2014/05/02

「キム・ギヨン DVD BOX 」韓国映像資料院から発売された日本語字幕付きを遂に入手!・・・”因縁””怨恨”に満ちた復讐劇のキム・ギヨン監督版「楢山節考」~「高麗葬/고려장」~



以前「めのおかしブログ」で取り上げたことのある韓国映画界の鬼才、キム・ギヨン監督・・・代表作である「下女」のリメイク版「ハウスメイド」を観た際(2011年)に、オリジナル版にも興味が湧いて、DVDで「下女」を観たボクは、すっかりこの監督の虜になってしまいました。しかし、キム・ギヨン監督の他の作品の殆どはDVD化されておらず、2008年7月に韓国映像資料院から発売されたDVDボックスは、すでに入手困難・・・オークションで中古品が出品されることも殆どなく、販売元の韓国映像資料院のサイトからも購入出来ず、再版される可能性もないようだったのです。

再評価が高まっている(?)にも関わらず、日本ではDVDの発売されている作品はひとつもなく、たま~にどこかで開催されている上映会ぐらいでしかキム・ギヨン監督作品を観る機会がありません。テレビドラマだけでなく、韓流ブーム以前の韓国映画もDVD化して欲しいものです。韓国映像資料院から発売されていた日本語字幕付きの「下女」のDVDも最近は入手が難しくなっていますし、元々の販売数も少ないと思われるDVDボックスを手に入れることは到底無理・・・と諦めていました。ところが一ヶ月ほど前、韓国のDVD通販サイトで「在庫あり」の表示を発見・・・お値段は定価の倍以上、届いてみたら中古品というボッタクリではありましたが、遂に「キム・ギヨン DVD BOX 」を入手することができたのであります!

「キム・ギヨン DVD BOX 」に収録されているのは「高麗葬」「蟲女」「肉体の約束」「異魚島」の4作品ですが、フィルムの傷が目立っていたり、映像が紛失していて音声のみという箇所があったり、カラーの変色が酷かったり、フランス語字幕が入っていたりと「商品としての質」は決して良くありません。おそらく現存するベストのコンディションのフィルムから、可能な限りのリストアされているのだとは思われますが・・・。映画本編以外に、各作品に韓国の映画人や評論家の音声コメンタリーや、特典映像として、2007年の東京国際映画祭で上映されたドキュメンタリー「キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄」(日本語字幕つき)、1997年制作の「キム・ギヨン、キム・ギヨンを語る」(英語字幕つき)、1997年の第2回釜山国際映画祭に参加したキム・ギヨン監督を追ったドキュメンタリー(英語字幕つき)を収録しており、さらに付録のブックレットには、作品の解説、フィルモグラフィー、紛失部分のシナリオが掲載しているという、資料的には大変充実した内容にはなってるのです。


「高麗葬」は、1963年制作の白黒映画で、日本の東北地方にも存在した「姨捨て」をモチーフにした作品・・・ただ近年、韓国では”高麗葬”は日本人の捏造で、韓国には「姥捨」のような非人道的な風習があったことは否定されているそうです。しかし、この作品が制作された1963年頃には、儒教が広がる以前の高麗時代まで”高麗葬”があったと考えられていたことには間違いないようであります。歴史的事実を書き換えようとする”歴史認識”は、ある意味、韓国らしいとも言えるのかもしれません。

本編は、高麗時代(10世紀~14世紀)には70歳の老人を姥捨山に捨てて人口調整をしていた・・・と語る公開討論会の場面から始まります。観客と本編の内容をつなぐための”前説”のようなもので、キム・ギヨン監督作品には時々使われる手法。討論会の場面が終わりタイトルになるのですが・・・画面いっぱいに表示された漢字が消えていくとクレジットになるという「サイコ」などのタイトルデザインを担当した”ソウル・バス”を思い起こさせるモダンなセンスで、ドロドロな内容との”ちぐはぐ”です。


「姨捨て」という同じモチーフにした「楢山節考」と「高麗葬」は、後妻を向かい入れるという導入部や、母親を山に捨てにいくクライマックスなど、どことなく似た物語です。「高麗葬」が制作される5年前の1958年に、木下恵介監督、田中絹代主演で映画化されているのですが・・・「楢山節考」は、母を山に捨てなければならない息子の葛藤と、新しい命のために潔く死を受け入れる母の姿を、少ない台詞で情感たっぷりに瑠璃や長唄にのせて物語を語るという芸術性が高い”上品”な作りとなっています。「耐える」という日本人好みの崇高な精神性が、舞台劇のような映像空間で寓話的な普遍性を生み出している傑作です。キム・ギヨン監督が、木下惠介監督の「楢山節考」を観たのかは分かりませんが・・・韓国版「楢山節考」ともいえる「高麗葬」は、ボク好みのエグい人間描写のキム・ギヨン監督らしい作品となっています。

