個人的な見解。さらに、アメリカ人にも5インチに満たない人が25%(4人に1人)というのだから、ちょっと驚く。日本人はアメリカ人のは「デカイ」と勝手に思い込んでいるけど、実際はそれほど違いはないのかもしれないと思ってしまう。

アメリカの50州のランキングや、都市別のランキングも発表されていたんだけど、こちらは意外な結果で面白い。「巨根」の多い州は上位から、ニューハンプシャー、オレゴン、ニューヨークで、「粗チン」の多い州は、ワイオミング、ユタ、アイオワとなっている。1位のニューハンプシャー州って白人の割合がアメリカでも多いところだけど・・・そんな「巨根」が多い州だとは驚き!都市別では、ニューオリンズ、ワシントンDC、サンディエゴ、ニューヨークシティの順で、こちらは黒人やラテン系が多そうなところばかり。ちなみに「粗チン」の都市ナンバーワンはテキサス州のダラスでありました。まぁ・・・殆どの人には「だから、どうした?」という話だろうけど。



ストレートの男性が「巨乳」を求めるように、ゲイの男性が「巨根」を求める傾向というのは”ありがち”でも、さすがにゲイ同士でも「巨根好き」を堂々とアピールするというのは、ちょっとビミョー。さらに、自ら「巨根」をアピールし過ぎるのは、もっとビミョー。普段はパンツを穿いているし、常に勃起させているわけではないから、女性の胸のように見ただけでは分かりにくい。出来れば、噂で「大きいらしい!」と広まってくれるのが、理想的なのかもしれない・・・って、何の話だ!

将来的に、ますます草食系男子の増加していくと、肉食系女子生殖活動(婚活ならぬ・・・殖活によって、強い「オス」に一夫多妻制のように集まってくる傾向は強まるくるのではないだろうか?そうなった時に「巨根」「粗チン」か、が評価基準にならないとは、誰が言い切れるのだろうか?

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2010/04/25

何故か文化人的な大物扱いの女装タレントのマツコ・デラックス~「徹子の部屋」~




「もっと毒を出していこう!」で、いきなりマツコ・デラックスを話題にするのも”なん”なんだけど・・・先週金曜日(2010年4月23日)放送の「徹子の部屋」の反応をネットなどでみて、ますますマツコ・デラックスの過大評価にうんざりしちゃっています。

基本的に女装タレント好きだからこそ、応援もしたいれど見る目も厳しくなりがち・・・コメンテーターとしてのマツコ・デラックスは、平凡で常識的な発言ばかりで毎度ガッカリさせらればかりいる。それにしても、金曜日の「徹子の部屋」は、無難としか言いようもないほど平凡な回だった。ネットでは、徹子さんが番組冒頭にマツコ「性別も年齢もわからない」と、コメントしたことが話題のようだけど、単に徹子さんはマツコのことにそれほど興味がなくて、ご存知ではなかったということだろう。

「テレビ界には徹子さん以外に尊敬出来る人はいない!」と、以前から断言してきたマツコだけど・・・それって、アメトーークの「徹子の部屋芸人」的な”シニカル”なツッコミの意味も含めてじゃなかったの?以前、徹子さんのことを褒めた記事を書いていたことがあると媚びるマツコに対して「では、ワタクシのどんなところが良いと、お思いになります?」と、徹子さんにツッコまれると、マツコは一瞬、言葉につまり・・・「ひと言で言うなら・・・他の人とは違うところ」という、ある意味、誰に言っても”正解”の無難な返答。「窓際のトットちゃん」を読んで「人と違っていても良いんだって、勇気もらいました!」っていうマツコの逸話も、トットちゃんを読んだ人なら誰もが感じるであろう平凡な感想でしかない・・・当然、徹子さんも本を読んでくれたことには感謝を表しつつも、軽くスルー。

「力士に間違えられた」話も、マツコがあちこちで語っている毎度お馴染みの話で、オチもいつもと同じ・・・女装していても横からだと力士にしか見えないマツコだけど、世間一般的には、そんなに面白いネタなのかな?両親には、まだ自分が同性愛者であることや、女装趣味、どんな仕事をしているか、をハッキリと言ったことがない・・・というのも、おネエタレントにはヒジョーによくある話。「マツコが女装で両親へ真実を告白!」なんて嘘臭い感動のやらせドキュメンタリーを、マツコが落ち目になった時にバラエティ番組で企画されたりするかも・・・。


毎回、ゲストの雰囲気に合わせて衣装を選ばれている徹子さんだけど、この日の衣装は徹子さんにしては地味な雰囲気のコム・デ・ギャルソン(?)・・・徹子さんはマツコに対して「とんがった」イメージを持っていられたみたい。常識的で平凡な”受け答え”しかしないマツコに、徹子さんのテンションも番組中ずっと低め・・・両親への感謝というベタな”しめ”(おネエタレントのお約束!)で、徹子さんはキレイにまとめたのでした。こういうのを「深イイ話」として感動しちゃう人がいるんだとは思うけど・・・そういう薄っぺらい感性のバカにはウンザリしちゃいます。

ゲイのお友達は多そうな徹子さんではありますが、基本的にはイケメン好き(ビーズ刺繍作家の方とか?)・・・番組中、徹子さんの体勢は若干後ろ側に引き気味で、マツコとの距離はしっかり保っておられました。他局で「マツコの部屋」という冠番組をもつマツコ・デラックスが、本家の「徹子の部屋」に出演ということで非常に注目を集めていたけれど・・・徹子さんだけでなく、「徹子の部屋」という番組の視聴者へ対しても、媚びている印象しか残らなかったのでした。



