2011/12/21

”トランスジェンダー”は、人権運動の「最後の砦」なのか?・・・「ありのまま」「自分らしさ」の追求の果ての葛藤~「Coming Out Story/カミング・アウト・ストーリー」~


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Coming Out Story/カミングアウトストーリー」というドキュメンタリー映画の試写会に行ってきました。セクシャルマイノリティーとして、ひと括りにされることの多いLGBT」=「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」でありますが・・・ボクは常々「ゲイ」にとって「トランスジェンダー」というのは近いようで遠い存在のように感じてきました。それ故に「トランスジェンダー」について深く考えたことはなく・・・と言って、差別するほど存在を意識することもありませんでした。ただ「心の性別」が「肉体の性別」とは違うという絶対的な「確信」が、どうして持てるのだろう・・・という疑問は感じていました。本人にしか分からない「心」の理解の難しさが・・・「トランスジェンダー」が、人権運動の「最期の砦」であると言われる由縁なのかもしれません。

まずは、この映画でもメインのキャラクターとして出演している土肥いつきさんのように「男性」として生まれながら心の性別が「女性」の「トランスジェンダー」についてケースを考てみます。女性の服を着たい男性というのは「トランスジェンダー」だけではないということが「トランスジェンダー」という存在自体の誤解を生んでいるのではないでしょうか?

「女装」趣味をもつストレートの男性。社会的には「男性」として生きているけれど、女性の服を着て、女性のように振る舞いたい人たち・・・化粧が濃いめで女性としての美の完成度は低いことが多いような印象があります。これは、リアルには存在しない、男性目線からの古臭い女性像を自分で再現しているからかもしれません。若い世代の「男の娘(おとこのこ)」も、リアルには存在しないアニメ的なキャラという女性像を追求していますが・・・女の子と見違う完成度の高さは、完璧な「コスプレ」を目指した結果という印象です。それは、まるでプラモデルの塗装を几帳面に塗る「男の子的なマニアックさ」さえ感じさせます。「女装」にしろ「コスプレ」にしろ、性的に女性を求めながらも、自分自身が理想の女性像になることが目的であれば、単なる「趣味」「嗜好」ということになるのでしょう。「変態」と呼ばれたとしても。

「ゲイ」(または、バイセクシャル)が女性の格好をする「女装」にも、いくつかのパターンがあるように思います。エンターテイメントで「女装」をしている「ゲイ」にとっては、あくまでも「女装」はお祭り。デフォルメした虚構の女性像を「遊び」の一環として演じているだけです。基本的には「男性」として同性を求めているのだから、ドレスと化粧を取ったら、ただの普通の「ゲイ」で「バリタチ」なんてこともあったりします。好きなタイプが「ストレート男性」という場合には、セックス相手を得るための「女装」ということになります。「ストレートの男性」を騙して(?)落とすことが目的なので、外見的にはリアルに近い女性を目指します。近年「オネェ系」としてキワモノを期待される「ニューハーフ」は「ビジネス」としての「女装」でもありますが・・・「ストレート男性を好むゲイ」である場合もあれば、「トランスジェンダー」である場合もあります。「トランスジェンダー」という存在が認識されるまでは「ニューハーフ」が「トランスジェンダー」とすて生きる方法(生活手段)のひとつだったのかもしれません。

さて「Coming Out Story/カミングアウトストーリー」は、土肥いつきさんという公立高校の教師が、性適合手術を受ける前後の日常生活を淡々と追っていきます。学校では放送部の顧問を務め、人権問題担当でもあり「ありがままの自分として生きる」という講演で体験談を語る活動もされています。

若い頃には髭を生やして「男性」として生きていた人が、徐々に「女性」として変化していったという過程はありますが・・・現在の土肥いつきさんは「女性」として、正直ビミョーな印象でした。髪型が女性的にはなったものの、服装は男性とも女性ともつかないカジュアルなスタイル。化粧っけも殆どなく・・・正直、パッと見て「女性」として判断するのは難しく感じました。「女装」が、過剰に女性的であるのに比べて、土肥いつきさんは、あまりにも「ありのまま」の自然体過ぎるのです。勿論「女性」のすべてが、女性っぽいフリフリした服を好むわけではないとは思いますが・・・あえて「男性」から「女性」になろうとしているのに、女性らしさを追求しないのが不思議に思えました。女性から男性になった場合、ホルモン注射などによって毛深くなったり髭が生えてくるので「男性」として「パスする」可能性が高いような気がしますが・・・男性から女性になった場合、どれほど気を使って外見的にを女性っぽくしても不自然さが感じられるものです。だからこそ、服装や化粧などには、本物の「女性」以上に気を使うはずだと、ボクは思い込んでいたのでした。

