2011/06/30

祝・ニューヨーク州同性結婚法案可決!・・・ゲイカップルの普遍的なテーマとPre-AIDS(エイズ以前)のゲイライフスタイル~「TAXI ZUM KLO/タクシー・ズム・クロ」~


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先週の木曜日(2011年6月24日)ニューヨーク州上院で同性結婚を認める法案が可決され、ニューヨーク州でも同性同士の結婚が認められる事となりました。これにてニューヨーク州は、コネチカット、アイオワ、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、ワシントンDCに次いで、同性カップルにも州レベルで異性カップルと同等の権利を付与する州となったわけです。カリフォルニアでは数年前に同性結婚が承認されたにも関わらず、住民投票で廃止になっていた経緯もあり、アメリカでも最も多くの同性愛者が住んでいるニューヨーク州の動向は、今後の大きな流れになりそうです。

日曜日(6月26日)に例年通り行われたニューヨークのゲイパレードは、この同性結婚の法案可決直後ということもあって、大変盛り上がったそうです。それは、ちょうどボクがニューヨークに移り住んだ1980年初頭、Pre-AIDS(エイズ以前)の時代の最もゲイパワーのムーブメントが盛んであった雰囲気と同じようだったと、当時を知るニューヨークのゲイの友人は興奮してメールを送ってきました。ボクが、もしニューヨークに暮らしていたとしても、結婚する相手がいたかは定かではありませんが、 同性結婚という選択肢があるというのは不思議な気分です。7月24日の法案実施のとき、たくさんの同性カップルが結婚申請をすると思われるので、再び大きなニュースとなることでしょう。

アメリカ劇場公開30周年記念で、1980年製作のドイツ映画「TAXI ZUM KLO/タクシー・ズム・クロ(原題/トイレットへのタクシー)」のリマスター版DVDがアメリカで再発売されました。以前は、ビデオ以下のヒドい画質と解読不可能な文字のつぶれた英語字幕の粗悪なDVDしか発売されておらず、それさえも廃盤レアものとなっていました。ゲイ映画の傑作と言われながら、長らく観ることの難しい作品だったのです。

本作は、フランク・リッポロー(Frank Ripploh)が監督、脚本、主演の3役をこなしている自伝的な映画で、ゲイの小学校の教師の日常生活と、恋人との出会いと別れを描いたセックスコメディなのですが・・・なんとって、フランクのぶっちゃけっぷりの潔さがモノ凄くて、30年という時代を経ても褪せていません。チンチンだけでなくお尻の穴までモロ出しにして、フェラチオ、アナルセックス、SM、ゴールデンシャワーなど実際に演じている(?)というのは、やはり画期的・・・ただ、あっさりと描かれているので「ハードコアポルノ」ではないのでありません・・・あしからず。

「ニューヨーク・フィルム・フェスティバル」で最初に公開されたこともあって、ニューヨークではアート系の映画館で一年近くのロングランの大ヒットしました。公開当時は、ゲイの観客を集めたというよりも、興味本位のストレートの集客をしていた記憶があります。特にニューヨークのインテリ層って、超リベラルというか恐いもの見たさのようなところもあったりするものでしたから。ただ、映画公開の数年後には、エイズの蔓延で本作に描かれているようなゲイライフスタイルは、過去のモノとなってしまったのです。そこで・・・Pre-AIDS(エイズ以前)の時代を記録をしたゲイ映画として、後になってゲイ・コミュニティーでの評価も高まっていったのかもしれません。

ただ、本作がゲイ映画の傑作と言われた由縁は、単に風俗的な記録としての評価ではなく、ゲイカップルにとっての普遍的なテーマ・・・セックスパートナーとしてお互いを唯一の相手として”クローズした家庭”を築くか、それともお互いそれぞれ好き勝手に他の人ともセックスする”オープンな関係”を築くのかということです。これは、どちらが正しいという問題ではなく、ゲイカップルにありがちの葛藤であり、別れの原因にもなりがちの問題であります。

フランクは、非常に積極的にクルージングをするタイプ・・・自分の生徒の宿題の採点を公衆便所のグローリーホール(大便用の個室トイレの壁に穴が開いていて性行為ができる)でやってり、病院で入院しているにも関わらずタクシーを使って街中の公衆便所にクルージングに出掛けたりと”やりたい放題”です。それは、恋人と暮らすようになってからも変わらずであります。逆にフランクの恋人は、手のかけた料理を作って家で待っているタイプ・・・将来は田舎に農園を買って、フランクと二人っきりでのんびりと暮らすことを望んでいるのです。

男をひっかけて、自宅に連れ込んでセックスに興じるフランク・・・その最中に帰宅してしても、ただドアの隙間から覗いて佇むことしかできない恋人。映画の後半「Queen's Ball/クィーンズ・ボール」という仮装ダンスイベントに一緒に参加するものの・・・いつものように男をピックアップしていちゃつくフランクを、ただパティー会場の隅で傍観しているすることしかできない恋人に、ボクは親近感を覚えたものでした。当時のボクも「ウォールフラワー/壁の花」のように傍観者に甘んじていたことが多かったから・・・。映画はフランクがひとりで鏡に向かって、恋人とやり直すべきか自問自答しながら、結論はつかないまま終わります。

