2010/06/30

このホームページ/ブログを始めて一年になりました


2009年6月23日に開始した「めのおかし」も一年になります。
ニューヨーク、ダラス、ハワイを巡る旅行中に、ブログ更新をするつもりでiPadに専用のアプリもインストールしていたのですが、時間的にも感情的にもバタバタしてしまって、ツイッターのつぶやきのみで更新しました。
毎度の長文で「読むのに気合いが必要」など、友達からは相変わらず指摘をされていますが、段々と自分なりのスタンスは見えてきたような・・・そんな感じです。
日々の出来事を綴る日記ブログでもなく・・・
日常の素敵なことをシェアするわけでなく・・・
美味しいもの、可愛いものを紹介するわけでもなく・・・
・・・といって、何かをキチンと評論したり、世相を斬ったりするわけでもなく。
あえて言えば・・・自分を語るためだけのブログなのかもしれません。

元々、ホームページ/ブログ好きとわけでもなく、ネットのネットワークとかにも依存するタイプでもなかったので、開始当初は何をするために自分はブログを書いているのか・・・という試行錯誤でした。
ただ、始めてみて分かってきたのは、意外にもボクは文章を書くことが好きということだったのかもしれません。
これは、ボクを知る友人から言わせれば・・・「いつもメールの文章が長い」ということから、すでにわかっていたようなことらしいのですが、本人的には自覚がそれほどなかったりするものです。
でも、そんなボクを常に応援し励ましてくれたのは、ホームページを始めるきっかけをつくってくれた親友(彼女のHPへリンク)でした。
その経緯は、一番最初の投稿にあります。
”そんなわけで、ブログ始めますを参照してみてください。
お互いに同じ頃にホームページを始めたこともあって、励まし合いながら成長できたのかもしれません。

いまだに、ブログを読んでくれている友人から質問されることがあります。
「なんで、めのおかし、なの?」と。
確かに、ボクをリアルに知っている友人には、何の脈略もないようなタイトルであります。
おかしばっかり食って太っているから・・・というのは、当てはまるところはあるのかもしれませんが、実は全然違います。
こちらの疑問は「めのおかし」というタイトルというわけを参照してみてください。

これからも、文章はダラダラと長いと思いますし、気分次第での更新しか出来ませんし、ボク視点の偏った内容や意見になるとは思います。
「石の上にも三年」・・・最低でもあと二年は頑張らないと、本当には何も見えてこないものかもしれません。
アラフィフの長いつぶやきに、今後もお付き合いください。

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2010/06/19

ゲイの友人が亡くなった時・・・自分の存在もなくなってしまうように感じること


ゲイの友人と他の友人を区別しているという意識は特にありませんが、ストレートの友人にある「ヨコつがり」には乏しいかもしれません。
飲み屋さんとかで知り合ったわけでもないので、ゲイの友人同士のつながりというのは、殆どなく・・・。
親や家族のはなしや仕事のことを聞くことがあっても、実際に関わりを持つことはヒジョーに稀・・・。
好む、好まざるに関わらず「一対一」での付き合いということが、ゲイの友人とは比較的多かったりするのです。
そういう「点」「点」で繋がったの人間関係に問題があると思っているわけないのですが、万が一、友人(もしくはボク自身)が突然亡くなった時には、まったく連絡が取れなる・・・という怖さがあります。
ある意味では、深く繋がっているようだけど・・・本人がいなくなってしまえば、第三者的にはその関係さえ存在していなかったようになってしまうのかもしれません。
エイズで亡くなった友人や、くも膜下出血で亡くなった友人のことをボクが知るまでに、数ヶ月もかかったという経験があったりするのですから。

去年(2009年)の8月3日に、ニューヨークの親友Tが心臓発作で亡くなりました。
実は、ボクは彼が亡くなる一ヶ月前にニューヨークを訪ねて、彼の家に滞在したばかりだったこともあり、より衝撃を受けました。
彼が発作を起こした時には、インターネットで知り合った人(セクフレのような知り合い?)が一緒にいたようですが、その人の消息はそれっきり誰も知りません・・・携帯電話のメモリーから親友Tの家族には、病院に運ばれたことだけは伝えてくれたそうですが。
親友Tの遺言により、遺体はすぐに焼かれ、骨になって故郷のテキサスに帰りました。

彼の死の第一報は、亡くなってから10日後、すでに遺骨になっていた8月14日でした。
その日に、親友Tの十代の頃からの古い友人へ、彼のお母さんから連絡が入ったそうです。
この古い友人とは面識はなかったのですが、彼はボクのことを親友Tからはよく話を聞いていたらしく、すぐにメールでボクに連絡してくれたのでした。
ボクは、亡くなった親友Tのお母さんと妹さんとは何度か会っているし、電話番号も知っていたので、すぐにテキサスの実家へ国際電話をしました。
しかし、電話口のお母さんは少々おかしな雰囲気でした・・・亡くなった親友Tの部屋から何かが盗まれたと思い込んでいるようで、一ヶ月間の部屋の様子を異様なハイテンションでボクに質問し続けるのでした。
息子の急な死に、ショックを受けておられるんだと、ボクはその時は受け取っていました。
生前の写真をプリントして郵送したり、メモリアルサービスのために花を贈ったり、何かの足しになればとお金を送ったりと、ボクなりのことをさせてもらったのですが・・・お母さんや妹さんから、連絡をもらうことはなかったのです。
お墓の場所を聞いても、返事をもらうことさえありませんでした。
いろんな意味でまだ、ショックの中にいた9月中旬、ボクは突然トイレで気を失ってしまったのですが(過去のブログ参照)・・・その時、ボクの脳裏に浮かんでいたのは、親友Tの墓参りに行こうとしている自分の姿でした。
ボクは、何が何でも親友Tのお墓参りには行かなければいけないという思いをさらに強くして、彼が埋葬されている場所をお母様と妹さんに再び問い合わせたのでした。
数ヶ月後、やっと妹さんから「教会の敷地内の共同墓地です」というだけの短いメールを受け取りました。