ありのままの自然体を嗜好するというのは、ある意味・・・「レズビアン」や「女性人権運動家」から感じる「ナチュラルな女性賛美」に繋がる感覚のような印象を受けました。「歩くカミングアウト」を自称する土肥いつきさんは・・・あえて「男性」でもなく「女性」でもないという「曖昧な性別」を持つことによって、よりリアルに「トランスジェンダー」の存在感を増しているようにも感じられるのです。「性適合手術」をする土肥いつきさんの「決断」の絶対的な理由を、ボクは理解することはできませんでした。本作の中で、女友達に「これで堂々と女子トイレに入れる」と発言しているのですが・・・個室しかない女子トイレで違和感がないのは、見た目が女性っぽいかということ。下半身がどうなっているかなんて、脱がなければ分まりません。男性器が「ついているか」「ついてないか」は、本人の自意識でしかない場合もあるのではないしょうか?

整形外科医が手術前に、外科的には陰茎を切断して、膣のような空間を作るだけのことで「性転換手術」なんてモノはないと説明します。脳内にある自分自身の外見的なイメージを外科手術で一致させるのだから、整形手術や豊胸手術と似ているのかもしれません。「トランスジェンダー」にとって、男性器そのものが「男性」であることの象徴になってしまっているわけで・・・それを取り除かない限り「本当の自分ではない」と思ってしまうのかもしれません。ただ、それは本人次第ということろが厄介で・・・他人には「心の性別」の確信を理解することは不可能なのです。

園子温監督の「恋の罪」という映画で引用された「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」で始まる詩をボクは思い出しました。人は「言葉」の意味によって、自分の心を知るのです。”土肥いつき”さんも「トランスジェンダー」という言葉を知って、自分が本当は何かを理解したと告白します。「自分らしさ」や「ありのまま」という自己追求を、あまりにも過剰に、そして、あまりにも真面目過ぎにした結果・・・「トランスジェンダー」という「言葉」と一致してしまったような気さえするのです。言葉のないところに自己認識というのは生まれない・・・言葉というのは「性別」さえ変えてしまうパワーを持っているということです。

撮影スタッフのひとりが”土肥いつき”さんと出会ったことで「トランスジェンダー」であることに目覚めるという思わぬアクシデントにより、本作は単なるひとりのトランスジェンダーを追ったドキュメンタリーよりも興味深くなったことは確かです。ただ、ボクが驚いたのは若い世代の彼が「女装」のために用意したドレスが、今の若い女性が選ぶとは思えないダサいセンスだったということです。ただ、見せかけの「女性」らしさを目指さないことが、より「トランスジェンダー」らしいのかもしれないと思ってしまうのでした。

本作を観る限り土肥いつきさんが「トランスジェンダー」であることを理由に、職場で差別的な扱いを受けている印象は受けません。サポートと理解のある友人にも恵まれています。それは、長年の努力の結果かもしれませんが、”土肥いつき”さんを取り巻く人々にとって・・・「男性」であるか「女性」であるか「トランスジェンダー」であるかという「性別」は、それほど重要でもないのかもしれません。他者の存在は、常に「性的」である必要はないのですから。

男と女の「性差」を過剰に意識している「トランスジェンダー」という存在であるからこそ「男である」ことや「女であること」に、大きな意味が生まれているように思えてしまうのです。


Coming Out Story~カミング・アウト・ストーリー」
2010年/日本
監督 : 梅沢圭

2011年10月9日「第20回ゲイ&レズビアン映画祭」にてプレミア
2012年1月4日より「下北沢トリウッド」にて公開


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2011/12/15

父親が75歳にして”ゲイ”をカミングアウト・・・いくつになっても人生はやり直しができる!~「人生はビギナーズ/Beginners」~


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「人生はビギナーズ」は、妻の死後に”ゲイ”をカミングアウトした父親を回想しながら、恋愛関係に臆病な息子が成長する物語。数年ほど前・・・「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐を演じていたクリストファー・プラマーが「ゲイをカミングアウト!」という噂を聞いたことがったので、クリストファー・プラマーがカミングアウトする父親役を演じると聞いて「デジャブか?」と思ってしまいました。おそらく・・・この映画の製作のニュースが、プライベートと混同されたようです。1950年代、ゲイは病気と判断されていて正直に生きることは困難なこと・・・隠れてコソコソと公衆トイレでセックスするしかない犯罪行為でもあったのでした。結婚することでゲイが治るのではないかと、藁をもつかむ思いで結婚するなんてことはよくあったのです。