エイズ以前のゲイにとって、フランクの恋人のような家庭的なタイプは、面倒くさく思われる存在だったような気がします。ゲイの市民権獲得とフリーセックス全盛の時代に、一対一の「同性結婚」のような家庭的なライフスタイルを求めるというのは、正直ダサく感じられたものでした。(そういうカップルが全くいなかったわけではありませんが)性的にはオープンな関係というのは当たり前・・・友達、セフレ、恋人の境界線も極めて曖昧で、いつの間にか恋人がカップル間で入れ替わっていたり、普段は友達同士なのにサマーハウスでは乱交しまくりなんていうことも起こっていました。それ故に、エイズがあっとい間に蔓延してしまったわけでありますが・・・。



今やニューヨークのゲイの半分以上はHIVポジティブじゃないかと思えるほど、ポシティブ・コミュニティーは広がり、ポジティブ同士の出会い系サイトがメインになっています。マンハッタンのロフトではプライベートのポジティブオンリーの乱交パーティーが盛況で、セーフセックスは過去の遺物となり、再びフリーセックスの時代を迎えつつあるような気さえします。

そんな今だからこそ「同性結婚」の法案可決というのは、重要な意味を持っているのかもしれません。そして「TAXI ZUM KLO/タクシー・ズム・クロ」で描かれたゲイカップルの普遍的なテーマ・・・愛って「性の自由さを許す寛容さ」なのか?それとも「愛という名の束縛」なのか?そんなことを、ボクは改めて考えてしまうのです。






「タクシー・ズム・クロ」(トイレットへのタクシー)

原題/TAXI ZUM KLO

1980年/ドイツ

監督&脚本 : フランク・リッポロー

出演    : フランク・リッポロー、バーンド・ブローデレップ

日本未公開



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2011/06/24

スティーヴン・スピルバーグへのJ・J・エイブラムスからのオマージュ・・・40代おじさんには感涙モノのスピルバーグイズム満載の全部入り映画!~「SUPER 8/スーパーエイト」と「E.T.」~


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最初に申し上げたいのは・・・公開中の「SUPER 8/スーパーエイト」を観ようと思っているなら、ウェブでネタバレ情報を探したり、すでに観た人の話などは聞かない方が良いということです。宣伝手法として観客に前もって内容を明らかにしないということはよくあることですが、フタを開けてみて「あら〜ガッカリ」ってことも多かったりします。そのような秘密主義で制作されてきた本作ですが・・・良い意味で予告編や宣伝から与えられるイメージとは少々違う映画なので、何も知らずに観に行った方が楽しめる映画だと思うのであります。

公開直前になって発表されたポスターは、少年と少女が後ろ向きで立っていて、UFOのような飛行物体の光がこちらに向かって来ているというモノ・・・ただ、このようなシーンは映画本編にはありません。また「僕たちは、ひとりじゃない」というコピーですが・・・これは日本独自のコピーのようです。40代以上の人なら「We are not alone/私たちはひとではない」という「未知との遭遇」の有名なコピーを思い出すに違いありません。予告編では、少年達がスーパー8で自主映画撮影している際に、偶然列車の脱線事故に遭遇して、カメラに列車の貨物車から逃げたす「何か」が写っていたというドキドキするような展開となっていますが、これは物語の序の口でしかないことは明らかです。そこから想像できないようなトンデモナイ起きることよりも、そんな状況下で主人公たちが成長していく姿こそが、本作の見所であるのですから。


主人公の設定と物語の”落としどころ”は、まさに「E.T.」そのもの・・・スピルバーグが繰り返し描いてきた同じ少年の物語と言っても良いのかもしれません。家庭の崩壊していて理解をしてもらえない少年の切ない思いと、孤独感からの脱皮と人間としての成長するという、普遍的で、ベタな物語でなのです。去年ぐらいからハリウッドで多く製作されているエイリアンが地球を襲ってくる映画の数々・・・現在公開中の「スカイラインー征服」、秋公開予定の「世界侵略:ロサンジェルス決戦」、2011年7月23日に日本公開の「モンスターズ/地球外生命体」らと「SUPER 8/スーパーエイト」が一線を引くのは、少年の心を描くという「スピルバーグイズム」とも言える明確なメッセージを持った”人間ドラマ”ということなのです。「E.T.」への強い思い入れを持つボクにとって「SUPER 8/スーパーエイト」は、21世紀版の「E.T.」のような映画・・・見逃すわけにはいきません。

「E.T.」を観たのは1982年6月11日(およそ30年前!)・・・当時ニューヨークに留学していたボクは、実はアメリカでの公開初日に観に行っているのです。数ヶ月前から街中には、E.T.の人差し指と人間の人差し指がくっついているポスター(一番最初のポスターは月のシルエットはなかった)が、そこらじゅうに貼られていて話題になっていました。「未知との遭遇」でUFOとの交信を描いたスピルバーグ監督が、今度は”宇宙人”をスクリーンに登場させるのでは・・・と噂されていた程度で、映画館で上映されていた予告編には「「E.T. the Extra Terrestrial」という文字だけで、映画からの映像は使われていなかった記憶があります。ただ、超大作で知られていたスピルバーグ監督にしては、低予算の作品ということで、ニューヨークのタイムズスクウェア界隈で上映されていたのは、決して大きな映画館ではなかったのでした。

当時は、ニュース番組ぐらいしか情報源はありません。初日の朝、ニュースで徹夜組がいるほど大変な賑わいになっていることを知ったボクは、一緒に行く約束をしていた友人に電話して、すぐに映画館前へ向かうことにしたのです。映画館の前に突いたのは、午前10時ぐらいでした。チケット購入のための列は、すでに映画館のあるブロックをぐるりと一周するほどになっていました。今日中に観れるのだろうか・・・という一抹の不安を覚えるほど大勢の人々がいたのだけど、映画館はレイトショー上映することを即決したらしく、並んでいればチケットは手に入れられそうな感じだったのです。チケットを購入出来たのは昼頃だったのですが・・・上映時間は夜中の午前12時半の回でした。