親族が、生前のゲイの友人を、死後には断ち切るという話は、いろんなゲイの友人から聞いたことがあります。
亡くなったことを連絡しないとか、ゲイの友人を葬式には参加させないとか、一緒に住んでいたゲイのパートナーが家を追い出されてしまうとか・・・。
親友Tのお母さんや妹さんの、真意はボクには分かりません。
ボクが20年来の親友であることは、彼女たちにも周知のことでした。
しかし、息子/兄が亡くなったと同時に、ゲイの友人であったボクの存在も、彼女らの中ではなくなってしまったかのような印象です。
親友Tと家族の関係は、決して悪いという印象はありませんでした。
ボクのようなゲイの友人だけでなく、過去のボーイフレンドたちのことも、ナチュラルに受け入れているようでした・・・しかし、本当の心の奥までは知ることができません。
親友Tは、HIVポジティブでエイズの発症もしていたし、家族の経済的な負担もあったことは確かです。(ボク自身も経済的な援助をしていました)
突然に亡くなったことで、ニューヨークまで遺体を受け取りに行ったり、借りていた部屋の整理をすぐにしなければならず、精神的にも肉体的にも経済的にも大変なことだったでしょう。
お母さんと妹さんは、息子/兄のゲイについて、死後、改めて向き合うことはできないのかもしれません。
悲しみとは、ひとりで向き合わなければいけないんだと、ボク自身が感じることができるようになってから・・・ようやく乗り越えるパワーが生まれてきたような気がします。

月曜日から、アメリカに行ってきます・・・親友Tのいない、ニューヨークへ。
ニューヨークでは、親友Tを知る友人たちと数年ぶりに会う予定です。
ボクにとっては、親友Tを失った悲しみをシェアできる、数少ない人たちかもしれません。
ダラスでは、親友Tの遺骨が埋葬されている教会の共同墓地へ行ってきます。
親族に何も言わずに行くのも失礼かと思ったので、妹さんには真っ先に連絡をしましたが、勿論、返事はありません。
ただ、誰がなんと言おうとも・・・親友Tのお墓参りに行くことには、ボクにとっては、とてもとても深い意味があるのです。

もうすぐ彼のいる場所を訪れることができると思うと、涙が止まらなくなります・・・。

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2010/06/16

21世紀の「仁義なき戦い」となりえるのか?・・・”黒豚のカツ丼”で悪いか、コノヤロー!~「アウトレイジ」~



ボクにとっての”キタノ映画”と言えば・・・寡黙で武器な印象の登場人物唐突で痛い暴力描写台詞が極力省略されたシナリオ象徴的なワンカット挿入の編集など、独特な絵作りの印象が強いのです。
登場人物たちの真っ正面からの顔のアップ・・・その表情から「嬉しいのか」「哀しいのか」「楽しいのか」「切ないのか」の気持ちを読み取るのは観る者次第。
たけしの演じる役が映画の中で殺される、または自殺する・・・「死への郷愁」さえを感じさせる虚無感が、ボクが最も好きなキタノ映画の世界観なのです。
それは「その男、凶暴につき」「3-4x10月」「ソナチネ」「HANA-BI」といった”キタノ映画”を代表するバイオレンスのイメージを、ボクが引きずっているだけなのかもしれません。
ここ数年の作品は、内面を描くような”映画作家”としての成熟さを感じさせながらも、北野監督の本質とは違う印象は歪めないところもあったのです。

最新作「アウトレイジ」は、得意とする”バイオレンス映画”への原点回帰をしながらも、ボクの好きな”キタノ映画”「らしさ」の要素は封印され・・・良くも悪くも「商業映画っぽい映画」になっています。
料亭での食事会から幹部達が黒塗りの車でゆっくりと会場を去っていくところで、タイトルバックが「ドドーン!」と出るという、まるで”Vシネマ”的なベタな始まり方をさせているのも、王道という感じです。
山王会という大きな組織と、その直下の「池元組」、さらにその配下の「大友組」、そして「池元組」の組長と兄弟の契りを交わしている「村越組」という4つの派閥の物語なのですが・・・”やくざの抗争”を描く映画となると、深作欣次監督「仁義なき戦い」を思い出さずにはいられません。