主人公(語り手)の息子オリヴァー(ユアン・マクレガー)は38歳で独身のグラフィックデザイナー・・・恋愛に臆病で、一番の話し相手(話しかければ字幕で答えるオスカーの心の声)は、常に彼に寄り添っている愛犬のアーサー(コスモ)だったりします。
44年間連れ添った妻との死後、75歳になった父親ハル「私はゲイだ」とカミングアウトして、年下の恋人アンディ(ゴラン・ヴィシュニック)と出会い、”愛”に生きています。ゲイコミュニティーの政治活動や映画鑑賞会に参加して「遅い春」を謳歌していくのです。本作では、父親のカミングアウトだけがテーマではないので、息子オリバーがカミングアウトに対して苦悩する様子というのは描かれません。ただ・・・エキセントリックな母親とクールな父親の冷ややかな関係を見て育ったトラウマが、オリヴァーを恋愛関係に対して臆病にさせてしまっているのです。

カミングアウトしてから4年後、ハルは末期ガンの闘病生活を送っています。すでに医者から治療方法は残されていないと、自宅療養を言い渡されたいるハルですが・・・アンディを始め、ゲイの仲間達にも死期が近いことを伝えずに、最期までゲイとして楽しく仲間達と生きることを選びます。恋人のアンディとは愛し合っているものの、他の男ともデートをするというゲイカップルにありがちなオープンな関係・・・「自分は年寄りだから、ナンバーワンのボーイフレンドであるだけで満足」と納得しているところは、妙にリアルです。

父の死後の数ヶ月後、オリヴァーは仮装パティーでアナ(メラニー・ロラン)と出会います。彼女はフランス人の女優で仕事のためにロスアンジェルスのホテルに滞在しています。つかみどころのない彼女も、鬱気味の父親と関係に苦しんでいたり、うまく恋愛関係を築けないオリバーと似た者同士・・・お互いに惹かれ合いながらも、実際に一緒に暮らそうとすると、お互いに過去のトラウマに囚われてしまうのです。

うまくいっていた恋愛関係であっても「どうせ、またダメだ」と諦めてしまうことって、ストレート、ゲイに関わらず”ありがち”のこと・・・オリヴァーが内面の抱える恋愛に対する臆病さに、ボクは共感を覚えずにいられませんでした。父親のハルの残した荷物の中から、出会い系の投稿欄の原稿が見つかります。カミングアウト後、率直に”愛”と”性”を求め続け、新しいことを学ぼうとする生き生きとした父親の姿に、もう一度、二人の関係をやり直してみようというオリヴァーとアナの姿で映画は終わります。

本作は「オリバーの子供時代(1970年代半ば頃?)」「父の闘病生活(~2003年)」「父の死後から数ヶ月経ったアナとの日々(2003年~)」という主に3つの時間を(時にはワンカットごとに)移り変わりながら、オリヴァーのモノローグで語るスタイルなのですが・・・それは、まるで頭の中で思いを巡らしながら時間軸を自由に行き来するのと似ています。

父親が息子に”ゲイ”をカミングアウトするシチュエーションって、日本では”まず”アリエナイように思えてしまうけど・・・本作は、マイク・ミルズ監督自身(息子の立場)の経験を元にした自伝的な作品。グラフィックデザイナーとして知られるマイク・ミルズ監督の映像センスも本作の見所で、オリバーの描く奇妙なペン画は、監督自身が描いたもの・・・フラッシュで現れる過去のガールフレンドのイラスト、古い雑誌の写真やイラストの映像コラージュ、グラフィックに挿入されるイメージの数々は、知的でユーモアに富んだ独特な感触を本作に与えています。

「いくつになっても人生はやり直しができる」という”常套句”を「人生はビギナーズ」は改めて新鮮に伝えてくれるのです。

「人生はビギナーズ」
原題/Beginners
2011年/アメリカ
監督 : マイク・ミルズ
脚本 : マイク・ミルズ
出演 : ユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー、メラニー・ロラン、ゴラン・ヴィシュニック、コスモ(犬)

2012年2月4日より劇場公開


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2011/12/13

1960年代アメリカ南部版「家政婦のミタ」ではありません・・・差別にただ耐え続けた黒人女性の忍耐、世間体に縛られていた白人女性の皮肉~「ヘルプ~心がつなぐストーリー~/The Help」~


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ニューヨーク市内の公園で、乳母車にのせた白人の子供をあやしているのは、明らかに子供の母親ではない・・・黒人、アジア人、スパニッシュ系の女性。そんな風景にボクは、少なからず違和感を感じたものでした。