夜中の映画館は異様な空気に包まれていました。勿論、座席は満席・・・映画が始まる前から口笛を吹いたりしていました。映画が始まると拍手喝采。いちいち映画の場面に大袈裟なくらいに反応する観客に、ボクは初めは引き気味でした。当時は英語のヒアリングも良くなかったので、ストーリーを十分理解できていたかは怪しいものなのですが、周り観客の反応に促されるようにボクは感情移入していったのです。今では誰でも知っている”あの有名なシーン”ですが、当時は誰もどうなるかとか知らないので、自転車が空に浮き上がったシーンでは、観客が総立ちになってジャンプして大騒ぎ・・・涙を流しながら、周りの客と抱き合っている人もいたほどでした。

「アメリカ人って大人も子供に戻れる国民」と言われたりしますが、「E.T.」はまさに、それを証明したような作品だったのです。かなり屈折した映画や、変態的なエログロ映画も好物のボクでさえ・・・「E.T.」は別格。生涯の映画ベスト10に入るとか、入らないとかではなく、永遠に「特別な映画」として君臨している唯一の映画なのであります。

「SUPER 8/スーパーエイト」は、「E.T.」へのオマージュというだけでなく、スピルバーグ映画に対するオマージュと言えるでしょう。なかなか姿が現れないのは「ジョーズ」的ですし、スペースシップは「未知との遭遇」的でした。派手なぶっ壊し方は「ジュラシックパーク」または「宇宙戦争」的であります。スピルバーグが製作に関わった「グーニーズ」的な少年グループのドタバタ劇がもあるし、「トランスフォーマー」的な造形のイメージもあったりするのです。それらが「E.T.」のような色合いのフィルム感、パンカメラの動き、音楽の挿入の仕方、そして1979年当時の雰囲気を再現した出演者達のファッション、インテリア、音楽・・・まさにボクが1980年頃に初めてみたアメリカの郊外の中流家庭を見事に再現しているのです。

「E.T.」をリアルタイムで観て、当時を経験している人ならば「懐かしさ」を超えて、当時製作されたスピルバーグ監督作品を観ているような錯覚に陥るほど「当時感」にこだわった作りになっています。それは、単にJ・J・エイブラムス自身の少年時代を再現したノスタルジーではありません。まだ、任天堂のテレビゲームも普及しておらず、自転車で近所を走り回っていた時代であったということ・・・安全で豊かさとアナログの共存する”幸せな時代”であったからこそ、少年が少年らしく「宇宙人」を夢見ることのできたのかもしれません。

今更ながら、そんな”黄金時代”に少年でいられたことを、ボクは「ラッキー!」だったと思わずにはいられないのです。




「スーパーエイト」
原題/SUPER 8
2011年/アメリカ
監督&脚本 : J・J・エイブラムス
製作    : スティーヴン・スピルバーグ、J・J・エイブラムス、ブライアン・パーク
出演    : ジョエル・コートニー、ライリー・グリフィス、ライアン・リー、ガブリエル・バッソ、カイル・チャンドラー、エル・ファニング、ロン・エルダード、ノア・エメリッヒ、アマンダ・ミシェルカ


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2011/06/23

「めのおかしブログ」・・・3年目に突入であります!


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なんだかんだで・・・「めのおかしブログ」を開始して今日でちょうど2年。遂に3年目に突入となりました!子供の頃から日記をつけても3日坊主だったボクが、ブログを2年続けるとは驚きであります。試行錯誤(というほどでもないけど)を繰り返し、結局のところ自分ができる形式と更新頻度で落ち着きつつある感じではあります。


友人/知り合いは、個人のブログなどやってない人が殆ど・・・ブログをやらない人ほど、インターネットの影響力に過剰な期待をしてしまいがちで、高い目標意識を持ってしまうもののかもしれません。ボクは、目標に向かって努力するというのが子供のときから得意でないので、ブログに関しても「何のためか」とか考えてしまうと途端にやる気が失せてしまたりしそうなのです。ブログで何をしたいのか分からない・・・というのが、逆にボクにとっては継続のエネルギーとなっているということなのかもしれません。


子供のときから国語は得意な科目ではなく・・・およそ20年間の海外生活の期間中は、日本語を読みはしても、書くことには殆どしていなかったボクですから、文章についてはまったく自信ありません。アカデミックな友人からは「誤字、脱語、文法の間違いが多過ぎる」と匙を投げられ・・・見知らぬ方にツイッターで「兎に角読みづらい」などと酷評され・・・心が折れそうになることはありました。ただ、ボクは原稿料をもらっているわけではないし、編集者が校正に入っているわけでないわけですから、下手で当たり前・・・投稿後も修正の繰り返しです。だから、記事がアップされて、数日後ぐらいに読んでもらうと”完成型”になっているという始末であります。


ボクはマックユーザーなので、ブログのアップ、レイアウトやフォントの指定は、マックで行なっています。特にレイアウトに凝ろうというわけではないけど、改行ばっかりとか、絵文字の使用は、ボクの性には合わないので、基本的にシンプルを目指しています。しかし、ウィンドウズパソコンで閲覧してみると・・・フォントは汚いし、行間も文字間もびっしりで、何とも読みにくいレイアウトになっているようです。老眼のボクだったら、ひと目見て挫折してしまうほど、汚いレイアウトで文字も読みにくいのです。まぁ・・・ブラウザーの設定次第というところはあると思うので、ウィンドウズでご覧の方は、表示の拡大機能などの設定を駆使して、読んで頂ければ幸いと思っています。