ところで、マツコ・デラックスのプロフィールには「コラムニスト」とあるけど・・・その実体を考えている人って、どれだけいるんだろう?「今朝、原稿入れたわ~」とか、時々ボヤいているけど・・・「コラムニスト」を名乗るよりもテレビタレントが雑誌に連載を持っているという程度であるのが実態。コラムニストと名乗ってテレビに出る、テレビに出ているからコラムの仕事が来る・・・ニワトリが先か、卵が先かじゃないけど、そんな感じ。マツコのエッセイが、本として出版されたのはテレビ出演する前のキワモノ系だけしかない。




元々は「バディ」というゲイ雑誌の編集者だったマツコだけど、この雑誌について一般人は、それほど詳しくは知らないと思う。ゲイバーやゲイAVの広告が雑誌のほぼ半分で、出会いの投稿欄、男性のヌードグラビア、ゲイ漫画で殆どの紙面が埋められて、編集記事というのはごくごく僅か。面白い記事は、大抵、外部のライターの執筆によるもの・・・良くも悪くも”同好者向けの同人誌”である。当時は、編集者のひとりとして「松井」という本名(松井貴博)を名乗っていたっり「松風」と名乗ったりマツコだけど・・・バディ編集部企画の合コンパーティーの女装MCとして2000年頃から「マツコDX」(当初”デラックス”はアルファベット表記)名乗り始めたようだ。



その頃、二丁目常連の”おこげ”ライターの中村うさぎなどとゲイバーで交遊を深めたようで・・・出版社や雑誌編集者らとの”ネットワーク”を広げていったらしい。中村うさぎの書き下ろし対談集「中村うさぎ人生張ってます〜無頼な女たちと語る〜」に、まだ無名だったマツコが登場したりしている。




2002年、ソニーマガジンズから「アタシがマツコ・デラックス!」という自伝的エッセイを出版、翌年「週刊女性」誌の「週刊女装コーナー」の連載(のちに「週刊女装リターンズ」として出版)も開始・・・晴れて「ゲイポルノ雑誌編集者」から「コラムニスト」に転身したわけだけど、当時は、あくまでも「デブ」「ブス」「女装」の3本立てが”売り”のキワモノ系でしかなかった。内容的には芸能人の挙足をとるような雑文・・・すでに世間では認識されているツッコミ部分をオネエ言葉で書いているという感じ。現在は絶版になっている2冊の本だけど、マツコ名がこれだけテレビで売れたにも関わらず、再版はされていない・・・。(だだし「アタシがマツコ・デラックス!」はプレミア価格が超高騰している!)


中村うさぎと同様に「5時に夢中!」出演メンバーである中瀬ゆかりが、編集長を務めていた「新潮45」(腐っても新潮?)でマツコはエッセイの連載をしていたのだが、これで「コラムニスト」としては、多少「箔」がついたのではないだろうか?ただ、中瀬ゆかりが編集長を辞めたと同時にマツコの連載も終わってるところをみると・・・うさぎゆかりくらたまなど「5時に夢中!」メンバーでもあるオカマ好きの業界人によって、マツコは支えられていることがわかる。一部の業界人に注目される存在からテレビに進出したのは、数年前に放送されていたTBSテレビの昼のワイドショー「ピンポン」だったけど、当時は”おネエレポーター”の一人でしかなかった。

マツコ”不思議さ”は、假屋崎やIKKOらの「おネエMANS」ブームが一旦落ち着いた後に、突如、中村うさぎや中瀬ゆかりと並んで、文筆家(コラムニスト)という文化人的”ご意見番”の立ち位置でテレビタレントとして、世間に認知させルことに成功させたこと・・・マツコの所属事務所「ナチュラルエイト(くりぃむしちゅー所属)」の手腕なのだろうか?

初ゴールデン番組レギュラーの「悪魔の契約にサイン」の見事なコケっぷり、初冠番組「マツコの部屋」(マツコへのギャラ5000円という低予算番組)の内容のなさ、ぷよぷよ宣伝のためのTwitterのフォロワー獲得失敗などの汚点にも関わらず、着実に芸能界(?)への進出を果たしているマツコ・デラックス・・・出れば出るほどキャラが立つわりに、常識的な見解しかない平凡さが目立ってしまう・・・。それを、番組の時間帯や視聴者を考えて毒舌を抑えている・・・だから「マツコって頭良い!」と、勘違いしたりしている頭の悪~い業界人や視聴者がいるみたいだけど、とんでもない”買いかぶり”だとしか思えない。マツコは鋭いコメントをするというよりも、単に愚痴ったり怒っているだけなんだから・・・それに、その標的は大物じゃなくて、二代目タレントとか、若手芸人とか、ADとか、叩いても実害のない雑魚ばっかり



テレビに出演することもある女装タレントの中だったら、自らを「女装家」という名乗るミッツ・マングローブや、コメントに意外性のある「ひげガール」に勤務のオデヲン(サンデージャポン)の方が、まだ好感が持てるのだキワモノキワモノとしての、独自の視点知性がある・・・容姿のインパクトではマツコには敵わないが、ギリギリの際で笑わせる術も巧み。ただ、体型が似ているからだけで、マツコのことをナンシー関の後継者として期待する輩もいるようだけど、コラムニストとして同じ土俵にさえいないふたりを比較するなんて、そもそもナンシー関に失礼な話だ。それに、自分がテレビに出る立場になってしまったら、挙足をとる立場には、もうなれない。
ところで、マツコって京塚昌子さんに、結構・・・似てる。「肝っ玉母さん」のイメージがフラッシュバックして、ある世代以上は無意識に好感度をもってしまうのかもしれない!