1970年代に製作された「仁義なき戦い」は、実録シリーズとして、それまでの様式的で任侠の美学を追究したような”やくざ映画”とは違い、生々しい暴力描写と臨場感溢れるカメラワークで、リアルなやくざを描いた名作です。
裏社会という扱った内容だけでなく、映画としての構成ハンドカメラの構図など、革新的な映画でもありました。
当時のやくざ映画界の層の厚い役者陣が総出演し、端役にまで重みとリアリティーを醸し出していたのも圧巻!
数多くの登場人物を巧みな心理描写によって見事に描き分けながら、ひと筋縄ではいかない複雑なやくざの世界の人間関係を描いていく・・・義理と裏切りが背中合わせに存在する「虚しさ、惨めさ、皮肉さ」までもが表現されていたのです。

「アウトレイジ」「仁義なき戦い」よりも、さらに”仁義”なき”やくざ社会”・・・理不尽なけじめのつけ方だけは強要されるという、一般人には理解しがたい倫理観を持った世界を描いています。
出てくる人物が「コノヤロー!」「バカヤロー!」と怒鳴り合っているうちに物語は進んでいくのですが、複雑な人間関係を無駄なカットやシーンのない職人的なシナリオと編集で、スイスイ見せてくれます。
それぞれの登場人物が、自分の保身と利益のためだけに仲間を裏切り合う・・・という現代社会の歪みを比喩したような、宣伝コピー通りの「全員悪人」という人間像は、分かりやすい反面、面白みには欠けます。
・・・唯一、大友組長(ビートたけし)だけには、ちょっと共感はできるかもしれませんが。
そして、やくざのイメージがない”三浦友和””加瀬亮”が、コワモテ役者ばかりの中でも一番怖い・・・というのは、ある意味、狙っている感ありありでした。
過去の”キタノ映画”にあった、目を覆いたくなるような痛い暴力表現や、不快になるほどの無意味な極悪さが、今回は若干控えめという印象でもありました。
本当は、誰が、誰に、対して「下克上」しているのか、そして誰が最後に生き残るのか・・・という物語の結末へ引っ張っていくストーリーテリングは見事なものの、エンディングまで一度観てしまえば、それほど心に深く残るものもなく、”キタノ映画”好きとしては物足りなさを感じずにはいられませんでした。

北野監督によると「アウトレイジ」では「黒豚のカツ丼」を作ってみたんだということ(読売新聞6月16日)・・・興行成績のことも考えて、映画作家としての感性はデフレさせて、大衆的なアピールをより意識した作品ということのようです。
そこに「カツ丼」以上の味の表現を求めるのは、本末転倒なのでしょうか?
また、他のインタビュー(CUT6月号)によると「アウトレイジ」の続編の構想しているとのこと・・・(勿論、この作品のヒット次第でしょうが)、もしもシリーズ化されたらとしたら、否が応でも「仁義なき戦い」と比較されることになるでしょう。
「アウトレイジ」は、”キタノ映画”の新たな集大成的なシリーズの「前菜」なのかもしれません。

「アウトレイジ」
2010年/日本
監督/脚本/編集 : 北野武
音楽 : 鈴木慶一
出演 : ビートたけし、椎名桔平、三浦友和、加瀬亮、國村隼、杉本哲太、塚本高史、中村英雄、石橋蓮司、小日向文世、北村総一朗



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2010/06/14

常に”カミングアウト”していているようなボクの人生・・・彼の「クローゼット」の中は知る由さえなかったの!~既婚者「T」~


ニューヨークに住んでいた時は自分が”ゲイ”を隠す必然性を感じないというか・・・”ゲイ”しかいない、というぐらいファッション業界は”ゲイ”だらけだったので、隠すこと自体がまったくもって無意味なことに思えていました。
逆に、オネエっぽい態度をとらないと「何、格好つけて男ぶっているの?」という逆差別みたないことが、ゲイ同士にあったりしたものです。
また、ボクの住んでいたのは、当時(1990年代)道を歩いている人の6割が”ゲイ”ではないかというチェルシー地区のど真ん中(23丁目と7番街の近く)だったりしたものだから、日常の雑踏さえも”ゲイ”ばかり・・・自分がマイノリティーであるという感覚さえも、ボクからは薄れていくばかりでした。

思い返せば・・・高校時代に初体験(男性と!)した夜・・・「セックスってさぁ~、疲れんだよねぇ」なんて、ボクは自分の経験を偉そうに、童貞の男友達(ストレート)に電話で何時間も語っていました。
彼にとっては「性体験」「男同士の行為という、ダブルの意味で未知の世界だったわけで・・・その行為の事細かな説明されたものだから、かなり複雑な気持ちだったかもしれません。
また、高校時代にボクが好きだった他の男友達(ストレート)に「ボクはゲイなんだけど、XX(彼の名前)こと好きなんだよ」と、彼の自宅近くの河原で告白したら・・・「その気持ちには応えられないけど、率直に言ってくれてありがとう!」なんて、青春ドラマのような「大正解の返事」をしてくれたことに、感動したことを覚えています。
親に対しても「知っていると思うけど・・・ボク、ゲイだから」と、高校生の時に唐突に話しました。
最初は「これからも、ずっとそうなの?」と、ちょっと心配したようだったのですが・・・「そうだよ!でも、大丈夫!病気じゃないから心配しないでね!」と、ボクは元気良く答えたので、勢いで親は納得させられてしまったのでした。
そんなわけで、ボクは「ゲイごころ」がついたころから、こんな調子で常に”カミングアウト”しているように生きていのかもしれません・・・といっても、どこでもかしこでもゲイアピールをしているわけではなくて、ごく自然にという感じですが。