ブログ開始当初、このブログを読んでくれていたのは”リアルの友人”だけで、一日のアクセスは数人程度でした。投稿記事が蓄積されてくると、GoogleやYahoo!のキーワード検索で訪れてくれる方が徐々に増えてきました。ボク自身も検索でいろんな人のブログを発見して、情報や意見を得ることをしてきたので、ボクが過去に書いた文章が誰かの役に立っているとしたら嬉しいと思っています。ちなみに、過去1年、キーワード検索で多かったのは・・・「ヒットガール/キックアス」「フレネミー/エナミーフレンド」「フェイ・ダナウェイ/愛と憎しみに伝説」「iPod touch WiMAX」「ちんちん/おっぱい」「悪女について/影万里江」「マツコ・デラックス」「中村うさぎ」「ミッツ・マングローブ/徳光修平」「ブラックスワン/山岸凉子」などでした。まぁ・・・随分と俗っぽいキーワードばかりで正直ガックリしてしまいますが、これが現実なんですよね。


ボクにとって「めのおかしブログ」は、日記のように日常の出来事を記録するのではなく、自分が観たモノ、読んだモノ、経験したモノから感じたことを書き記しているようなところがあります。ボク自身の日常生活なんてブログに綴るほど面白いわけでもありませんし、ボクが誰かのブログの”ネタ”になって嬉しいと思わないタイプなんで(付き合っている人がブログに自分との恋愛とか書いていたら、即別れてしまいそう!)・・・日常の出来事から感じたことは「けいたいおかし」の方でサラッと書くようにしています。映画、書籍の記事でも、偉そうに作品を評論をしようというわけでも、読者に紹介しようというわけでも、宣伝しようというわけでもなく・・・ボクがどう感じたかの「感想文」のようなもんなんです。見解が違っても、おっさんの戯言としてスルーしてください。


個人ブログなんて多かれ少なかれ「自慢ブログ」なのかもしれません。食べ物ブログは「美味しいものを素敵なお店で食べた自慢」だし、写真ブログは「私の素敵な趣味やライフスタイル自慢」だし、同棲ブログは「幸せな自分たちの日常生活の自慢」なんです。そんな意地の悪い解釈って、読み手の側の”ひがみ”や”ねたみ”次第ってところもあるのかもしれません。ただ・・・書き手側というのは、意識的、無意識的にしても、世の中に発信したい「編集した自分」の表現をしているのです。その深層心理に、まったく「自慢」する気持ちがないとは言い切れません。ボク自身は自分の魂をさらけ出して書いているつもりだけど、そこから「自慢」を感じる人もいたとしても仕方ない・・・正直言って、何が読み手側に伝わっているかなんて、ボクにはよく分かっていないし、コントロールもできないのですから。


そう言えば・・・このところ「めのおかしブログ」がメインとなって、「めのおかしホームページ」はすっかり放置してしまっています。ランキングをして遊ぶ企画だった「おかしのトップ7」、過去のブログ記事を書き直す企画の「よりぬきおかし」、そして基本的に自分で撮影した写真や描いたイラストをアップする「めのおやつ」・・・どれも更新が止まっています。「めのおかしブログ」けいたいおかし」「おかしのみみ」という3つのブログは自然と続いています。結局、自分ができるペースで、できることしかやらないという・・・どうしようもない自分を知った2年であったのでした。


なんか言い訳ばかりになってしまいました・・・相変わらずの長文、そして独断に満ちた好き勝手なことを、これからも書いていくつもりですが、今後もよろしくであります。


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2011/06/20

勝手に今年の”最低映画”レースに参戦決定!・・・これじゃアメリカ海兵隊の勧誘広告CMにもなってない?~「世界侵略:ロスアンゼルス決戦」~


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「アメリカ=正義」の正当性に説得力がなくなってしまった近年・・・明らかな「敵」を設定しにくいという事情もあってか、最近はやたらエイリアンが地球を襲ってくるような映画が作られているような気がしてしまいます。その上、ロサンゼルスで”また”エイリアンと戦うって・・・以前「めのおかしブログ」で書いた「スカイラインー征服ー」のパクリなのかって感じですが、実は「世界侵略:ロスアンゼルス決戦」の方が先に作られた堂々たる大作映画なのです。本作で特殊効果を担当したストラウス兄弟が、短期間の低予算(制作費はおよそ7分の1)で「スカイラインー征服ー」を作って先に公開しちゃったということなのです。ある意味・・・腹違いの兄弟的な作品ってことにでもなるのでしょうか?「

日本では「スカイラインー征服ー」より前に公開されるはずだった本作なのですが、東日本大震災のために公開が延期となってしまいました。元々、設定が似ている2作品・・・「スカイラインー征服ー」を第1部(アメリカ公開2010年11月12日)、「世界侵略:ロスアンゼルス決戦」を第2部(アメリカ公開20011年3月11日・・・東日本大震災の日だ!)とも考えられるのかもしれません。「スカイラインー征服ー」は中途半端なB級映画感と、圧倒的に強過ぎるエイリアンを前に、武器も持たない小市民たちのなす術のない姿を眺めているしかない映画でした。しかし本作は何たって「ロスアンゼルス決戦」なのでありますから、アメリカ海兵隊がエイリアンに立ち向かい戦うのであります!「スカイラインー征服ー」に肩すかしを食らっていた分、何故か本作への勝手な期待が膨らんでしまったのでした。