日本人の殆どの人にとってはメイド(家政婦/乳母)=Helpという存在は、テレビドラマや映画でしか馴染みがない存在かもしれません。ただ単に、家政婦目線でのドラマとか見過ぎなのかもしれませんが・・・他人が家の中にいるという緊張感や煩わしさに、ボクはどうしても馴染むことができないと思うのです。家政婦や庭師が実家にいつもいたという友人の話によると・・・使用人たち前で、だらしない行動は出来ないとのこと。また、専属(住み込み)で働いてくれる人を見つけるのが年々難しくなっているので、それほど仕事が出来なくても我慢しているというのが、雇い主側の”本音”だそうです。

ボクはリベラルな東海岸東部で生活していたので、アメリカの南部での黒人の存在がどういう扱われ方をしているのか自分の目では見たことはないのですが・・・同年代以上のアメリカ人で南部出身の白人の友人たちからは「差別」ほど意識的ではないにしろ「区別」をしていることを感じさせられることは”しばしば”ありました。

「ヘルプ~心がつなぐストーリー~/The Help」は1963年のミシシッピー州のジャクソンという街を舞台にしています。黒人の公民権運動が盛んで、暴動やKKK(クー・クラックス・クラン)による黒人のリンチなども起こっていた物騒な時代でした。奴隷解放が行なわれた南北戦争終結から100年あまり・・・しかし「ジム・クロウ法」によって、交通機関、水飲み場、公衆トイレ、レストランなどは白人と黒人(有色人種)を分離する政策は、翌年(1964年)の公民権法制定まで普通に行なわれており、ミシシッピー州は中でも特に黒人差別が根深かったところでもあったのです。

主人公のスキーター(エマ・トンプソン)は、ある白人一家の裕福な娘で、大学卒業後にジャクソンの実家に戻ってくるのですが、彼女を育ててくれた大好きだった黒人メイドのコンスタンティン(シシリー・タイソン)の姿が見当たりません。母はシカゴの家族と暮らすために自分から辞めたと説明するのですが、明らかに何かを隠しているようなのです。スキーターは当時の南部出身者としてはリベラルな考えの持ち主で、人種差別を肯定する風潮に疑問を感じています。そこで黒人メイドたちの視点に立って、白人家庭で働いてきた経験や思いをインタビューしてまとめて出版しようと考えるのです。

当時のミシシッピー州では、一般的な白人家庭でも黒人メイドを雇うのは珍しいことではなかったようで、主婦は殆ど家事もせず、育児さえも片手間というのが当たり前・・・主婦だけで集まってポーカーをしたり、教会のチャリティー(アフリカの子供達の飢餓を救うためというのが皮肉!)に精を出したり、社交に興じているような毎日を過ごしていたのです。そのため、黒人メイドは子供たちの”母親がわり”のような存在で、メイドも子供たちを我が子以上に大切に愛して世話をしいました。そして、メイドが育てた子供は、やがて成長し、雇い主となるのです。

スキーターが、まず取材対象に選んだのは友人宅で働くアイビリーン(ビオラ・デイビス)・・・当初は正直に白人相手に話をすることに躊躇していますが、次第にスキーターの熱意と教会で聞いた神の言葉に心動かされて、取材を受けることを承諾します。アイビリーンの立場からすると、白人女性を家に招くというのは命がけとも思える勇気ある行動ではあるのは勿論、当時の空気を考えると、スキーターの考え方というのもかなり進歩的で弾圧されても不思議でないのですが・・・本作では疎外感は、それほど感じません。それに、スキーター自身も人種差別を明らかにしている主婦グループと結構親しげというのは、ちょっと不自然な気もしてしまいます。


主婦グループのリーダー的な存在であるヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は「黒人は病気を持っているから家の中の同じトイレは使わせない」と主張するような人種差別主義者・・・暴風雨の時、家の中のトイレを使った黒人メイドのミリー(オクタビア・スペンサー)を雨の振る中クビを言い渡して追い出してしまいます。その後、ミリーの悪口を言いふらして、他の白人家庭でも雇われないように根回しするという根性の悪さ・・・ミリーの、まさに(!)”糞喰らえ”的な物凄い復讐が、物語のポイントとなっていきます。ミリーを演じるオクタビア・スペンサーの独特なルックスとアクの強いキャラクターと、人種差別主義者を憎々しく演じるブライス・ダラス・ハワードが、なかなか見物でありました。

政治的な背景というのはテレビのニュースで流れている程度に抑えていたり、実は頻繁に行なわれていたはずである雇い主の白人男性から(そして夫である黒人男性からも)黒人女性に対するセクハラや暴力は画面には見せないなど、社会的に黒人問題を扱っている映画ではありません。そう意味では、少々甘いと感じるところもありますが・・・あくまでもスキーターの周辺だけに絞ることで、白人女性同士の力関係や世間体に振り回されていたという皮肉が浮き彫りにされていきます。そして、実は、白人女性たちも男性社会に弾圧されていたことも感じさせるのです。スキーターの取材は、アイビリーンだけでなくミリーや、他多数の黒人メイドたちの協力を得て、出版まで漕ぎ着くことができます。スキーターは結果的にニューヨークでジャーナリストとしての職を得ることにはなるのですが・・・自ら声を上げたアイビリーンやミリーは仲間から賞賛されますが・・・酷い仕打ちが待ち受けているといるという苦々しい結末となっています。(希望が感じられないわけではありませんが)