日本に戻ってきてから、日本人の”ゲイ”と知り合って驚いたのが、殆どの人が「クローゼット」の中(ゲイであることを隠して生きること)で、普段の生活をしているということでした。
外見的にはゲイの王道をいくような・・・「ジムで鍛えた筋肉に脂肪がのってるガチムチの短髪、髭」という、ある意味(?)誰が見ても”ゲイ”以外の何者でもない人が、昼間の生活(職場など)では、ゲイが「ばれない」ように生きているというのです。
(実際に、ばれているか、ばれていないかは確かではありませんが・・・)
職場で隠す以上に「ありえない」と思うのが、男とも”エッチする”既婚者が日本にはやたら多いことでしょう・・・特に年齢の高い人に。
(アメリカにも、そういう既婚者がいないわけではありません)
日本人では、子供が生まれたらセックスレスの夫婦はフツーのことのようだから、旦那はお金を稼いで表面上は家庭に留まってくれれば良いということなのでしょうか・・・たとえ外で男とセックスしていたとしても。
ある年齢より上の世代が若い頃は・・・結婚していないと仕事場でも一人前に扱われないという時代だったらしいので、ゲイでも結婚を選択することが多かったのかもしれません。
また、20代で結婚した時には男にはまったく興味なく、普通に結婚生活を過ごしていたのに、ある時、男とエッチをしてから”やみつき”ということもあるみたいです。
いずれにしても「クローゼット」の中で生きることに無縁だったボクからすると、「結婚」というのは究極の「クローゼット」の中の人生としか思えません。

日本に帰国後、ボクは既婚者の「T」さんという人と知り合うことがあって、ある時期たまに会う関係になりました。
「T」さんは単身赴任を始めた10年ほど前に男に目覚めたそうで、同年代の生粋のゲイの人とは違う雰囲気を持っていました。
家族(奥さまと子供3人)で温泉に行ったこと、長男がもうすぐ結婚することなどなど、ハニカミながら嬉しそうにボクに語ったりすることもありました。
正直言って・・・普通に家庭を持って、父親でもある人とエッチをするというのは、ボクはちょっと複雑な気分にさせらることがあります
矛盾するようですが・・・父親/夫としての役割もしっかりとしているTさんのことを、より魅力的で素敵な人に感じる自分がいたりするのです。
・・・と同時に、偽りの人生を生きていることに、彼に対して苛立ち哀れさ感じたりもするのです。
ある日、ボクは「T」さんに何気なく質問してみました。
「Tさんって・・・バイ?ゲイ?」と。

彼は大きく息を吸って、苦笑いしながら
「もう・・・”ゲイ”だよ」と、つぶやいたのでした。

彼の答えに、ある種の「ずるさ」を感じながらも・・・ボクは悟りました。
彼の生きている「クローゼット」の中は、ボクに知る由もないんだと。
どちらが幸せな人生なのか・・・それはボクにも、まだ分かりません。

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2010/06/11

これぞ究極のトラウマ映画・・・パゾリーニの描く権力者たちの超ド変態な狂宴!~「ソドムの市」~


DVDにはリージョンコードというのが細かく分かれていて、アメリカで購入したDVDは日本のDVDプレーヤーでは再生出来ないという問題があります。
また、ヨーロッパの映像規格は日本やアメリカのNTSCと違ってPALのため、リージョンコードが同じでも、やはり日本のDVDプレイヤーでは再生できないので、リージョンフリーDVDプレイヤーが視聴するためには必要となります。
Blu-ray Discでは、リージョンコードもアメリカと日本では同じになったので、日本語の字幕や吹き替えが不要ならば、日本のブレーレイディスクプレイヤーでアメリカのブレーレイディスクも再生が可能になりました。
ただ、ボクが観たいと思う作品が次々とブルーレイ化されているのは、アメリカよりもイギリスだったりするので・・・またしても、リージョンコードの壁に阻まれることになったのです。
そこで・・・リージョンフリーのブルーレイディスクプレイヤー(Momitsu BDP-899)購入ということになりました。



さて、前置きがながくなりましたが・・・そこまでして欲しいイギリス盤でしかない作品って何なのだという話です。
それは・・・「ソドムの市」
知っている人は「おえぇ~!」と悲鳴をあげてたくなるような、ある意味、有名なタイトルです。
ボクが三大変態映画監督(他のふたりは、ドゥシャン・マカヴェイエフ監督♥アレハンドロ・ドロフスキー監督♡)のひとりとして挙げる”ピエル・パオロ・パゾリーニ監督”遺作であり、この映画完成の直後にパゾリーニ監督は同性愛セックスを強要した少年に惨殺されるという(その真偽には疑問もありますが・・・)トンデモナイ後日談つきのスキャンダラスな映画としても映画史上に君臨しています。