ここからネタバレを含みます。

地球規模で侵略してきたエイリアンと・・・遂にロサンゼルスで「決戦」ということで、ロサンゼルス周辺で必死に抗戦するアメリカ海兵隊の姿をドキュメンタリータッチで描くという”戦争映画”。映画全編の埃っぽさは「第9地区」や「ハートロッカー」以上・・・常に動き回るカメラは、熱く怒鳴り合う兵達たちのアップと、そこらじゅうで爆発を追うので、何が起こっているのか把握するのも疲れるぅ~という感じなのです。映像技術的にCGを駆使すれば、どんなバトルシーンも撮影可能ということは、戦闘シーンの演出の技量の善し悪しが露呈するということかもしれません。ハンドカメラで臨場感を出しながら、高度のCG技術が使われているのは分かりますが、技術自体も効果的に使われていない残念な印象なのでした。

エイリアンのデザインの酷さも際立っていました。どうやらメカニックな部分とオーガニックな肉体を持っているエイリアン戦士なのですが、イマイチどういう形状をしているのか理解ができません。また、エイリアンの母艦や戦闘機も、妙にごちゃごちゃした汚いメカニック風というよく見るデザイン・・・ビジュアルセンス悪過ぎです。さらに繰り返し流れる音楽・・・雄大な戦場シーンを連想させるメロディが何度も何度も繰り返し流れるわりに、戦闘は10人程度の海兵隊の1小隊VS.エイリアン戦士の接近銃撃戦という比較的チマチマしているシーンばかりなので、音楽が沸き上がる感情を補うというよりも、意味のない感動を押し付けられているようでゲッソリ・・・音楽のセンスも悪過ぎです。

「どうやって人間が生身で戦えるの?」というほど、映画の前半ではエイリアンの戦士がメチャクチャ強くて、銃撃してもなかなか死なないのです。そこで、ひとりの瀕死のエイリアン戦士を捕まえて”拷問”みたいなことして急所を見つけるわけですが、すると途端にバタバタとエイリアンを倒せるようになるという安易な展開。そして・・・一番のズッコケは、エイリアンは地球に「水を汲みに来ただけ」という侵略理由。それなら、わざわざ世界中の都市を壊滅させたりしないで、太平洋でも、どこでも広い海で水汲んで行ってくれよって感じです。その水汲み母艦は、海兵達の銃撃であっさりと撃ち落とされてしまって・・・最初っから、母艦を攻撃してれば終わっていた30分で終わっていた「決戦」でした。アメリカでオープニングの週、興業成績第1位を獲得したのは、何か大きな期待だけはさせる予告編(下記参照)のデキの良さや、宣伝の盛り上げ方があったように思えていまいます。

特殊効果を担当したストラウス兄弟が「俺たちなら同じ設定で面白い映画が安く作れるぞ!」と「スカイラインー征服ー」作っちゃった・・・としても、容赦できるような映画でした。

余談ですが・・・ひと昔前まで、エイリアンが地球にやってきて、ぶっ壊す街と言えばニューヨーク(または、ホワイトハウスのあるワシントンDC)というのがお決まりした。皆が知っている有名な建造物が派手にぶっ壊されるのが、この手の映画の見所だったと思うのですが、ロサンゼルスやサンタモニカの街並って破壊されても見栄えしないような気がするんですよね。ニューヨークで暮らしたことのあるボクとしたら、エイリアンの攻撃目標が西海岸に移ったというのは・・・なんか寂しい限りであります。


「世界侵略:ロスアンゼルス決戦」
原題/World Invasion: Battle Los Angeles
2011年/アメリカ
監督 : ジョナサン・リーベスマン
出演 : アーロン・エッカート、ミッシェル・ロドリゲス、ニーヨ、ブリジット・モイナハン、マイケル・ペーニャ

2011年9月17日全国公開


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2011/06/14

”恋愛”は勝ち負けの勝負?・・・だとしたら、あえて「負け勝負」を心がけてしまうのだ!


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恋愛を「勝ち負けの勝負」なんて言うと、遊び人のように思われてしまうかもしれませんが・・・18歳のときから約30年の経験でボクが感じることなのであります。


恋愛は「等価交換」・・・価値のバランスが取れて成り立つモノだと思うのです。「お似合いのカップル」と言われる二人の「何が、お似合いか?」ということを考えると、それぞれの価値のバランスが取れているということ。恋愛に於いての「価値」というと「容姿」「年齢」「経済力」「セックスの相性」「人間性」など・・・いろんな要素の総合得点(何を重要視するかは人によってそれぞれ)でのバランスということになるのかもしれません。


「容姿」の価値は個々の嗜好性が強いので、それぞれのジャンル(ガチムチ系とかジャニ系とか)によって、ヒエラルキーが存在します。ジャンルの中での「完成度の高さ」が、容姿の「価値」に比例するのです。ただ、自分が目指すジャンルと自分の好きなジャンルが同じという場合が多いので、似た者同士の「お似合いカップル」というのが生まれやすいかもしれません。逆に、世間一般的にハンサムくんがブサイク好きで、ブサイクくんがハンサム系が好きという、お互いにない物ねだり的なカップルなんてことの場合には、本人たち的には「等価交換」ってこともあります。


