2011/05/17

男なんてもう懲り懲り?・・・別れた後に女性と結婚してしまったの!~絵描きのアメリカ人「G」~



「若気の至り」といいますが・・・思い返せば、あまりにも多くの至りがあって懺悔しきれない気持ちであります。特に「G」については深く傷つけてしまったことを、その後ボクは繰り返し反省することになりました。

「G」と知り合ったのは、ボクがメイン州のポートランドという街の美術大学に通い始めてしばらくした頃でした。当時(1983年)ボクは20歳・・・すでにニューヨークでひとり暮らしも経験していたとは言っても、まだまだ「お子さま」。こと恋愛については、殆ど未経験・・・よく言えば「まっすぐ」ではありますが、自分勝手に思い込んでいるだけという感じでした。自分に対しては異常なほど繊細で傷つきやすいくせに、他人に対して自己中心的な傲慢さ剥き出しのわがまま放題・・・という、今振り返ってみれば、とんでもなく手に負えない”若い子”であったのです。

ポートランドという街は、小さなサンフランシスコのような港町でしたが、当時はアジア人は数名ほど(日本人はボクだけ)しか住んでいませんでした。その中でもボクは、あっという間に誰もが知っている存在になってしまいました。ボクのように背が高くて体格の良く、饒舌に英語を話し自分の意見をズバズバ言う日本人というのは・・・意志がハッキリしない体格的にも小さくてメガネをかけているという古い日本人のステレオタイプを、完全に破壊したようでした。

有名なアーティストのおばさんに、ボクは大変気に入られていたこともあり、ポートランドのあらゆるアートイベントに連れて行ってもらいました。そこで興味深い人々(アーティストに限らず)と知り合うことも出来ました。さらに、当時人気のあったクッキーショップ(The Chips of Portland)で、ボクがアルバイトをしていたこともあって、よく「あなた*****でしょ?」と、いろんな人から声をかけられたものでした。

大学の2Dデザインクラスの宿題のために、ボクは時々コピー機を使っていたので、街中のあるコピーショップに通っていました。そのコピーショップでアルバイトとして働いていたのが「G」だったのです。ただ、ボクからすると38歳の禿げたおじさんが「なんでバイトしているの?」って感じでした。それに”イタリア系”と自慢する(?)わりには、全然ルックスもイケてなくて、興味を持つ対象ではまったくなかったのでした。だから「G」が実はボクのことをナンパしているなんて、全然気付かなかったわけです。

何度目かの会話の時「G」が絵描きであること知りました。そこで俄然、美術大学に通うボクは「G」に興味を持ち始めたのです。会話は盛り上がって「G」の仕事終わりにコピーショプ近くにあったスタジオ兼、アパートを訪ねることになってしまいます。「G」がテーブルの上でペインティングを見せている時です・・・いきなり椅子に座っていたボクを後ろから抱きすくめました。ボクは硬直してしばらく動けなかったのですが・・・頭の中では「え~!」っとビックリしている自分と「あぁ、やっぱりそういうことだったのかぁ・・・」と納得している自分がいたりしたのです。「G」のルックスはまったる自分の好きなタイプじゃない・・・でも、人柄の良さや絵描きということを考えると「付き合っても良いのかも」と思えてきてしまったのです。

「G」のアプローチは必死としか言えないほど一生懸命で、ボクに嫌われたくないためなら「何でもする」ような気迫を感じさせたのです・・・ただ、アルバイト生活だからお金は全然なく「何でもする」の「何でも」は、気持ち的なことに限られるのですが。ボクはそれまでにも「G」ほどの年齢の人と付き合っていたのですが、結果的に弄ばれたような感じで傷つけられることばかりだったのでした・・・というか、ボクが異常に傷つきやすかっただけだったかもしれません。でも・・・「G」と付き合ったら、傷つくことはないかもというスケベ心もあって、ボクは「G」と付き合うことにしたのです。ただ・・・誰にも秘密でという条件で。