「太っている」ことが、一番のアイデンティティーのようななマツコ・デラックス・・・容姿女装「ギャップ」を”売り”にしているうちは、ブサイクを売りにするお笑い芸人と変わらない。・・・にも、関わらず、何故かの文化人のような大物扱いされている。テレビでわざわざ、ご意見を伺うほどでもない・・・二丁目ではよくいるタイプ。キレイじゃない女装だから、コミック系の笑い者になるべきだとも、全然思わない。(まぁ、ゲイバーだったらコミック役は、必然的に決定だけど)フツーに女装タレントと扱われているなら、フツーに応援したい。

業界人たち!いい加減にマツコ・デラックスの過大評価やめようよ。



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2010/04/24

自分を知るということで解き放たれるのだ!・・・・「ツッコミ」転じて、実は「ボケ」 ?


「なんで、ブログやっているの?」という素朴かつ、キツ~い質問を友達からぶつけられて「そんなに、意味がなさそうに見えるの?」と、密かに頭を抱えてしまうことがあります。
「橋本治チャイルド」おかしのトップ7の「僕が僕になるための橋本治の本」)であるボクにとって、書く文章が「長くてしつこい」のはナチュラルなのことで、馬鹿でもわかるように(失礼!)しっかり説明してしまう癖が身に染みているのです・・・携帯メールまで長いんだから!

十年来の友人のU姐(Crossroads)は、プライベートでも敏腕プロデューサー気質を発揮してくれる頼もしい”姉御”。
ここ数年は仕事で関わることもないので、たま~にしかお会いする機会はないのですが、”カンフル剤のようなアドバイスを「ここぞ!」という時に頂いたり致します。
さて、今回の”カンフル剤”は、ブログが「なまぬるい!でありました。
U姐自身もブログを始めて3年・・・ブログを続けること、ブログで自分らしくあること、周りの人間への気遣いなど、試行錯誤を経験しているからこそ・・・の言葉です。
普段、何気なくを吐いてしまうボクでありますが、ブログの文章には、そういう”良いところ”が十分に発揮されていないと!
せっかく、しがらみのない個人ブログをやっているなら、として吐き出した方が「らしい」「面白い!」ということなのです。
ボク独特の視点言葉使いを、誰よりも早く評価してくれたU姐なら”では”の、プロデューサー的な見解!
ただ・・・ボク自身は基本的に「ツッコミ」のつもりでいるんだけど、何故かU姐からは「ボケ」扱いされる・・・それは、それで時には不本意、でも・・・それがボクの本質なのかもしれないとも思えてしまう。
まず、第一歩として”ちゃんと書く”ことにこだわらず、素の自分で書こう・・・というに結論に達したのでありました。

そんな、こんなで・・・食事会も終わり、U姐のベンツを駐車していた六本木ヒルズの地下駐車場に向かったところ・・・まぁ大変、駐車券がない!
さすがのU姉も”アラフィフ”になると、さすがに「ボケ」ちゃうのねぇ・・・「コートの内ポケットは?」「バッグのサイドジッパーは?」と、ここぞとばかりに「ツッコミ」入れちゃお〜っと!
「最近、こういうことよくあるのよ~」と、言い訳をしながら、地べたにしゃがみ込んで必死にでっかいバッグの中を探す・・・健気なU姐。

じゃあ〜、記憶を辿ってみましょうか?
レストランに行く前に「ロブション」でパン買ったよねぇ?
レジで駐車券にスタンプ押してもらったよねぇ?
で・・・最後にお金払っていたの、誰?
・・・って、ボクじゃん!

大騒ぎして探しまくっていた駐車券は、ボクの財布にしっかりと入っていたのでした・・・U姉の物忘れのボケに、輪にかけてのボクの見事なボケっぷり!
な〜んだ・・・U姐も、ボクも、二人とも「ボケ」だったのでありました。

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2010/04/18

フェイ・ダナウェイが女優生命を賭けてジョーン・クロフォードを演じた完璧な名作!~「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」~


この映画を知っている人からは「ホント・・・こういうの、好きなのねぇ」と、呆れられてしまいそうでありますが、ある意味、ボクの映画に対する趣味嗜好を決定づけてしまった、まさに「原点」のような作品なのであります。そのため、今回はかなり長~い文章となりますが、ご勘弁ください・・・。

毎年の最低映画に送られるゴールデンラズベリー(ラジー)賞の1981年度(第2回)の最低作品賞、最低主演女優賞、最低助演男優賞、最低助演女優賞、最低脚本賞の5部門、そして1980年代最低作品賞までにも輝いた「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」は、日本では失敗作という扱いでテレビ放映のみ、その上、DVD化はおろか、ビデオ化さえされていない「幻のカルト映画」となっています。

ボクは1981年9月15日に留学のためにニューヨークに到着したのですが、この映画はその3日後の9月18日からニューヨークでオープンしたということもあって、当時は街中に宣伝用ポスターが溢れるように貼られていました。また、渡米直後に観た映画のなかでも最初の何本目かの映画ということもあって、英語の台詞や細かいストーリーは殆ど理解できなかったのですが、衝撃的な内容が脳裏に焼き付いてしまいました。