すべての人が自分より若い人を求めているわけでもありませんが・・・「若さ」というのは、一般的にいって「価値」は高いよういです。年齢という「価値」において「若さ」に軍配が上がるのは、時に「若さ」は「経済力」との「等価交換」でバランスが取れていることもあります。すべての大きな年齢差のあるカップルに該当するとは思いませんが・・・年下が年上に経済的に依存しているか、経済的な恩恵を受けているという状況が多いでしょう。いくら年上好きだからといって、冴えないおじさんの生活の面倒をみているイケてる若い子というのは、滅多にいないのですから。


あらゆる格差を解消する価値として「経済力」は、重要な要素であるということです。ストレートの世界では多い”美女と野獣”的(実業家とモデルとか!)なカップルというような容姿の「価値」で落差のあるカップルの場合、経済力によって「等価交換」が成り立っていることが多いのです。どちらかが経済的な依存もしくは恩恵を受けていて恋愛が安定するのは、あくまでも経済的な負担をする側が、それだけの「価値」を相手に見出しているというのが条件ではあります。「経済力」の「等価交換」は強力なバランスメーカーであると同時に危ういもの・・・「金の切れ目が縁の切れ目」というのは多々あることです。


「セックスの相性」というもの、恋愛において大切な「価値」ではあります。恋愛感情を伴わないセックスだけの関係というのは「相性」重視・・・ただ、好きだからといってセックスも合うとは限りません。セックスの嗜好は、本当に人それぞれ・・・それ故に、好きな相手と純粋にセックスの相性がピッタリ合うというのは、それだけで意味のある「価値」だと思ってしまうのです。(こんなこと思っているのはボクだけ?)


最後になったけど「人間性」というのは、最も重要な「価値」であります。ただ、これは相手を見ただけで分かる容姿とか違い、ある程度時間をかけないと分かりません。恋愛で盛り上がっている時には、お互いの言動だけは同調してしまいがち・・・しかし、相手に合わせるといっても限界があります。品性や本性というのは、ある程度の時間の流れの中で行動や行為によってみえてくるものなのです。自分にとって「許せる一線」「許せない一線」という許容範囲を持っておかないと、相手に振り回されることになります。そして振り回されるということこそが、恋愛の「勝ち負け勝負」での「負け」なのです。


恋愛に於いての「負け」というのは・・・「等価交換」のバランスにおいて、不均衡が生じていて、それを努力で補うということ。二人の好き度合というのは、完全な50/50ということが永遠に続くことっていうのはあり得ません(稀にピッタリ50/50という瞬間もあるかもしれませんが)。好き度合の多い方が努力してバランスを合わせていくしかないと恋愛は成り立たないのです。ただ「負け」が込んでしまうということは「別れ」という結末を迎えてしまうということであります。


恋愛中、恋愛のことを真剣に考えているのは「負け勝負」している側で「勝ち勝負」している側は、あまり深く考えていなかったりします。ボク自身、自分が最終的に振った/捨てた相手に限って、別れ際の詳細な記憶がなかったりします。ボクとしては別れ話を持ち出す前に気持ちは離れてしまっているので、実際に別れられた時には肩の荷がおりたという状態ではあったりするのかもしれません。


逆に「負け勝負」の恋愛で、結果的に振られた/捨てられた場合は、後々まで深く記憶に刻まれていたりするものです。努力している段階で負けが込んできているのは明らかなわけですが・・・それでも、なんとか「等価交換」の天秤を釣り合った状態にするように頑張るわけです。それでも、努力の甲斐もなく一方的に終わりとされてしまうのだから、非常に理不尽・・・納得いかないのであります。


「勝ち勝負」で終わった恋愛は相手に説明は求めません。自分のなかで吹っ切れたりすれば済むことです。しかし「負け勝負」で終わった恋愛には、相手に納得出来る説明を求めてしまうもの・・・でも、勝負の残酷さというのは、負けた側に納得出来る説明がもたらされないってことです。だから、別れた後もひとりでグズグズと考えなければいかなくなります。「何故、彼の心が離れてしまったのか?」「何が自分には足りなかったのか?」納得出来ない理不尽な別れの思いを抱えながら「答え」に近づいていくしかないのです。


恋愛では全戦連勝の負け知らずの人というのもいるのかもしれません。恋愛が「勝ち負けの勝負」だとしたら、勝てば良いのものなのでしょうか?ボクは何度となく「負け勝負」の恋愛から立ち上がってきたものでした。振り返ってみると、恋愛の充実感は「勝ち勝負」よりも「負け勝負」にありました。


すっかり大人になったボクは、恋愛に於いて「いかに負けるか」ということを、心がけてしまうのです。


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2011/06/10

トッド・ソロンズ監督による”あの”「ハピネス」の続編・・・さらに毒々しさに深みを増した皮肉なユーモアに救いなし~「Life During Wartime/ライフ・ドュアリング・ウォータイム」~


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1998年製作のトッド・ソロンズ監督による「ハピネス」は、ボクが大好きな作品のひとつであります。ニューヨーク/ニュージャージー近郊に暮らす三姉妹とその家族や周辺を人々が繰り広げる屈折して皮肉に満ちた人間模様・・・ダークな「ハンナとその姉妹たち」(1986年ウッディ・アレン監督作品)とでもいうような作品でした。変態やタブーに対して時には愛を感じさせる独特の監督の視線は、自分の周りの世界を見る目にさえも影響を与えました。

「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」は、その「ハピネス」の正統な続編であり、実は「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のワイナー一家とジョーダン一家を結びつけるソロンズ監督のユダヤ系ファミリーサーガのクライマックスとも言える作品とも言えるのかもしれません。