ここからネタバレを含みます。


高麗時代の人里離れた山奥の村の、ジンソクという10人の息子(ギャグ漫画みたい?!)をもつ男の家に、飢えで夫と息子のグリョン以外の5人の子供を失ったクムが嫁いできます。70歳になると食いぶちを減らすために山に捨てられるという習慣がある村は、雨が降らないとすぐに凶作になってしまうほど砂地の畑しかありません。村の占い師ムーダンは10人の兄弟全員は、いつか連れ子のグリョンに殺されると不吉な予言するのですが・・・クムが嫁入りしたことで安心したシンソクの母は、山に捨てられることを決意するのです。

クリョンにだけは”ひもじい”思いをさせないという条件で嫁いできたクムは、こっそり芋を分け与えたりするもだから、兄弟たちはますますグリョンを憎悪するようになっていきます。食いものの恨みほど恐ろしいもんはありません。兄弟たちの仕掛けた蛇に足を噛まれて、グリョンは”びっこ”になってしまうのですから。兄弟たちからのグリョンへのイジメに耐えきれず、クムはジンソクに離婚を申し出て畑を手にすることになります。高麗時代というのは、女性の社会的地位が比較的高く、恋愛も盛んで自由に結婚離婚していたというのですから、再婚離婚を繰り返すこと珍しいことではなかったらしいです。


それから20年・・・グリョンと母親クムは、離婚で手に入れた畑を耕して細々と暮らしています。カンナニという美しい娘にグリョンは恋しているのですが・・・”びっこ”とは結婚できないと言って、別の男性の元に嫁いでしまいます。グリョンは健常者との結婚を諦め、聾唖の娘を娶ることになるのですが・・・(この辺りからしばらく映像が紛失していて音声のみ)嫁はグリョン暮らすことを拒否してハンガーストライキまでするのです。”聾唖”と虐げられる嫁が、グリョンを”びっこ”と虐げる・・・差別されている者だからこそ他者をより差別するという差別意識の本質を鋭く表現しています。


グリョン親子に畑を取られたことを、ずっと恨みに思っている10兄弟たちは、グリョンの嫁を強姦してしまいます。兄弟たちは拉致した嫁の身柄と引き換えに、土地の証書を取り戻そうと企んでいるのです。嫁は必死に身振り手振りで、兄弟たちに犯されたことをグリョンに伝えます。本来なら実家に戻されても当然の妻を、あえて手元に引き止めておくことをグリョンは選ぶのです。”聾唖”の女が”びっこ”の男に離婚されたら人生の終わりだという”配慮”であると同時に・・・”びっこ”と自分のことを嫁が虐げさせないためでもあるところが、グリョンの”計算”なのかもしれません。

兄弟たちへの報復もしない夫・・・行き場所のない”恨み”を兄弟たちへ募らせた嫁は、兄弟のひとりを人目のない場所に誘い出し、刺し殺してしまうのです。怒り狂った兄弟たちは嫁を引き渡さなければ、グリョンの家に火をつけると脅します。ここで嫁をかばうかと思ったら・・・グリョンは嫁に小刀を手渡して自害するするように迫るのです。どうしても自分を刺せない嫁に、グリョンは嫁を刺し殺す羽目になってしまいます。”聾唖”に生まれたことが不運だったんだと嫁を哀れむグリョンは、兄弟たちに死体を差し出して問題を収めるのです。男たちによって運命を翻弄され、最後には夫によって殺されてしまう嫁に同情できるかというと・・・決して、そういうわけではありません。こんな結末を招いたのは、彼女の自業自得でもあるところが、なんとも冷酷です。


それから、さらに15年・・・グリョンは相変わらず母と二人暮らしをしているのですが、この村周辺は3年間も雨が降らず大飢饉という悲惨な状況になっています。水の湧き出る井戸を独占している兄弟たちは、村の住民から芋と引き換えに、水を分け与えるという”非情”なことをしています。村の住民の中には芋の貯蔵が底がつき、水の飲めずに死んでいく者も出てきているのです。グリョンの井戸から僅かでも水が湧き出るようになると、村の水源を独占したい兄弟たちは、死体を井戸に落として水を腐らせてしまいます。しかし、グリョンは兄弟たちにイジメられているばかりの”弱者”ではありません。他の者よりも芋の蓄えがあることをいいことに、食べるものが尽きた村人の弱みににつけ込み、僅かな芋と引き換えに土地を手に入れようとしているのですから・・・グリョンもなかなか”アクドイ”奴なのです。