「ヘルプ~心がつなぐストーリー」の原作は、黒人メイドによって育てられたというキャスリン・ストケットという女性によって描かれた物語で、彼女自身の現実とスキーターの取材をしていく様子が重なるところがあります。アメリカでは2年以上ベストセラーとなっている作品ですが、出版される前に原作者の幼馴染みで俳優のテイト・テイラーが映画化の権利を獲得していました。そしてプロデューサーのひとりのブランソン・グリーンも彼らの幼馴染み、さらに出演者のオクタビア・スペンサーやアリソン・ジャネイも監督の親しい友人という、プライベートと繋がった人々によって大切に作られた映画であることが伝わってきます。監督自身も黒人メイドによって育てられていて、本作を彼女に捧げています。無骨な肉体派という風貌の上に、リベラルな人間の良さがにじみ出ているテイト・テイラー・・・素敵です。

作品とは関係ないことですが・・・日本での公開が今年9月頃に決定していたのを、アカデミー賞の候補になることを見越して、あえて来年3月に先伸ばしたということです。助演女優賞では、一人か二人はノミネートされるのは、ほぼ間違いないと思われます。作品賞、脚本賞、監督賞なども候補にあがるかもしれません。いち早く公開することがベストだとは思いませんが、集客目当てに”おあずけ”というのは、何とも釈然としません。


「ヘルプ~心がつなぐストーリー」
原題/The Help
2011年/アメリカ
監督 : テイト・テイラー
脚本 : テイト・テイラー
原作 : キャスリン・ストケット
出演 : エマ・ストーン、ビオラ・デイビス、ブライス・ダラス・ハワード、アリソン・ジャネイ、オクタビア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン、シシー・スペイセック、メアリー・スティーンバーゲン、シシリー・タイソン

2012年3月31日日本劇場公開


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2011/12/10

”ROCKY愛”に溢れる究極のシャドウキャスト公演!?・・・おじさんも、おばさんも、弾けまくって、踊りまくり!!!~「ロッキー・ホラー・ショー」~


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以前「めのおかしブログ」でも取り上げたカルト映画「ロッキー・ホラー・ショー」は、元々はロンドンで1973年に初演された舞台・・・ロックミュージカルや、デヴィット・ボウイのジギースターダストに代表されるグラムロックの全盛期で、日本でも翌年(1974年)にロンドンキャストによる公演が行われています。

ボクが「ロッキーホラーショー」のことを知ったのは1976年のロンドンキャスト日本再演時に、大和和紀の「はいからさんが通る」の中に描れていたフランクフルターのイラストでした。映画の「ロッキーホラーショー」も1976年に日本で劇場公開されているのですが、さすがに、当時まだ中学生だったボクは舞台も映画も観ていません。実際に映画を観たのは、名画座の「ファントム・オブ・パラダイス」との2本立て。1980年前後には、日本のロッキーファンが集っていた上映会にも足を運んだりしていました。勿論、日本ではシャドウキャスト(登場人物になりきってスクリーンの前で演じる)は行われていませんでしたが・・・1980年に公開された映画「フェーム」の中にその模様が登場して、その様子が知られるようになったのでした。

1981年9月にニューヨークに留学したボクはエイト・ストリート・プレイハウスで金曜日の真夜中に上映されていた「ロッキー・ホラー・ショー」に時々通うようになりました。当時はアメリカ国内でも毎週上映を素しているのはニューヨークなどの大都市だけでしたので、メイン州に引っ越してからは、すっかり縁がなくなってしまいました。アメリカでビデオ化される1990年まで、「ロッキー・ホラー・ショー」を観るためにはミッドナイト上映に行くしかなかったのです。ただ、ビデオ化によって「ロッキー・ホラー・ショー」の人気はアメリカ全土に広がり、若い世代のファンを広げ続けていくことになるのです。

日本では1986年に日本人キャストによる舞台がシアターアプルで公演されています。竹邑類演出、藤木孝(フランクフルター)、夏木マリ(ジャネット)、桑名正博(ブラッド)らの出演で、井上堯之バンド(ザ・スパイダース、ザ・タイガースなどの元メンバーで結成されたロックバンド)という豪華なメンバー。ただ、資料から想像すると・・・映画版よりも、オリジナルの舞台版に近い世界観ではなかったかと思われます。