原作は「ソドムの百二十日・・・権力者たちが、男色、小児愛、老人愛、近親相姦、獣姦、屍体愛、スカトロジー、嗜虐、フェティシスムという異常性欲の限り尽くすさまを、精神性のかけらもなく綴ったマルキ・ド・サドの代表作です。
この映画が日本で日本で劇場公開(成人映画として)された1976年当時、ボクはまだ未成年(13歳)だったので、原作もパゾリーニの映画の存在も知らなかったのですが・・・当時、映画公開に合わせて原作の文庫本が再版されていました。
映画の一場面のスチル写真(裸の少年少女たちのお尻を懐中電灯で照らしている)を表紙にした、原作本が本屋に平積みされていたのですが...その本の前を通るさえ恐ろしく感じたことを覚えています。
(トラウマは、映画を知る以前から、すでに始まっていたのでした・・・)
その数年後、ボクは原作本を手にしたのですが・・・日記形式の変態かつ残虐な行為の事細かな説明に脳みそがグチャグチャになりそうでした。
「禁断の書」と思いながらも・・・「馬蔵」と呼ばれる精力絶倫の青年たちの描写に異様に興奮したことを記憶しています。

70年代後半というのは、公開される映画には必ずパンフレットが作られていた時代で、実際に映画を観る以前に、ボクは「ソドムの市」の映画パンフレットを購入することができました。
パンフレットのスチル写真を眺めながら「一体・・・どんな映画なんだろう?」と、想像を膨らましていたのでした。
18歳になってすぐ(ボクは背も高く外見的には成人として十分パスできた)蒲田の名画座アラビアンナイト」「カンタベリー物語」「デカメロン」そして「ソドムの市を続けて上映という、まる一日パゾリーニ漬け(おそらく合計上映時間は8時間以上?)という「パゾリーニ特集」を観に行ったのです。
その上「ソドムの市」の上映中には、隣に座ったおじさんに股間を弄ばれたたりして・・・いろんな意味で一生忘れることの出来ない一日だったのでした。
そんなわけで「ソドムの市」という映画は、ボクにとっては存在との出会いから幾重にもトラウマを重ねたような作品なのです。
映画では、イタリア・ファシズムの時代に舞台を変えて、権力者4人達の異常性欲を満たすための狂宴が、大殺戮に至るまでの様子を淡々と描いています。
その後、ボクはアメリカで”ぼかし無し”の無修正版「ソドムの市」をレンタルビデオ屋から借りて何度も観る機会がありました。
DVDは、日本盤だけでなく、アメリカ盤、イギリス盤、イタリア盤を所有しています。
おそらく「ソドムの市」は、ボクの人生で最も多くの回数、観ている映画のひとつかもしれません。

何故、これほど不快感極まりない「ソドムの市」という映画に、ボクは惹かれてしまうのでしょうか?
それは「振り子の原理」に似ています。
ボクの精神内部には、純粋で心暖かい「善な部分」と、冷酷で残酷な「悪の部分」があるように感じているのですが(たぶん・・・多くの人がそう感じているかもしれません)
大人としての分別を保ちながら、自分という人格のを確立していく作業で、最も振り幅を遠くの高いところまで振り子を振ることによって、自分自身を再確認できるような気がするのです。
極端に傾くこともなく、ど真ん中のバランスの取れた自分になれるような・・・。
「ソドムの市」という映画を観ることは、ボクの中では日常生活ではあり得ないほど大きく振り子をふるような行為そのもので、自分の内面には存在しない、想像することさえもない「悪」を、体験するようなものなのです。
だから、この映画で描かれている行為にはまったく性的な影響を受けないし、想像をして興奮することもありません。

「ソドムの市」を久しぶりに観ました・・・大きな液晶テレビの画面で観るブレーレイの映像は、映画館のスクリーンやVHSビデオ以上に、恐ろしいほどの美しさ残酷さ鮮明に映し出し、以前にも増してボクの精神は浄化されたような気がしたのでした。


「ソドムの市」
原題/Salò o le 120 giornate di Sodoma(サロ、或いはソドムの120日)
1975年/イタリア、フランス
監督 : ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作 : アルベルト・グリマルディ
脚本 : ピエル・パオロ・パゾリーニ、セルジオ・チッティ
音楽 : エンニオ・モリコーネ



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2010/06/09

iPadの電子書籍には「小説」が一番合っている?・・・ソフトによってビミョー違う読み心地


iPadがある生活がフツーになってきて、目的もなくいじくりまわすことも少なくなってきた・・・この頃です。
老眼鏡なしでは読書ができなくなってしまったボクにとって、字の大きさを変えることのできる電子書籍は、最も期待しているiPadの機能でした。
ただ、iPadを片手持ちで長時間使用するにはちょっと重いので、文庫本感覚で電車の中で読書するというのは厳しいかもしれません。
ニューヨークとかではスタバなどのカフェだけでなく、地下鉄やバスなどの公共施設で、iPad使っている人がいるらしいですが、今、都内の公共の場所でiPadを使うのは「嬉しくて、嬉しくて、仕方ない人」みたいで恥ずかしい気がしてしまいます・・・自意識過剰かもしれませんが。