公開から年数が経ってからカルト映画として人気がでた・・・という誤解があるようですが、少なくともニューヨークでは公開直後からカルト映画として、制作会社がドラァッグクィーンやゲイの観客向けに宣伝広告がされており、一時は「ロッキーホラーショー」と双璧をなすほどでした。ハリウッドスターの私生活を辛辣に攻撃した内容から批評家からは酷評され、児童虐待映画として一般の観客からもそっぽ向かれたため、興行成績は散々・・・この映画に関わった主演のフェイ・ダナウェイはもとより、監督、脚本のフランク・ペリーまでも、この映画により、その後の映画人生に大きなダメージを与えたと言っても過言ではありません。観客にとってトラウマというだけでなく、関わった人たちにとってもトラウマとなってしまったのです。主演のフェイ・ダナウェイに至っては、いまだに公で本作についてコメントすることを強く拒否しているぐらいですから・・・。

この映画は「ジョーン・クロフォード」の私生活を、養女のひとりである「クリスティーナ・クロフォード」の視点から描いた伝記映画です。ジョーン・クロフォードというのは、1920年代後半から1960年代まで活躍した、くっきりとした眉毛が印象的なハリウッド女優ですが、僕の世代ではリアルタイムで彼女が最も美しかった時代の映画を観たことはありません。エイドリアンがデザインした「肩パッド」の入ったコスチュームのイメージだけが強かったりします。また、1960年以降は(ベティ・デイビスなどのように)多くのホラー映画にも出演していたりして・・・斧を振りかざしている老婆役も強烈でした。

ジョーン・クロフォードの死の翌年の1978年、映画の原作となった「Mommie Dearest/親愛なるマミー・ジョーン・クロフォードの虚像と実像」は、クリスティーナによって出版された暴露本のはしり(日本でも当時出版された)・・・トンデモナイ内容にも関わらず、亡くなった数年後に映画化されてしまったことは、今思えば奇跡的なことです。確かに”ジョーン・クロフォード”という作り上げられたハリウッドスターの名声は汚しているのかもしれませんが・・・リアルタイムで知らない世代とっては、本作をきっかけにジョーン・クロフォードのファンになることもある(ボク自身がそう)ので、決してマイナスだかりではないのではないでしょうか?


ジョーン・クロフォードを演じたフェイ・ダナウェイという女優さんは「俺たち明日はない」のボニー役で注目され、1970年代には「チャイナタウン」「タワーリングインフェルノ」「コンドル」「ネットワーク」「アイズ」など次々と話題作に出演し、1979年には、日本の”PARCO”の広告に起用されたこともあって、日本ではハリウッドスターとしてだけでなく、新しい時代のかっこいい女性像というイメージもありました。

そんな脂がのったフェイ・ダナウェイが、彼女の女優生命を賭けて望んだのが、この映画だったのです。確かに、ジョーン・クロフォードとフェイ.ダナウェイは、どこかイメージ的に、かぶるところがあるのかもしれません。アメリカ公開時の予告編(トレイラー)を観る限り、制作者側も確信犯的に、カルトなノリを狙ったのではないかと疑ってしまうのですが・・・制作スタッフを含め出演者も制作当時は大真面目だったようで、フェイ・ダナウェイは本気でオスカー(アカデミー賞)を獲るつもりだったとという噂さえあります。 


映画は、すでにハリウッドスターとなっているジョーン・クロフォードの朝支度から始まります。ゴージャスな寝室で目を覚まし、お湯で洗顔してあとは氷を入れた冷水で引き締め、巨大で美しく照明で照らされたクローゼットから衣装を選び、リムジンに乗り込んでスタジオに向かいます。ここまで顔を正面からは写すことはせず、スタジオの楽屋の大きな鏡の前で、くっきり眉毛と真っ赤な口紅のジョーン・クロフォード風メイクアッップして準備ができあがり「さぁ、やりましょう!」と振り返ると、フェイ・ダナウェイ扮するジョーン・クロフォードの顔が、初めてドーンと画面に登場するのです。そこで観客は思わず「ドヒャー!」と、ズッコけずにはいられません。確かにフェイ・ダナウェイのジョーン・クロフォードの「なりきり度」は高いのですが、その方向性が「女装パフォーマー」のノリなのです。

ジョーン・クロフォードは、マリリン・モンロー、ベティ・デイビス、グロリア・スワンソンらと並び、スター系の女装の定番なのですが・・・フェィ・ダナウェイは、女装にありがちな「キャラ誇張」をしながら、妙にド真面目になりきっているために、ふざけているようにしか見えないという「大惨事」になってしまったのでした。ただ、この映画でのフェイ・ダナウェイがアメリカの女装界(!)に与えた影響というのは絶大で、リップシンカ(Lipsynka)というジョーン・クロフォードルシル・ボール(アイ ラブ ルーシーを演じたコメディアンヌ)を足して二で割ったような女装パフォーマーは、フェィ・ダナウェイの偉業に敬意を表しつつよりコミカルに演じて、さらなる完成度を極めた・・・と言えるでしょう。


ジョーン・クロフォードは、生まれた時には両親が離婚していた貧しい家庭の出身で、コーラスガールからハリウッドスターに成り上がった女優です。若い頃は美貌に恵まれ、勝ち気で世渡り上手であったようですが・・・この映画では、ジョギングなどの運動で体力と体型を保つ努力家であったことや、アシスタント相手に台詞や演技を練習する真面目な女優としての姿も描いていきます。何もかも手に入れられるような贅沢な生活をしていますが、子供には恵まれず母になることを望んで、孤児院から子供を養女を取ることにするのです。

