2011/02/13

悪趣味なブラックコメディと呼ばないで!・・・「家庭」という閉じられた狂気の世界~「籠の中の乙女/Dogtooth(ドッグトゥース)」~



子供の頃、同級生の家に遊びにいった際、その家独特のルールのようなものがあって困惑したことがありました。
自分の家では禁止されていることが、ともだちの家では何も問題のないことだったり、逆に普段自分の家で平気にしていることが、してはいけないような空気に感じたのものです。

不幸なケースを除いて、子供は自分の親の家で育てられることが殆ど・・・良い悪いは別として親の考え方というのは、それぞれの家庭内のルールに反映されているはずでしょう。
我が家では、勝手にテレビを観ることは出来なかったし(勿論、親が観せたくないテレビ番組は観ることは出来ない)、好き嫌いなく残さず出されたモノは全部食べることが当たり前でありました。
ただ、ある程度の年齢になってくると、同級生の家庭の事情も知ることになって「なんとかちゃんの家では食事のときでもテレビ観れるんだって!」と、訴えるようになり、徐々に親が決めた家庭内のルールも崩れていったのでありました。
ただ、生まれ育った家庭によって倫理的な感性は築かれてしまうわけで・・・大人になってから変わろうとしても、結構難しいものだったりします。
「育て方の方針」ということであれば、誰もアレコレ意見することは、なかなか出来ません。
「ウチの教育方針ですから」と言われてしまえば、それまで。
「家庭」というのは最小単位の「国」のようなものであります。
子供の身に危険が及ぶような場合以外では、第三者が介入することが難しいのかもしれません。

今年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされた作品のひとつ「籠の中の乙女/Dogtooth(ドッグトゥース)」は、ギリシャの映画監督ヨルゴス・ランティモスによる奇妙なホームドラマです。
ギリシャ映画のように普段あまり観る機会のない国の映画が高く評価されると、政治的なメッセージが隠されているのではと思い込みがち。
 本作も、独裁的に統治されている国家を非難しているという解釈も出来そうな気もしますが・・・監督自身のコメントによると、結婚した友人に「結婚なんて意味ない」的な発言をしてひんしゅくをかった体験から、家族がバラバラになることを恐れて、過剰に家族を守ろうとする父親の姿を描きたかったととのこと・・・ただ、それにしては、物凄く変な映画でした。


舞台はアテネ郊外のプールと広大な庭のある広い屋敷・・・そこに父親、母親と10代後半ぐらいの子供3人(男の子と女の子ふたり)が暮らしています。
屋敷の敷地外に出ることを許されているのは、仕事をしている父親だけで・・・母親と子供たちは外に出ることは出来ません。
学校で教えられるダーウィンの進化論などが聖書の教え(天地創造)に反する教育であるという理由から、アメリカの保守的な地域ではキリスト教原理主義者の親が「ホームスクーリング」と呼ばれる自宅教育をすることがあるのですが・・・ちょっと、そんな状況を連想させる設定ではあります。
ただ、この映画の父親は自分の宗教観とか、思想的な理由から子供たちを隔離しているわけではなく、知識や情報のコントロールをして家族(ある意味、母親も)を支配することが目的という感じで・・・レイ・ブラッドベリ原作で萩尾望都が漫画化した「びっくり箱」という短編を思い出したりもしました。(テイストはかなり違いますが)

子供たちはホームスクーリングで両親から教育を受けているのですが・・・それが変なのであります。
例えば「海」は「革張りのアームチェア」、「高速道路」は「強い風」、「遠足」は「床に使われる固耐性のある素材」、「カービン銃」は「美しい白い鳥」など・・・家の外が関係するような不都合な言葉は、間違った意味を教え込んで頭の中から封じてしまうということのようです。
家にはテレビはあるのですが、観ることが出来るのはビデオカメラで撮影された家族の映像。
食料品や飲料水のラベルは全部はぎ取ってから家に持ち帰るという徹底ぶり。
子供たちに与えられる情報というのは父親(そして母親の共謀)によってコントロールされているわけであります。
父親は、世界(屋敷の外)は危険な場所で「ネコ」という人間を襲う恐ろしい動物がいると教えます。
そんなネコから身を守るために、犬のように吠える練習をする家族の姿はなんとも滑稽であります。

そんな環境の中・・・三人の子供たちは、鬱屈した精神状態であるのは当然と言えるでしょう。
子供たちは、意味のない暴力と、狂気じみたダンスだけが、ストレスを発散する手段であるようです。
娘達は、人形を切り刻みながら叫んだり、麻酔薬を吸って気絶して遊んだり、兄にいきなりナイフで斬りつけたりという意味不明の行動ばかりやっています。
息子は、屋敷に忍び込んできたネコを植木ばさみで切り刻んで惨殺してしてしまうし、たまに空から落ちてくると信じている飛行機に妙な執着を持っていたりします。

ここからネタバレを含みます。

息子の性的欲求を満たすために、父親は仕事場から年増のクリスティーナという女性を家に連れてきて、セックスの相手をさせているのですが・・・まだ若い息子にしてみれば、そんな相手では満足出来ません。
ただクリスティーナは、息子だけでなく娘たちにも近づいてプレゼントと引き換えに、自分の股間を舐めさせるという妙な「取引」をしています。
娘2人はレズっぽいことしているし、息子も妹とセックスしてしまうし、近親相姦に違和感もないのが、何とも不気味さを感じさせるのです。
結果的に、クリスティーナという外部の人間の存在が、父親の作り上げた隔離された世界を崩壊させ、常識のない無垢な子供たちを変化させていきます。
映画のタイトルになっている「ドッグトゥース(犬歯)」というのは、犬歯が抜けたら外の世界に出られるという父親の教えから。
長女は自分でダンベルで顔を殴って犬歯を抜いて、車のトランクに入って家から脱出することになるんだけど、結局、トランクからは出られないまま。
唐突に映画が終わるので、意味”ありげ”のような、”ない”ような・・・どうにも解釈のしようのない、これまた不思議な終わり方でありました。

この映画で描かれる家族は非常に極端ではありますが・・・多かれ少なかれ、ある家庭内の常識が、他人からしてみれば非常識で滑稽なんてことはよくあります。
「家族って何?」っていうオーソドックスな映画の主題を独特のスタイルとセンスで表現した映画でありました。
残念なのは、日本で劇場公開されたとしても、修正されてしまうシーンがあること・・・作品が意図していないところで滑稽になってしまいそうです。


「籠の中の乙女」
原題/Kynodontas(Dogtooth)
2009年/ギリシャ
監督/脚本 : ヨルゴス・ランティモス
出演    : クリストス・ステルギオグル、ミッシェル・ヴァレイ、アゲリキ・パプーリァ、マリア・ツォニ、クリストス・パサリス、アンナ・カライヅドウ
2012年8月18日より日本公開



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