1995年に初演されたローリー寺西(現:ROLLY)がフランクフルター役を演じた舞台版は、”ローリー”の存在自体がフランクフルター的であり、如何にもビジュアルもピッタリ・・・その他のキャスト(例えば、エディとスコット博士の2役を演じた安岡力也など)も日本人キャストで考えられる適役が演じていた決定版であったようで、1999年までに4回も公演されています。残念なことに、ボクは日本在住していなかったため観る機会はありませんでした。2000年からはブロードウェイで舞台版「ロッキー・ホラー・ショー」は約2年ほど上映されていたのですが・・・これもスルー。ボクは今まで一度も舞台版「ロッキー・ホラー・ショー」を観ることはなかったです。

今回の日本舞台版「ロッキー・ホラー・ショー」は・・・「ロッキー」のような舞台をやりたいと劇団☆新感線を創設したという「いのうえひでのり」の演出、いつか「フランクフルター博士」役をしたいという思いで芸名を「フルタ」にしたという「古田新太」の主演、ROLLYによる訳詞、ロッキーマニアを自負する高橋ヨシキの翻訳と、映画版「ロッキー・ホラー・ショー」のマニアを集結させています。それだけに、映画版でしか馴染みのないボクのようなロッキーファンにとって、否が応でも期待が高まってしまうのでした。さらに事前のプロモーションでも、古田新太が映画版でフランクフルター博士を演じたティム・カリーの「完コピ」を目指すと意気込んでいたのですから。

まず、開演前からの粋な演出がありました。会場の客席でポップコーンの売り子をしていた女性の一人が、実はマジェンタ役の女優さん・・・開演のベルが鳴るとマイクを仕込んだコーラボトルを取り出し「サイエンス・フィクション」を歌い始めるのです。映画版でも、このオープニングの曲を歌うのはマジェンタ役のパトリシア・クインだったので、これは当然と言えば当然の演出なのかもしれません。舞台のスクリーンに、結婚式の教会、道に迷う森、フランケンシュタインの屋敷などの背景などを投射することで、まるで映画の流れのような舞台転換を可能としています。メインとなる舞台には、中央奥にエレベーターが設置されていて、下のスペースには生演奏のバンドが控えているという無駄のない設計。舞台の右そでからはナレーターの書斎、左そでからは大きなモニターが必要に応じて出てきて、映画に近いペースでの展開ができるようになっていました。

さて・・・「体型的にフランクフルター役ってどうなの?」と危惧していた古田新太ですが、ひと言で言えば「すごく頑張っている!」でしょう。確かに見た目は「大阪の派手なおばちゃんがコルセットにパンティ姿」という感じの貫禄っぷりで、正直言って・・・キツイ。でも、シャドウキャスト的な意味で「ROCKY愛」を感じさせる恍惚感を感じられました。それに、いい歳したおじさんが思いっきりコルセット姿で踊りまくっているのって・・・それだけで楽しい!観ているだけでボクは笑顔になってしまうのです。

フランクフルター役の「女優感」を強調しているのは、ホモ好きサブカルおじさんなりの「ゲイキャラの解釈」だとは思うのですが・・・これってストレートの大きな誤解のひとつ。アメリカのゲイやドラッグクィーンの「女優好き」に掛けているいるようなのですが、フランクフルターのキャラというのは、あくまでもストレート・コミュニティーの中でのドラッグクィーンのステレオタイプでしかなく・・・ゲイ・コミュニティーにはまったく受け入れられていない存在ではあるのです。

「なりきり」という点では、リフラフ役の岡本健一が完璧!映画版のリフラフ(リチャード・オブライエン)のルックスに可能な限り近づけているだけでなく、声質まで似させています。マジェンタ役のグリフィス・ちかのダミ声、コロンビア役のニーコにキンキン声も、映画版のキャラをさらに強調させている感じでした。ロッキー役の幸源は、細身の筋肉質すぎでマッチョに見えないのが残念でしたが・・・一番ミュージカル俳優らしい、のびのある声が良かったです。ROLLY演じるエディは、映画版のミートローフとは真逆の体型ではあるけど、ROLLYらしさで演じきっている感じで、これはこれで「あり」と思えました。

舞台だけど・・・映画版に忠実で、ファン目線で演出しているのは嬉しい限り。ただ「ロッキー・ホラー・ショー」という映画を一度も見たことない観客にとって「今回の舞台はどうなんだろう?」という疑問が浮かびました。ストーリーは支離滅裂、キャラクターも破天荒で予測不可能・・・物語を追うにしても、説明的な台詞は少なく、次から次と歌が続くので、物語としては何が何だか分からなくて当たり前。生演奏のロックコンサートを観に来た気分で、ミュージカルナンバーをそれぞれ楽しむのが一番かもしれません。