子供は「母」としての喜びを与えてくれると同時に、ジョーン・クロフォードというスター女優のPRとしても利用され・・・徐々に我の強いモンスターのような母親へと変貌していきます。スターの娘ということで決して「甘やかしたりしない」というのがジョーンの主義で、自己宣伝のために大規模な誕生会を催すものの、山のように届けられたバースデープレゼントの中で、クリスティーナがキープ出来るのはたったひとつだけ・・・残りは孤児院へ送られるというのです。確かに、恵まれない子供達にプレゼントを分け与えるというのは悪いことではありません。ただ、わざわざ「養女は、最も幸運な子供・・・何故なら、選ばれたのだから」と、娘自身に言わせるのは、ちょっと変だぞ・・・という感じです。

子供時代のクリスティーナのエピソードには、カルトファンを喜ばすような児童虐待の場面がたくさんあります。鏡の前でスター気取りでスピーチのふりをするクリスティーナが、自分のことを馬鹿にしていると思い込んで、髪の毛を掴んでメチャクチャに散髪したり・・・主演映画の興行成績が悪くなってきたため、映画のスタジオから解雇されて、その腹いせにスタジオの社長からプレゼントされた庭木を斧を振りかざして切り倒したり・・・ただ、クリスティーナも、純粋で良い子として映画では描かれているわけではなく、大人を見透かしたようなませた視線も持っている(ジョーンに負けない)勝ち気な子供として描いています。娘のクリスティーナ側に、観客の好感を持たせない・・・絶妙なバランスです。おそらく、この映画の中で最も有名なシーンは、クローゼットの「ワイヤーハンガー」に、ジョーンが異常な怒りを爆発させるシーンだと思います。


数百ドルもする高価なドレスに、安っぽいワイヤーハンガーを使っていることを発見し、ジョーンは白塗りのパックの顔のまま・・・「ワイヤーハンガー、ダメ~!」と、仁王立ちして叫び、クリスティーナを叩き起こします。「なんで、こんなに美しい高価なドレスに、安物のワイヤーハンガーなんだ!」と怒りながらクローゼットの服をまき散らし、ワイヤーハンガーでクリスティーナを何度もひっぱたきます。「ごめんなさい!マミー」と、繰り返し泣きながら謝るクリスティーナに向かって、ジョーンは「マミー・・・何?」と、問い詰めて「ごめんなさい・・・親愛なるマミー」と、言わせるのです。さらに「そう呼ぶ時には、ちゃんと、そういう意味で言うのよ!」と、ダメ出しまでするジョーンの白塗りの顔は、なんと怖いのでしょう!それから、ジョーンは子供専用のバスルームへ進み「ちゃんと、掃除したのか?」と、クリスティーナに問いただします。そうです・・・この家では家政婦がバスルームを掃除するわけではないのです。青いタイルの床はピカピカなのですが、ジョーンはクレンザーをまき散らしながら「こんなに汚いじゃないか!こすれ!こすれ!」と、狂ったように命令します。散々、床をクレンザーまみれにした挙げ句に「ひとりで考えて、きれいにしなさい!」と突っ放し、空を凝視する顔はハッキリいっていっちゃってるとしか言いようがありません。

ある意味、このシーンはフェイ・ダナウェイの女優生命をかけたような熱演ではあるのですが・・・まるで歌舞伎の「睨み」のようで、白塗りの顔に片目だけの寄り目というパフォーマンス”に、観客は笑ってしまうしかないのです。ちなみに、ハンガーを振り上げるシーンで、観客席で持参した安物のワイヤーハンガーを画面に向かって突き出すというのが、カルト映画として観覧する場合の「お約束」であります。

その後、ティーンエイジャーに成長したクリスティーナとジョーンの、さらに激しい確執を描いていきます。虐待のようなしつけを受け続けて、クリスティーナは苦虫を噛んだような憎々しい表情の小生意気な少女になっており、なにかにつけて母親であるジョーンに絡むのですが、ジョーンも以前にも増して圧力的にクリスティーナを押さえつけ、あくまでも自分流のやり方をすべてに強制するのです。ある日、男子学生と納屋でちちくり合っていたクリスティーナは、その男子学生に憧れていた女子学生に密告されてしまうのですが、そんな淫らな行為を容認する対応の学校にキレて、ジョーンは無理矢理クリスティーナを退学させてしまいます。帰宅後、取材に来ていた記者に「娘は退学させられた」と、自分の都合のいい嘘をつくジョーンに、クリスティーナの怒りが遂に爆発します。「どうして、私を養女にしたの?」という禁断の質問をぶつけるのです。この場面は、この映画の中でも僕が最も好きなシーンで、クリスティーナの名台詞が飛び出します。


ジョーン
「どうして、道を歩いている他人のように、私と接することが出来ないの!」

クリスティーナ
「だって・・・私は、あなたのファンじゃないんだもの!」

そしてジョーンとクリスティーナは、取っ組み合いのケンカを始めてしまいます・・・仰向けのクリスティーナに跨がり、両手の五本の指を大きく拡げて自らを暴力から制しようとするジョーンの姿は、まるで歌舞伎の”見栄”のようです。フェイ・ダナウェイが熱演すれば、するほど、本人や制作側の意図とは違うとところで面白しろくなる・・・という明らかに”やり過ぎ”な場面であります。

その後、男の子とエッチなことをするような素行の悪い(!)クリスティーナは、全寮制の修道院の学校に入学させられてしまうのです。成人してから、クリスティーナは母親と同じ女優を目指すのですが、勿論ジョーンは何一つ、娘のために手を貸そうとはしません。苦節の末、やっとクリスティーナが手にしたテレビのソープ番組(昼メロ)の役さえも、病気で緊急入院したら、これ幸いにと・・・当時は完全に落ち目になっていたジョーンがプロデューサーに掛け合って「代役」についてしまうのです。60歳をとうに過ぎて、20代そこそこの役をするには、かなりの無理があるはずで・・・これがジョーンの最後の仕事のひとつとなったそうです。