前作から約8年後を舞台とする後日談が語られるわけですが・・・すべてのキャラクターは、前作とは違う俳優によって演じられています。「おわらない物語 アビバの場合」では、主人公のアビバを年齢、性別、人種の違う俳優に演じさせたソロンズ監督ですから、続編で別な俳優が、その後を演じるというのは不自然ではないことなのかもしれません。出演している俳優が違うから前作とは関連性が薄いので観る必要はない・・・なんて思ってしまうのは大間違いで、違う俳優が演じているからこそ、前作の「ハピネス」は必ず観ておくべきなのであります。

以下、ネタバレを含みます。

「ハピネス」と「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、全体的に登場人物達の内面的な状況は、前作よりもさらに悲惨になっているようなところがあり・・・それに比例して演じる俳優の雰囲気もより暗く、痛々しくなっているような印象さえあります。また、物語の舞台をニューヨーク/ニュージャージーから、ユダヤ系にとって憧れの土地であるフロリダに移しているのですが、明るい日差しや建物の色は、逆に登場人物たちの人生の迷走を深めているようにしか思えません。


アメリカのアッパーミドルクラスの薄っぺらさ体現しているようなジョーダン家の長女トリッシュ・・・「ハピネス」では、シンシア・スティーヴンソンが絵に描いたような嘘くさいアメリカンな母親/主婦を演じていました。彼女が幸せの総てだと信じていたパーフェクトファミリーは、夫の不祥事によって崩れ去ってしまいます。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」のトリッシュは、子供3人を育てるシングルマザーとして描かれます。よりユダヤ系っぽいアリソン・ジャネイによって演じられているせいか、強い押しを感じさせる生々しいキャラクターに感じられます。ハービー・ワイナーと恋に落ちて、孤独なシングルマザーにピリオドを打つはずだったのですが・・・皮肉な誤解によって破綻してしまいます。


ペドフェリア(小児性愛者)の父親という衝撃的なタブーの存在であったトリッシュの夫ビル・・・「ハピネス」では、中年男臭さの感じられない腹話術の人形のような顔をしたディラン・ベイカーによって演じられていました。妙に清潔感や誠実さを感じさせる雰囲気と演技によって、息子の同級生達を性的虐待するペドフェリアでありながら、嫌悪感を感じさせないのは絶妙でありました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、男臭い雰囲気のシラン・ヒンズによって演じられているせいか、キャラクターはかなり変化しています。「世の中で嫌われる者」としてのペドフェリアは重罪を背負った者・・・父親として刑務所の出所後の悲惨な足取りが描かれます。家族(特に長男のビリー)と再会を求めますが、悲劇的な終わりを予感させます。


「ハピネス」では、父親が同級生を性的に虐待するという強烈なトラウマを抱えさせられる11歳の少年・・・子役のルーファス・リードに演じられ、涙ながらにペドフェリアの父親を受け入れようとする姿を痛々しく演じていました。エンディングでマスターベーションで「イク」ことができたことで、何かを吹っ切れたような希望の光を見せていました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、すでに実家から離れた大学に進学して寮生活を送っているのですが、出所した父親の訪問を受けます。動物界での同性愛を研究しているというところからも、少年期のトラウマを引きずっていることを感じさせます。



「ハピネス」では、まだ幼く殆ど存在感のなかったティミーですが・・・「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、彼を中心に物語が進行していきます。ユダヤ教の成人式(バル・ミツワー)を迎える13歳という設定ですが、前作での兄ビリー(11歳)より幼く見えるディラン・リレイ・スナイダーのよって演じられています。ペドフェリアの父親の記憶がそれほどなかったのですが、過去の事実を知ることで新たなトラウマが植え付けられ、結果的に母の再婚をぶち壊すことになってしまうのです。ペドフェリアとテロリストを「世の中で最も嫌われる者」として横並びにして「Forgive/許すこと」「Forget/忘れること」の疑問という本作のテーマを投げかけます。


「ハピネス」では、当時「ツインピークス」で人気のあったララ・フリン・ボイルが演じていた自己中心的な次女ヘレン・・・詩人/小説家として成功しているにも関わらず、厭味なほど自虐的な自己愛によって、レイプ願望を持ち合わせるほど屈折していました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、脚本家としてエミー賞を数々受賞し、フロリダの豪邸に多くの使用人を抱えるほど成功していますが、相変わらずの自己愛の強さで以前にも増して厭味に磨きがかかっています。1980年代の青春映画で活躍していたアリー・シーディーの老け具合も、昔を知っている者からすると痛々しい感じです。


30過ぎても未婚で男なし、キャリアもパッとしない三女のジョイ・・・「ハピネス」では、映画冒頭で振ったアンディに自殺され、イタ電の標的になり、英語の教師になれば生徒のロシア人男性に貢いでしまうなど、散々な負け犬っぷりでした。ただ、演じるジェーン・アダムスのケロッとした明るさが、どこか救いを感じさせていました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、ヘレンから紹介されたアレンと結婚していますが、夫婦仲はアレンのドラッグ問題やイタ電の性癖でうまくいっていません。演じるシャーリー・ハンダーソンは、普段の声が泣き声のようで悲壮感を感じさせる暗い印象です。「ハピネス」で自殺したアンディの亡霊につきまとわれ責め続けられる上に、またしてもアレンの自殺によって、さらにどん底につき落とされることとなるのです。