今回の公演で、ボクが問題を感じたのはROLLYの訳詞。ボクはROLLY自身の楽曲は知りませんが・・・英語と日本語をブレンドした不可解でおちゃらけた言葉の羅列にしかなっていません。ロッキーファンであれば、英語の詩のままで十分理解できますし・・・(映画何百回観ているんだから!)、元々英語で書かれている歌なので歌詞の韻を他の言語で踏むのは無理なのですが、英語のままではロッキーファン以外の観客には、あまりにも不親切過ぎます。観客が歌詞の内容を理解するために日本語に訳さなければならないのは仕方ないことですが・・・ROLLYの訳詞は役目さえも果たしていない「悪訳」な印象でした。

カーテンコールの後は「タイムワープ」を再び・・・観客総立ちになって「一緒に踊りましょう!」という流れになります。それまで、静かに舞台を観ていた禿頭のおじさんや太ったおばさんまでもが、腰をふりふり踊っている姿を観ているだけで、幸せな時間でありました。歌詞の中でフリを説明をしてはいますが・・・さすがにロッキーファンでないとテンポに合わせて踊るのはちょっと無理。あくまでも踊れる人だけ参加してくださいね・・・というスタンスではありますが、やっぱり踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損!観劇予定があるならば、DVDで「タイムワープ」の踊りだけでも予習しておくのがお薦めであります。

「ロッキー・ホラー・ショー」
Richard O'Brien's Rocky Horror Show

2011年12月9日~12月25日:KAAT神奈川芸術劇場ホール
2011年12月31日~2012年1月4日:FUKUOKAキャナルシティ劇場
2012年1月13日~1月22日:OSAKAイオン化粧品シアターBRAVA
2012年1月27日~2月12日:サンシャイン劇場

脚本・作詞・作曲: リチャード・オブライエン
演出      : いのうえひでのり
翻訳      : 高橋ヨシキ
訳詞      : ROLLY
出演      : 古田新太、岡本健一、笹本玲奈、中村倫也、右近健一、辛源、ROLLY、藤木孝、ニーコ、グリフィス・ちか

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2011/12/06

”ファッション”が”アート”となったファッションの幸福な時代・・・”アート”としての”ファッション”さえ否定するパラドックスの時代~「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」~


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ファッションというのは、いつの時代も正直に世相を表しているけれど・・・時代によって、ファッションのあり方やデザイナーの役割というのは、変わっていくように思えます。


1960年代までは、ファッションというのはパリで発表されるオートクチュールコレクションを頂点としたピラミッドで、上から下へ流行が伝わっていくのが常でした。1970年代に入り、オートクチュールからプレタ.ポルテ(既製服)が主流となっても、デザイナーが年2回のパリコレで発信する流行を、消費者が受け入れるという「デザイナー至上主義」的な仕組みは変わりませんでした。


日本では第二次世界大戦後、服というのは、型紙から自分で縫ったり、洋裁店で仕立てるのが当たり前でした。ファッション(洋裁)を学ぶということは「ファッションデザイナー」になるというのではなく、あくまでも洋服を普及させる担い手になるということだったのです。1970年以降の既製服時代の到来によって、日本にもマンションメーカー/ファッションデザイナーが誕生し、多くの若者がアパレル業界で起業しました。2000年頃に「IT業界の起業」が盛んだったのと、ちょっと似ているのかもしれません。


1980年頃から世界的に豊かな社会になってきます。「消費者の経済力」という支えによってファッション業界が急激に拡大していくとの同時に、企業のスポンサーシップによりデザイナーはクリエーションの自由も与えられるようになるのです。日本では、DC(デザイナー/キャラクター)ブランドブームで数多くの日本人デザイナーブランドが立ち上がりました。当時はまだパリコレでショーをすることが世界で認められるステップと考えられていて、三宅一生(1973年より参加)に続き、コム・デ.ギャルソンやヨージ・ヤマモト(1981年より参加)も加わり、最盛期は20人近い日本人デザイナーがパリコレに参加していたと記憶しています。


三宅一生は「東洋と西洋の融合」や「一枚の布」などのコンセプトを掲げて、”日本の伝統”、”自然からのインスピレーション”をモダンに発信するという・・・ファッションデザインの域を超えた活躍を1970年代からしていました。1980年代のバブル時期には、日本人デザイナーとしては「別格」の存在で、特に「文化人」からの支持が高く、デザインをアートな領域まで広げていった先駆者でもありました。現在では、ファッションデザイナーの作品集は当たり前のように出版されていますが・・・1978年に三宅一生は「ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開」(平凡社)を出版します。1983年には「BODYWORKS展」を開催。文化的な時代考証ではなく、”ファッションデザイン”をアーティストの「作品」のようにプレゼンテーションしたのです。