クリスティーナ自身も成長して行く過程で、ジョーンの厳しさも母親としての愛情だと受け入れていくのですが・・・映画の最後の最後に、どうしてクリスティーナが辛辣な暴露本を出版するに至ったかが解き明かされます。ジョーンの死後、遺言状が弁護士によって伝えられるのですが、1セントさえクリスティーナと養子のクリストファーには遺産を残さなかったのです。その理由は「すでに、彼らには分かっているはず・・・」として。「最後はお母さんが決めたね」というクリストファーに対し、クリスティーナは「そう?」と、画面に向かって冷たく問いただして、映画はエンドタイトルとなります。暴露本は、ジョーンの遺産を一切受け取ることが出来なかった、娘クリスティーナの復讐なのでした・・・。

正直・・・映画のラストシーンの後味は良くありません。養女としてハリウッドスターに選ばれたクリスティーナは、考え方によっては恵まれていたにも関わらず、金のために母親の名声を汚すような暴露本を出版するなんて「最低だ!」と批判されて当たり前かもしれません。この映画が酷評される理由のひとつに、告発している養女ひとりの視点”だけ”から描かれた、歪んだ(?)伝記映画であるということがあると思います。ジョーン・クロフォードには、映画に出てくるクリスティーナとクリストファーの他にも双子の養女がおり、この映画で描かれたようなモンスターのような母親ではなかったと、彼女らは発言しています。ただ、何が本当に起こっていたかなんて当事者だけにしか分からないことであり、それぞれの視点によって”事実”というものも違ってくるものです。死んだ母親への復讐をせずにいられなかったクリスティーナ・・・なんとも虚しい母と娘の関係でしょう。


ジョーンにとって、養女や養子を厳しく接することは、彼女なりの子供達に対する愛情だったのかもしれません・・・彼女自身が成り上がったように、世の中で生き抜くための力を与えるためにも。ただ、そんな母親に感謝すると同時に、そんな母親を許せないクリスティーナの気持ちも、ボクは理解できないわけではありません。

この映画は「最低映画」という烙印を押されるような映画ではなく、フェイ・ダナウェイの狂気に満ちた熱演はもとより、他の出演者の演技も、脚本も、撮影も、音楽も、そして演出も、決してデキの悪いわけではないということ。それどころか、モンスターのような「母親」を描くという点においては「完璧」だったのではないのでしょうか?ジョーン・クロフォードという実在のスターを元に、人格的に同情の余地のないキャラクターに仕立て上げてしまったことが、不幸な評価につながったのかもしれません。ハリウッドスターという虚構に対して遠慮のない日本でこそ、正しく評価されるべき映画だったと思えてしまうのです。

結果的に「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」は不名誉な記録を残して、カルトファンに語り継がれる映画となってしまいました。その映画のあと、監督のフランク・ペリーは、注目されるような作品をつくることなく・・・1995年に亡くなりました。フェイ・ダナウェイは、「スーパーガール」の魔女のような役柄(夏木マリとかが得意そうな?)のイメージの女優となってしまって、ハリウッド映画の主役を演じるチャンスを失ってしまいました。現在、活躍の場はテレビ番組の連続シリーズなどの脇役になっています。ひとりの女優生命が、たったひとつの映画で無惨に断たれてしまう・・・そんな残酷なメロドラマのような本作を、ボクは心の底からこよなく愛しているのです。


「愛と憎しみの伝説」
原題/Mommie Dearest
1981年/アメリカ
監督 : フランク・ペリー
脚本 : ロバート・ゲッチェル、フランク・ペリー、トレイシー・ホッチナー、フランク・ヤブランズ
音楽 : ヘンリー・マンシーニ
出演 : フェイ・ダナウェイ、ダイアナ・スカーウッド、スティーヴ・フォレスト
日本劇場未公開
2014年1月27日、TSUTAYA限定のDVDオンデマンドにてDVD発売。
2015年6月10日、TSUTAYA発掘良品にて廉価版DVD発売。



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2010/04/17

今、改めて読んでみる、肉食系親父による肉食系男子の指南書~「試みの地平線~伝説復活編~」/北方謙三著~



ヴィレッジヴァンガード」という本屋さんが僕は好きで、吉祥寺とかに立ち寄った時には必ず足を運びます。
欲しいと思った本はアマゾンで購入してしまうので、さらに読みたい”本”を探す必要があるのかとは思うのですが・・・普通の本屋さんとは違う視点で本が陳列されているので、自分が読みたいと思ってもみなかった本と出会える場所なのです。

先日、その「ヴィレッジヴァンガード」をブラブラしていたら、人生相談本のコーナーに数年前に出版された北方謙三著の「試みの地平線~伝説復活編~」という本を発見しました。
僕はハードボイルドや中国小説に興味がないので、北方謙三氏の本を読もうと思うことは今までなかったのですが・・・肉食系親父のフェロモンを感じさせる表紙に惹かれて(?)手に取って購入してみたのです。
北方謙三氏のイメージを裏切らない男目線の返答に最初は失笑し、感覚的に時代錯誤を感じながらも、次第に書かれているメッセージに頷いてしまったのでした。