「実際にページをめくったり、本の厚さや重みを感じて読書したい!」と電子書籍に積極的でない人は、よく言うけど・・・CDが普及し始めた1980代初頭に「レコード盤に針を落とす瞬間が良いんだ」とか、「ジャケットは大きくないと迫力がない」とか、「最初から順番にアルバムを聞くのが良いんだ」などと言って、CDに拒否反応を起こしていたのと似ています。
(かなり昔の話なので感覚的に理解できる世代が限られますが!)
物理的なモノとして所有するしかなかったソフトのデジタル化がドンドン進めば、CDも、ビデオテープも、DVDも、本も、雑誌も、ゲームソフトも、すべて骨董品的な意味しかなくなってしまうのかもしまうのかもしれません。

早速、「iBook」でシュークスピアの戯曲(英語版)、「Kindle」でノンフィクション(英語版)、「i文庫HD」の青空文庫、「マガストア」でニューズウィーク日本版、アプリで「日本版ヴオーグ誌」をインストールしてみました。
電子書籍のソフトウェアには大きく分けて「ふたつ」の仕様があるようで、ページめくりの感覚は結構違います。
ひとつは「iBook」「i文庫HD」の、紙のパージをめくるように指で触ったところからページがくるっとなる「めくりタイプ」
もうひとつは、「Kindle」アプリの、指でページを横に弾くと次のページになる「スライドタイプ」
好みの問題なのかもしれませんが・・・アナログな本のページめくりを再現している前者の「めくりタイプ」のほうが、ボクは読んでいて心地よく感じました。

雑誌のように、ゆる~く読みたい書籍は、必ずしも最初のページから読むというわけでもはありません。
何気なくパラパラとページをめくりながら、特に読もうと思っていなかった記事が結構面白かったりするという、出会い(?)が楽しかったりするものです。
電子版の雑誌でも、目次に戻って好きなページに飛ぶことはできますが、それは便利なようでいて、雑誌のページをパラパラとめくる楽しさを半減させています。
また、雑誌のレイアウトをそのまま流用しているので、全ページ表示では文字が小さくて読めないので、二本指で読みたい箇所を拡大しなければなりません。
これが、結構面倒な作業になってきます。

小説のように、頭から読むことが前提の場合には、電子書籍の使い勝手は、この上なく便利で快適なものに感じます。
しおり機能というのは勿論ありますが、読んでいる途中で電源を消したり、アプリを切り替えても、次回起動時にはそのページが表示されるのは、すぐ他のことに気が散るボクには嬉しい機能。
文字の大きさを変えればページ数も増えるのですが、基本的に文字だけなのでレイアウトが崩れるというわけではありません。
ただ、電子書籍リーダーのソフトには、それぞれビミョーな読み心地の違いがあり、今後「何が読めるか?」ということでスタンダードが決まっていくのかもしれません。
「Kindle」ではページめくりは「スライドタイプ」で、文字の拡大は5段階、フォントは変更出来ないものの、白地に黒文字、黒字に白文字、セピア地に黒文字で表示することも出来ます。
「iBook」は、フォントは5種類(英語版では)用意されていて、いかにも本らしく開いている時に見えるページのフチまで再現して、ページ移動も心地よい「めくりタイプ」なのですが、文字のサイズは2段階だけです。
どちらも、まだ日本語の書籍は販売していないので、どんな本が将来的に販売されているかによって、選択をすることにはなるのかもしれません。



現時点で、電子書籍リーダーのソフトウェアとして最も優れているのは、「App Store」でも常に上位にあるi文庫HDではないでしょうか?
(PDFリーダーとしては難はあるようですが・・・)
岩波文庫風のシンプルな装丁で、青空文庫であれば実際の本を手にする以上の読書体験ができるのです。

ページ移動を「めくりタイプ」でも「スライドタイプ」の、どちらにも設定できてスピードも調整できる。

文字サイズだけなく、行間やマージン、ルビの大きさまで細かく調整できる。

フォントがゴシック体と明朝体の細字と太字が用意されている。

背景に関しては8種類の淡いグラデーションの他に画像フォルダから自分の読み込ませることも可能。

二本指で表示を拡大することができて、挿絵も楽しめる。

まさに、自分の読みやすい環境、または読んでいる内容に適した雰囲気を演出することができる万能の電子書籍ソフトなのですが・・・今のところ「青空文庫」で手に入れられる著作権のきれた書籍に限られています。
いつの日か近い将来・・・すべての新刊や廃刊になってしまった書籍「i文庫HD」のようなソフトで読むことができるようになったのならば・・・

ボクの大きく重い本棚も整理することができそうです。

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2010/06/07

友達(フレンド)のふりをした敵(エネミー)=「フレネミー」・・・その見分け方の3つのポイント!