「ハピネス」では映画のタイトル前に登場して、ジョイに振られて自殺してしまうアンディは、「サタデーナイトライブ」出身で、女々しくグダグダするのが芸風のジョン・ラビッツよって演じられました。自虐的でありながら、攻撃的でもある屈折したモテない男が、短い出演ながらも強い印象を残しました。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、ジョイにとって「Forget/忘れること」のできない存在として亡霊になって再び現れます。演じているのは「ピーウィーハーマンショー」で一世を風靡したポール・ルービン・・・ポルノ映画館でのマスターベーション事件、少女ポルノ所持での逮捕で芸能界から消えていましたが、変質者の役などでここ数年復活しています。亡霊になっても自虐っぷりと攻撃性は健在で、ジョイを再び苦しませます。


今やハリウッドの主役級の俳優となったフィリップ・シーモア・ホフマンの出世役かもしれません。イタズラ電話でマスターベーションをする変質者・・・赤毛のブロンドと白いブヨブヨと太った体型のオタクっぷりが衝撃的でした。イタ電をきっかけに憧れていた隣人のヘレン(レイプ願望)と実際に会うも、あっさりと振られてしまいます。演じる俳優が最も外見的に変わったののがアレン・・・「ハピネス」で振られたヘレンの紹介でジョイと知り合い結婚したという設定なのですが、なんと黒人に変わっています。イタ電の性癖だけでなく、ドラッグ中毒や仕事場などでの喧嘩のトラブルなど、かなり問題のある人物となっています。映画の冒頭でジョイと夫婦仲を改善しようと泣きを入れますが、悲観的になって自殺してしまいます。


ウィディ・アレンの最初のミューズであったルイーズ・ラッサーによって演じられていたジョーダン家の三姉妹の母親・・・離婚の危機にあった「ハピネス」では、グタグタと泣いてばかりでした。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、夫と離婚して、凄みのある太り方と老けっぷりで、寂しい生活をおくっている様子が垣間みれます。


「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」で初登場のキャラクター・・・刑務所を出所したビルとワンナイトスタンドをする老女(?)の役です。全盛期のクールビューティーさを知る者にとって、あまりにも老けた顔に驚かされます。胸丸出しでセックスシーンを演じているのですが、痛々しく感じてしまうほどです。


「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のドーンの父親のハービーが、トリッシュの再婚相手として蘇りました。母親の影で印象の薄かったハービーですが「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」では、35年の結婚生活にピリオドを打って新しい伴侶を求めています。トリッシュと出会い、燃え上がるのですが・・・ティミーにペドフェリアと誤解されて再婚を諦めることとなります。そして、ハービーはイスラエルに移住していくのです。


「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」で、主人公のドーンのシニカルな兄役として登場したマーク・・・いかにもパソコンオタクでイジメられっ子という風貌のマシュー・フェイバーによって演じられていました。「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」のスピンオフという形で、ドーンの葬式から映画の始まる「おわらない物語 アビバの場合」では「自分が変われると思うのは間違いだ。人はずっと同じだ。自由意志はない」という映画のテーマを語るキャラクターとして再び登場していました。ある意味、マークはソロンズ監督にとって、映画の中でも自分の代弁者なのかもしれません。「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」でも「いずれ中国によって全ては乗っ取られる」という独特の厭世観を繰り返すシニカルなキャラクターとして、さらにインパクトを強めています。演じているリッチ・ペシは、体格的なタイプは違うものの同じオタクの臭いを醸し出していて、マークのキャラクターとして、より適役であると思わせます。

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アメリカでは興行的に失敗してしまったようで・・・日本公開という噂も聞きません。アメリカ国内では、いまだにDVDが発売されておらず(クラリオンより2011年7月26日に発売)決して高い評価を受けているわけであありません。確かに、登場人物が多くて、前作から引き続いて拾っていかなければならないキャラクターも多過ぎて、十分語られてないエピソードや尻切れとんぼのようなままのキャラクターがいることも事実です。

「自由」と「民主主義」を掲げているテロリストとの戦いの”無意味さ”や中国の脅威という9・11以降のアメリカに漂う漠然とした「虚無感」を感じたり、ソロンズ監督の政治的なメッセージを読み取るのも本作の正しい見方なのかもしれません。しかし・・・下世話と言われようとも、ジョーダン姉妹とその家族、そして変態さん達のその後の行く末に、俗っぽい興味が湧いてしまうのも正直なところです。

前作の「ハピネス」にも「不幸な偶然」や「毒々しい皮肉」に満ちあふれていましたが、ところどころには希望の光を残していたような印象がありました。季節に例えるならば、”春”とか”初夏”のような清々しい印象さえ残ったのでした。しかし「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」は、”晩秋”または”冬”のような先の見えない暗い余韻を感じさせます。それは”絶望”というほどではないにしても・・・救いようのなさを実感したときの”落胆”するような情けない気分に似ているのです。

10年以上の歳月と、演じる俳優の違う続編という変則的な製作状況によって、単作での評価のされがちな「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」ですが・・・前作の「ハピネス」そして「ウェルカム・トゥ・ザ・ドールハウス」の関連性を理解した上で観ることで、初めての物語としての真価が発揮されるべきなのです。



「ライフ・ドュアリング・ウォータイム」

原題/Life During Wartime
2009年/アメリカ
監督&脚本 : トッド・ソロンズ
出演    : アリソン・ジャネイ、シラン・ヒンズ、クリス・マークエット、ディラン・リレイ・スナイダー、アリー・シーディー、シャーリー・ハンダーソン、ポール・ルービン、レネー・タイラー、シャーロット・ランプリング、マイケル・ラーナー、リッチ・ペシ

日本公開未定



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