この本は、1986年から2002年まで「ホットドッグ・プレス」という雑誌に連載されていた北方謙三氏による同名の人生相談から抜粋されています。
僕の世代にとっては「ポパイ」と並ぶスタイル誌ですが、どちらかというと「ホットドッグ・プレス」は垢抜けていない田舎者向け(失礼!)というイメージです。
アッシーくん、メッシーくんのバブル時代から、草食系男子が出現する直前までの時代に「男はどうあるべきか」を北方謙三氏は繰り返し訴えているのですが、世の男子は彼のメッセージとは違う方向に向かってしまった印象があります。
「ソープで筆おろし」「痩せ我慢の美学」「男のこだわり」「男らしい生き方」などなど・・・僕自身は若い頃、そういう教えに違和感を感じたタイプであったのですが、ある程度の洗脳(?)というのは、正しい”大人の男”になるためには必要な過程だったのかもしれないと、40代という親父に自分自身がなってみて感じることがあるのです。
思い返せば・・・1970年代には、このような「男とは、こうあるべきだ!」的な教えというのは、少年誌/青年誌の思想的なベースにあったような気がします。
歴史的に「大人の男」になるためにはイニシエーションがあったものですが、そういう儀式がなくなってしまった現代では、学校や会社という組織内で行う必要があるわけです。
クラブ活動の中での先輩からのシゴキとか、会社での非人間的な研修とかは、ある意味、子供の時代の自分を否定されて(殺されて)生まれかわる作業であり、先輩からの教えによって自我が「大人の男」として再構築されるという大事な過程だったのでした。
しかし、そのようなイニシエーションが殆どなくなった現在では、男の美学として矯正されていた男のもっている気質が、歪んだ形(オタク、ストーカー、キレやすい、ロリコンなど)で、残されてしまったような気がします。

北方謙三氏は僕より16歳ほど年上なのですが、この人生相談の連載スタート時、彼は「39歳」でした。
時代は違うといっても、その親父っぷり、先輩っぷりに、改めて驚かされます。
確かに、僕らの世代が若い頃には北方謙三氏のような先輩は、”避けようとしても”存在していて、何かと説教くさいことを言っていました。
しかし、時代は女性の意志や権利を尊重するという正しい(?)考え方が主流となり、男性至上主義な「男でござる」的な発想は衰退していきました。
また、個性を尊重するという考え方よって、半強制的に「男たるもの」を教えるということもなくなっていきました。
僕らの世代が自分の下の世代に、北方謙三氏のような「先輩」になれなかったということが、草食系男子を生んだ原因のひとつではないのでは・・・と、思わさせられたのでした。



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2010/04/11

自由気ままな人生だから「孤独死」覚悟で楽しく生きるのだ!~「しがみつかない死に方」香山リカ著~



「孤独死」という「死に方」を意識したのは、2年ほど前の飯島愛の死がきっかけだったかもしれません。
亡くなった時、すでに彼女は芸能界を引退していたものの、一週間も遺体が発見されないということが、なんとも悲惨な死に方のように、当時感じてしまったのでした。
ただ、よく考えてみれば・・・将来的に僕が一人暮らしのジジイになることは明らかだし、暮らし馴れた自分の家でひとりで死ねる「孤独死」というのは、ある意味、理想の死に方ではないかと考えるようになっていたのです。
しかし、今年の一月にNHKで放映された「無縁死」についての番組を観て、僕が将来、直面する死に方というのは「孤独死」でなく、より「無縁死」に近い死になることを悟ったのでした。
「無縁死」というのは、身元は分かっているにもかかわらず、遺体の引きとる人(血縁者)がいない(もしくは、いても拒否される)ということですが...ひとりっ子で親戚とも全くコンタクトのない僕は、母という唯一の血縁者が亡くなったら、遺体の引きとりをする人さえいないということなるのは、明らかに予想される状況なのです。
そう考えると、自分が死んだ後というのは、どうなってしまうのだろう・・・と、想像しては、重く肩を落とすしかなかったのでした。

そんなこと考え始めて暗い気持ちになりがちだった僕にとって、タイミング良く出版されたのが、香山リカ著の「しがみつかない死に方~孤独死時代を豊かに生きるヒント~」という本でした。
香山さんは、飯島愛の死や無縁死の番組にインスパイアされてこの本を書いたということなので、僕と同じような事に関心を持っていたということだったようです。
去年ベストセラーになった「しがみつかない生き方」に続く「しがみつかないシリーズ」の第二弾のようなタイトルですが、内容的には実際に現役の中高年が孤独死した時に、どのような状況や問題に遭遇するのか・・・ということを具体例を挙げています。
例えば・・・3日(できれば24時間)以内であると発見者の(遺体の腐敗などによる)精神的なショックが少ない。
フリーで仕事をしているならば、毎日必ず連絡する人が一人でもいると良い。
友人や仕事関係者(血縁者でない)が本人の確認なしに、家に入るのは困難なことが多い。
法的な遺言書がないと、葬儀の方法や遺品など分配などは本人の意思が反映されないと思った方がいい。
検体(医学校の解剖のためなどに)をしない限り、簡素な直葬でも約9万円がかかる。
携帯電話やパソコンのデータは、遺族が必要とする場合(友人や仕事関係者に連絡を取るため)があるが、逆に遺書などがあると傷つく可能性もあるなどなど・・・。
これらは、香山さんが初めて問題提起したわけではありませんが、孤独死について準備するためにも改めて考えてみる必要のある事柄ではあります。

ただ「死に方」というのは、生きている本人が生きている間に決められないことではなく、本人にとっても、周りの人たちにとっても、突発的に起こってしまうことが殆どです。
病気などで寿命というのを意識しながら生きているとしても、自分で死ぬタイミングを決められるわけではありません。
結局のところ、死んでしまったら、遺体がいつ発見されるとか、自分の個人データがどうなるとかいう事を”あの世”から確かめられるというわけではないという事です。
(死後の世界を信じている方は、違う意見ではあるとは思いますが・・・)
「死に方」を考えるということは、所詮、生きている時にしか出来ないことであり、たとえ考え抜いたからといって、自分が死後に起こりうるすべて問題を回避できるわけではないのです。
ある意味、自死(あえて自殺という表現は避けますが)という選択は、死に方を自らコントロール出来る「究極の自由死」ということになるのかもしれません・・・。