新しい言葉が使われることで、今までモヤモヤしていた人間関係(または行動や行為など)が、明確になることがあります。
例えば・・・「ストーカー」「セクハラ」「セクフレなどなど。

言葉が普及した以前に「ストーカー」と呼ばれるような行為や人がいなかった・・・わけではありません。
別れた恋人の部屋の前まで行ったりとか、気になる相手に思わず無言電話したりとか、相手のスケジュールを調べて偶然をよそおって会ったりとか、必ずしも犯罪という意識での行動ではありませんでした。
逆に、そんな行動がきっかけで恋が実ったり、復活したりするという「美談」にも、なりえた時代というのもあったのです。
「セクハラ」だって、昔から職場で行われていた行為なわけですが・・・そういう行為をする上司を上手に手玉に取ることで、いい思いをした人も存在していたわけで、一概に全員が「被害者」といわけでもなかったりします。
勿論、殆ど人は長い間、不快な思いで我慢してきたことではあるのですが・・・。
また「セクフレ」というのも、「恋人」でも「友達」でもなく、新しい言葉が出来たからこそ、関係性がハッキリしたのかもしれません。
セックスを目的をした「だけ」の関係を持つというのに、どこか後ろめたさや不自然さを感じて「付き合っているフリ」をしていたけど・・・「割りきった関係」を認めやすくなったのは、言葉のおかげと言えると思うのです。

「ゴシップガール」という、ニューヨークのセレブ高校生の生活を描いたドラマから、注目された造語に「フレネミー」というのがあります。

Friend+EnemyFrenemy
フレンド(友達)+エネミー(敵)=フレネミー

ドラマのように「罠に落とし込む」ほどのドラマチックな状況ではなくても、友達のようでいて実は・・・という”厄介な存在”というのは、誰のまわりにもいるのです!
友達であり、ライバルなんて、青春ドラマのような「健康的な人間関係」ではなくて、関わると何故だか「損」したような気分にさせる・・・そんな、ちょっとした不愉快な友達
ただし、利害関係のあるビジネス上の付き合いでありながら「友達」、もしくは「友達」だけどビジネス上に必要な関係というような、良くも悪くもお互いに利用し合っている関係というのは、本来の意味での「友達」ではなく、「お客さま」「取引先」「同業者」というだけのこと・・・。
もともと「損得勘定」で繋がっている仲なのだから、正確には「友達」ではありません・・・あしからず。
逆に言うと、利害関係のないはずの「友達」という存在が「フレネミー」になるのであり「損得勘定」で計れない思惑が裏にあるからこそ、ちょっと怖いかも・・・ということなのです。
そこで「フレネミー」の予備軍というのは、どういうタイプの人なのでしょう?
見分け方のポイントを、3つ考えてみました。

相手の話だけを上手に聞き出して、自分の話をしない人。

「聞き上手」という解釈もできるけど・・・一方的に相手の情報を仕入れて利用しようという魂胆があるので、たま~に返答しにくい「核心に迫る質問」をされたりします。
本人に、直接利用価値がなくても「誰かとのつながり」を利用しようとしている場合もあるのかもしれません。

こちらの友達グループに入ってきても、自分の友達は紹介しない人。

いつの間にか、こちらの友達グループに入っているにも関わらず、自分の友達や知り合いの噂をしても(それも自慢げに?)決して紹介することはしないという、行き止まりの関係です。
ただし、こちらの友達グループには介入してきているので、いざとなっても排除するのが難しくなるという、なかなかの曲者になるかもしれません。

キャラかぶり、同郷、同級生、同期、同業者など、共通点のある人。

「似たような立場」の友達というのは、本来であるあれば「真の友情」を築くこともできるはずなのですが・・・、似ているところがあるだけに、お互いを比較しやすく、逆に意味のな「ライバル心」を生み出しやすい関係ともいえます。
表面上は一番の仲良し・・・でも、内面的にはドロドロというのは、このケースが多いのかもしれません。

まわりの友達って、みんな「フレネミー」かもしれないっていう人がいたとしたら、それは自分自身も、まわりの人に対して「フレネミー」であるということかもしれません・・・「友達」というのは、その人を映す鏡ですから。
メール、SNS、ツイッターなどで「つながる」ことばかり強調される今との時代に、「フレネミー」という造語の誕生は、その「つながり」自体が、実はとっても危ういモノなんだと気付かせてくれます。

それだけ本当の意味での「友達」というものは、とてもとても貴重な存在であるということなのです。



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2010/06/05

「2号」さんの「2号」は、薄暗い”サンルーム”にコソコソと隠れるの!~フランス人「J」~


ハタチ前後というのは、「好き」「嫌い」「付き合うこと」の意味さえ分からなかった・・・ボクの「恋愛の暗黒時代」だったような気がします。
ずっと記憶の隅に追いやっていた、その頃の古い記憶が、最近、昔話をする機会が何度かあって、芋づる式に次々と思い出されているのです。