「誰にも秘密」ならば付き合うという条件には「G」は、ずいぶんと傷ついていたようです。ゲイとしてはモテるルックスではなかった「G」は「ボクは見た目が全然良くないから/I am not goodlooking at all.」と卑屈になっているところもあって、魅力的じゃないからボクが友人達に紹介できないんだと嘆いていました。とんでもなく傲慢な条件だったにも関わらず「G」はボクと付き合えるのであればそれでもいいと受け入れました。そして、ことあるごとに「君はボクの運命の人」と「G」は訴えるのでした。

二人の関係は、完全にボクが指導権を握っていました。「G」は、いつでもボクの話を聞いてくたし、エッチでも、ボクが「ああしろ」「こうしろ」と言うとおりでした。でも、ボクはそんな関係を望んでいたわけでなく・・・心の隅では、どこまでも優しい「G」に対して罪悪感を感じ、その後ろめたさを晴らすため、さらにわがままになっていっていくという悪循環に陥っていたのかもしれません。

ボクが美術大学の2年生に進級する時、いきなり「G」はボクの通う大学に講師として雇われることになりました。ボクが「G」のクラスを取ることはありませんでしたが、いくら講師とはいえ、同じ大学の男子学生と付き合っているというのは、あまり公表するべきではないと「G」も考えたようです。「誰にも秘密」で付き合うことは「G」にとっても都合のいいことになったのです。ただ・・・「G」が講師として仕事を始めて金銭的に余裕が出てきたことで、今まで負け犬のように言いなりになっていた「G」がボクに対して強気になってきました。ボクからすれば、自分のわがままが通せるからこそ「G」と付き合っていたところがあったので、二人の関係のバランスが崩れ始めました。

そんな頃、有名なアーティストのおばさんの工房に遊びに行った際「V」というアーティストを紹介されました。ボクは「V」に一目惚れ・・・その日からストーカーのように「V」を追い回すようになってしまいました。勿論、ボクの変化に「G」はすぐに気付きました。ボクは「V」と付き合いたかったので「G」との関係を、どうしても終わらせたのです。そこで、残酷なほど正直に「好きな人ができたこと」を話しました。でも「G」はそれでも納得しなかったのです。何が何でも「G」と別れたかったボクは「おまえなんて醜いから嫌い!/I don't like you because you are so ugly!」と言い放ちました。「G」はベットに伏せて泣き始めてしまったのですが、ボクは冷酷にも「G」を放置して部屋を後にしました。

それからは、街で「G」がボクの姿を見かけると一目散に逆方向へ走って逃げるほど、ボクを避けるようになりました。それほど嫌われて当たり前のことをしたのだから仕方ありません。その後、ボクは短い間でしたが「V」と付き合うことができました。しかし「V」との関係はすぐ破綻してしまいました。「V」の自殺未遂騒ぎなどもあり、ボクは散々振り回されてボロボロになってしまいました。そして天罰のような辛い状況から逃れるように、ボクはニューヨークの大学へ編入したのです。

数年後、ポートランドを訪れたとき「G」の噂を耳にしました。ボクが美術学校を去った1年後に「G」は講師を辞めて、「G」の弟さんが経営していたインテリアデザイン会社に入社したそうです。そして、その会社で働いていた女性と結婚したということでした。噂をボクが聞いた時には「G」の奥さんは妊娠していたそうなので・・・お子さんは現在すでに成人しているいるはずです。

ボクは「G」を深く傷つけてしまったけど・・・あの時にボクが言った酷い言葉で別れたからこそ、「G」は、男はもう懲り懲りという気持ちになって女性との結婚を選択したのかもしれません・・・それはそれで「G」にとっては幸せな選択であったと勝手ながらボクは信じたいです。

もしも、ボクがあの時に「G」と付き合い続けていたら、どんな人生を「G」が歩み、ボクが歩んだのだろうなんて・・・今更考えても、まるで意味はありません。

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