家庭を持って子供や孫に恵まれれば孤独死も無縁死もしないわけではありませんが、もしも僕がそういう生き方を選択をしていたとしたら、今のような自由な人生は送ることは出来なかったでしょう。
・・・振り返ってみれば、仕事だってしたいようにしかしてこなかったし、たいした責任も抱えずに生きているし、好きなように日本とアメリカで住まいを行き来したり、今まで本当に(!)気ままな人生を僕は歩んできているなぁ~と心から思えるのです。
その代償(?)として孤独死や無縁死が待っていたとしても、それは仕方ないことだと納得するしかありません。
「死」というのをリアルに考えるほどの年齢でも、ありがたいことに健康状態でもありませんが・・・突然やってくるかもしれない死について考えて不安になるよりも、孤独死を覚悟して自由気ままに生きるんだ!・・・と思っていた方が、残された人生を楽しく過ごせるのではないかと、カヤマーらしく楽天的になってしまう、僕なのでした。



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2010/04/10

どこか懐かしい硬派のチンピラ、ヤン・イクチュンに心惹かれて・・・~「息もできない」~


韓国映画の「息もできない」に僕が興味を持つきっかけは、新聞の広告にあった振り返った男の顔でした。
子供ころ普通に良い子であった僕は、大人になった今でも”不良/ワル”に憧れを密かに持ち続けていて、憂いと淋しさのある時代遅れな(ここ重要!)硬派の”チンピラ”に、どこか心惹かれてしまうのです。
近年は韓流ドラマの影響で「癒し系の優男」というのが韓国男性のステレオタイプの主流なのかもしれませんが・・・僕自身のNY生活での韓国男性の印象というのは、感情的に熱しやすく、日本人男性と比べてマッチョ気質なことでした。
この映画の主演を演じているヤン・イクチュンは、僕のステレオタイプに準じた懐かしい雰囲気のある”硬派のチンピラ”そのものだったのです。

この映画に出てくる男のすべては、家庭内で暴力をふるうというトンデモナイ「暴力おとこ」ばかりなので・・・その中でもヤン・イクチュン演じるサンフンは、借金の取り立てる時は勿論、女性相手でもグーで殴ってしまうような、容赦なく暴力をふるうことの出来る男として描かれています。
母と妹を死なせて出所してきた元暴力男の父親に対しては、鬼のような形相で殴る蹴るの暴力をふるうのですが、深い心の傷を抱えた憎しみに満ちた表情がゾクゾクするほどの怖さもあり、切なさも感じさせるのです。
それほど憎んでいるにも関わらず、父親が手首を切って自殺を図った際には、自分の血をいくらでも輸血してでも命を救たいと懇願するサンフンに、愛おしさも感じてしまいました。
サンフンの暴力をきっかけで知り合った気の強い高校生の少女ヨニ(キム・コッピ)もまた、家では頭のおかしな父親と兄の二人から暴力をふるわれています。
サンフンとヨニはお互いを罵倒しながらも、少しずつ心を通わせていきますが、お互いの不幸な家庭環境を語り合うことさえありません。
ただ、そんな二人が一度だけ素直にお互いの感情を表すのが、ヨニがサンフンを膝枕しながら台詞もなしで涙を流すシーンです。
お互いの心の傷や不幸な繋がりを何も知らないからこそ、彼らは癒し合えたのかもかもしれません・・・。
気持ちを言葉にできない不器用な男の涙ほど重い意味を持っているようで、サンフンはその後取り立て屋の仕事を辞めて堅気になろうとするのです。
もちろん、ハッピーエンドで終わるはずでもなく、暴力の連鎖と循環によって、物語はやりきれなくない結末となっていくのは言うまでもありません。
硬派のチンピラの生き様は、どこまでも切なく悲惨に・・・というのも、僕の理想とする展開でした。

手持ちカメラを多用や、チンピラと少女の恋物語というのは、ゴダールの「勝手にしやがれ」を思い起こさせられたのですが・・・それもそのはず「息もできない」の海外公開用の英語タイトルは「Breathless」で「勝手にしやがれ」の英語タイトルと同じなのです。
韓国の儒教的な男性優位主義による家庭内暴力とか、言葉にできないほどの心の傷を抱えた男女の物語という、ウェットになりそうな話を、お涙頂戴の泣かせる映画にしなかったところが、監督と主演を務めたヤン・イクチュクのセンスかもしれません。
実は、主演のヤン・イクチュン自身が企画、製作、監督、脚本、編集までをして(まるで「ロッキー」のシルベスター・スタローンのように!)さらに資金集めのために自宅まで売ったというほど、まさに彼の人生を賭けていた映画だったのでした。
もしかして・・・役柄と同じように、リアルのヤン・イクチュンもバリバリ硬派なのかと期待したのですが、インタビューに答える様子をイギリス版DVDの特典映像でみたところ、映画とまったく違う(当たり前か!)今どきの韓国の青年(それも撮影時より太ってた!)で、ちょっとガッカリしてしまったのでした・・・。


「息もできない」
原題/糞蠅(英語タイトル/Breathless)
2008年/韓国
監督、製作、脚本、編集 : ヤン・イクチュン
出演 : ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン



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