アメリカ生活二年目の夏の2ヶ月間、ボクは知り合いの牧師さんの紹介でハーレムのど真ん中にあったボロボロのアパートメントで暮らしました。
エアコンさえない極貧アパートから逃れるように、日本人のゲイの友人に誘われるまま、その夏はイーストサイドのミッドタウンにあった「TOWN HOUSE/タウンハウス」というゲイバーに足を運んだりしたものでした。
そのバーは、お屋敷を彷彿させる豪華な内装がウリで、金持ちのオジサン若いハスラーが集まるお店として知られていたようです。
当時、アジア系を好む白人(ライスクィーン)にはお金持ちが多く、そういう意味では「タウンハウス」とアジア系のゲイバーというのは多少客層がかぶっていたのかもしれません。
若いお客は、ひと昔前(1970年代風?)のモデルっぽい雰囲気が主流・・・小綺麗にラルフ・ローレンのポロシャツとチノパンを身につけて、クリニーク(当時は唯一の男性用スキンケア)のスキンケアをばっちりしたような黒人ヨーロッッパ系のハンサムが多くいて、ボクのようなタイプは店内で浮きまくりでした。
その頃、ボクはファッションに目覚め始めて、SOHOにお店のあった「パラシュート」(カナダ発のファッションブランドで、80年代初頭のニューヨークで大人気。バルーンパンツやオーバーサイズのトップスで特に有名だった)に身を包んで、髪をツンツンさせていたのですから・・・。



ひとりで飲み物をもって立っていても、誰からも声をかけられることもなく、完璧な「壁の花」と化していたボクに話しかけて来たのが、まるで映画スターのようにハンサムなフランス人の「J」でした。
長身でウェーブした髪をなびかせた「J」は、年齢的には27、8歳という感じで・・・見た目は典型的なハスラーのようでした。
しかし、浮世離れした「J」の雰囲気に、どこか惹かれるものがあったのです。
「もしも、彼がハスラーだとしても、ボクには何も払えない」
・・・それだけは、ハッキリしていたことでした。
また逆に、こんなハンサムなフランス人が、お金を払ってボクを買うとも思えませんでした。
金持ちオジサン若いハスラーが集まる店内で、ボクと「J」の組み合わせは、お金とは無縁で「純粋な関係」に思えました。
その夜、日本人の友人とはぐれてしまったこともあって、ボクは「J」に誘われるがまま・・・彼のアパートへお持ち帰りされたのでした。

彼に連れていかれたのは、五番街に近い54丁目あたりで、MOMA(現代美術館)を望む豪華なタウンハウス(昔の邸宅を階数ごとに分けた高級アパート)でした。
ベルベットのカーテンが、4メートルぐらいありそうな天井から下がっているような重厚さで、ベットも天涯付きのキングサイズ・・・鎌倉彫みたいなリリーフがヘッドボードやベットサイドに施されていて、マットレスも信じられないほどふわふわと、まるでお城のような雰囲気を漂わせていたのでした。
たくさんお酒を飲んでいた二人は、ベットになだれ込んでイチャついているうちに、そのときは寝てしまいました。
翌日は「J」のダイニングキッチンの脇にあるガラス張りのサンルームで、のんびりとサンデーブランチを楽しみました。

週末が近づくと「J」から電話があって、彼の家に泊まりにいくことが習慣となっていったのでした。
「J」淋しがり屋で嫉妬深く、ボクが彼以外の誰とも付き合っていないことを、いつも確かめるようなところがありました。
ただ「J」とは、キスしたり抱き合ったり・・・というだけで、激しいエッチというのは一度もなく、ボクは彼のペットのような・・・淋しさを紛らわすコンパニオンのような存在のような気分になることもありました。
それでも、映画のワンシーンのような豪華なベットルームで、ハンサムな「J」とイチャつくことで、ボクは夢の中にいるような気分になったものです。



しかし・・・そんな夢のような関係は長くは続きませんでした。
そろそろ夏も終わり、ボクがニューヨークを離れる日が近づいてきたある日、初めて平日の夜に会うことになったのです。
予定では食事だけして・・・ということだったのですが「J」がボクに何かを手渡さなければいけない用事ができて、彼の家に立ち寄ることになりました。
夜のサンルームは、まわりの部屋の明かりにほんのりと照らされた「ガラスの部屋」のようでした。
ボクは、涼むつもりで薄暗いサンルームに入って「J」を待っていたのですが・・・突然、廊下の先の玄関が明るくなったと思たったら、初老の男性が家に入ってくるのが見えました。
彼が誰なのか、まったく知らなかったのですが、ボクは瞬時に彼が本来のこの家の持ち主であることを悟りました。
そして、よく理由も分からないまま・・・ボクは無意識にサンルームの中で息をひそめたのです。
初老の男性「J」の会話している様子が、遠くから聞こえました。
そして「J」がダイニングキッチンに入ってきたところで、ボクはサンルームからするっと飛び出して、逃げ出すように玄関から外へ出たのでした。

「J」の話によると、初老の男性は既婚者で、彼とは15年ほど一緒(囲われて)暮らしているいうことでした。
27、8歳だと思っていた「J」が、実は30代半ばだったことも驚きだったのですが・・・ボク自身が「2号」さんの「2号」だったんだということが、当時はショックでした。
ただ・・・なんとなく「J」が、普通に仕事をしている人ではなく、この豪華な家が彼自身の持ち物ではないことには、ボクも薄々気付いていたような気がします。
それが「J」と会った最後でした。
それから間もなく、ボクはメイン州の大学へ入学するために、ニューヨークを離れたのです。

あれから25年以上経った今、おそらく60歳を超えた「J」は、どこで、どうしているのでしょう?
・・・忘れていた記憶が蘇ると、そんなことをボクは疑問に思ったのでした。

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