1986年から「ISSEY MIYAKE」のコレクションは、”アーヴィング・ペン”(ポスターのグラフィックは田中一光)によって撮影されるようになります。アート作品のような三宅一生の服を、さらにアーティスティックな視点でとらえた奇跡のコラボレーションで、その後、三宅一生はプリーツの開発を始めるなど、お互いのクリエーションに刺激的であったことを伺わせます。そんな、ふたりのコラボレーションを振り返ったのは、東京ミッドタウンの21_21で開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」です。


イラストレーションをでアーヴィング・ペンと三宅一生のコラボの過程を追ったドキュメンタリアニメ(約5分ぐらい?)と、地下の最も大きな展示室の片面すべての壁をスクリーンにして写真を映写する(約10分ぐらい?)の上映。アーヴィング・ペンの撮影時に描かれた構図のアイディアスケッチと実物ポスターが多数展示されていますが、撮影に使われた三宅一生の服はひとつも飾られておらず・・・有料の展覧会としては、かなり薄い内容ではありました。どういうわけか、本展覧会は今年の9月から来年4月まで長期に渡って開催されているのですが・・・他に企画が立てられなかったのでしょうか?


展覧会の展示内容には疑問はあったものの・・・”ファッション”が”アート”として昇華できた貴重な「作品」を再び目にすることができたのは貴重な体験でした。そして・・・「消費者の経済力」と「デザイナー至上主義」が共存していた1982~3年からの約10年というのは「ファッションデザインの歴史でも最も幸福な時代」であったことを再確認したのでした。



東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」は、”現在”、東京で活動する10組のファッションデザイナー/ブランド(アンリアレイジ、h. NAOTO、ケイスケカンダ、まとふ、ミナ ベルホネン、ミントデザインズ、サククワッチファブリックス、ソマルタ、シアタープロダクツ、リトゥンアフターワーズ)の発表された商品(作品?)を、改めて本展覧会用にインスタレーション展示をしています。


1980年代が”デザイナーブランド”の時代だとすると、1990年代は”セカンドライン(ディフージョンライン)”の時代でありました。1980年代に構築されたブランドビジネスを、さらに中間層までにも広げていくという戦略で、当時の感覚では”買いやすい価格帯と、デザイナーの個性よりも売り上げを稼ぐための「ビジネス」でした。ただ、”セカンドライン”というのは、あくまでもデザイナーあってこそ存在意味があるわけで・・・当時の消費者は、まだ「デザイナー」神話を捨てきれていなかったのかもしれません。


2000年以降に拡大した”ファストファッション”は、流行を取り入れつつも低価格と徹底したマーケティングと早い生産体制で、ファッションビジネスのあり方自体を変えてしまいました。ニッチな市場でも、流通や生産の効率化することで、より低価格が実現できるようになり、何はともあれ「価格で勝負」になったのです。生産工場/サプライヤー側のノウハウがあれば、デザイナー不在でもショップ店員や読者モデルの意見を取り入れた「布地の選択」や「ディテールの編集」という作業”だけで、それなりの服に仕上がってしまう・・・それは、ファッションビジネスという観点からすると、妥当な「進化」なのかもしれません。しかし、続く不況によって、売り上げ至上主義でビジネスのみ重要視されるようになってしまい・・・デザイナーの存在意味というのは薄れてさせてしまいました。


そんな「ファッションデザイナー受難の時代」に、インディペンドで活動を続ける10組のデザイナー/ブランドにはエールを送りたいです。ボク自身、ファッションから距離をおくよようになったこともあって、展覧会に出展していたデザイナーたちについて深く知っているわけではありませんが・・・これらデザイナーたちのファションが「東京ファッションの現在形」と言われると・・・「?」と大きなクレスチョンマークが頭に浮かんでしまうことは避けられませんでした。


あえて、今、インディペンデントなデザイン活動をするのは・・・ファッションの”こだわり”を追求する「ファッションおたく」、ファッションを通じて社会的なメッセージを訴える「ファッション運動家」、アニメなど独自の世界を再現する「ファッションフェチ」などの、独自の美意識の高い人たちだけ・・・「ファッションをモチーフにしたアート」として存在価値を見出していると思いきや、何故か、多くの出展者は”アート”という「作品」ではなくて、実際に販売する/着ることの出来る”プロダクト”という「商品」として生産しているということを強く訴えていました。その”無意味なデザイナー意識”が、逆にファッションデザインとしても中途半端さを感じさせてしまうのです。


「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialouge」

21_21 DESIGN SIGHT

2012年4月8日まで


「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」

東京オペラシティ アートギャラリー

2011年12月25日まで




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