そんなグリョンのところに、カンナニが病気の夫、姑と姑、子供9人を連れて、芋を分けてくれと懇願しにやって来ます。過去に惚れていたとは言っても、自分のことを”びっこ”だからと振った女・・・いまさら助けてくれとは”ゲンキン”な話です。グリョンが「図々しい」と断ると「びっこが普通の女に手を出すのは図々しくないのか?」と言い返すのだから、どれほど堕ちても差別意識は変わらないということでしょうか・・・。カンナニの子供たちはグリョンの家に忍び込んで種芋まで盗もうとしたり、祖母や祖父の分の芋まで奪い取ろとするのですから、ひもじいとは言え”あさましさ”にもほどがあります。カンナニの夫は、自分の命は長くはなさそうと悟っているようで、子供たちを食わせてくれることと引き換えに、グリョンと再婚するようにカンナニには奨めているのです。


ひもじい思いをしている子供をもつ母としてカンナニに同情的なクムは、娘の1人を養女に欲しいと頼み、兄弟姉妹の中で”アバタ顔”とイジメられているヨニがやってきます。しかし、ヨニはグリョンの家から芋を盗んで、家族に運んでいたことがバレて、すぐにカンナニの元に返されてしまうのです。クムはグリョンが家庭を持ち子供さえができれば、自分は山に行こうと考えています。そこで、クムはカンナニに、ヨリを戻すように奨めるのです。カンナニに誘惑されたグリョンは、母親のクムを姨捨山に捨てさせようとしている策略だと悟り激怒します。母思いのグリョンは、母親を山へ捨てには行きたくないのです。

村の占い師ムーダンは、子供を生け贄にして”セテ様”を呼んでお願いしない限り、この、村には雨は降らないと言い始めます。そこで、グリョンの家から追い出されたヨニが、芋1袋と引き換えに自ら生け贄になると名乗りをあげます。芋がなくなったら家族は自分のこと忘れてしまうのではないか・・・と心配しながら。出戻りのヨナは、これ以上ひもじい思いをして、アバタ顔だと兄弟姉妹にイジメられるより、セテ様の生け贄として”死”を選ぶのです。


ヨニは生け贄となりセテ様が占い師ムーダンに乗り移って・・・孝行息子のグリョンが母親クムを背負って山に捨てに行けば、雨が降るだろうと告げるのです。しかし、それでも母を山に捨てることに躊躇しているグリョン・・・その夜、カンナニの誘惑に負けてグリョンは関係を結んでしまいます。翌朝、カンナニの子供たちに芋を食わせているグリョン・・・その影で、カンナニの夫は村を密かにひとり去っていくのです。昨晩のカンナ二の捨て身の誘惑は、夫の指示だったのかもしれません。村はずれの岩場までカンナニの夫がやって来たとき・・・兄弟たちが突然現れ、あっさり夫を殺してしまいます。

兄弟たちは「他人の妻との姦通罪」と「夫殺しの殺人罪」をグリョンになすりつけようという魂胆なのです。占い師ムーダン、グリョンとカンナニの二人を、首吊りの刑に処すべきだとに訴えます。そして、クムが離婚の時に手に入れた父親の土地を取り戻し、グリョンが溜め込んでいる芋を全部奪おうというのです。そこで、母親のクムが、自分が山に行って雨が降るように祈るので、グリョンを助けて欲しいと懇願します。ムーダンは息子の命がかかっているならば、母親のクムは命がけで山神様に祈るはずだと考え・・・雨が降ったならば、グリョンの罪は許されると告げるのです。


カンナニの息子ゴナが同伴し、母親を背負って山を登るグリョン・・・白骨死体に埋め尽くされた山頂では、母親クムと息子グリョンの”お涙頂戴”の別れのシーンです。人間の憎悪が渦巻く本作の中でも、母親は子供のためにひもじい思いをして、子供が成長して孫が出来れば口減らしのために姨捨山へ自ら進んで行こうとするのですから、母親が子供を思う気持ちだけが純粋な愛情なのかもしれません。ただ、グリョンが山頂を立ち去った後、クムが大鷲に襲われ、内蔵を引きちぎられ、白骨化するところまで見せるのだから・・・”お涙頂戴”の余韻さえも、掻き消されてしまいます。


クムの命がけの祈りのおかげで、村は豪雨になります。そしてグリョンは、ムーダンの予言どおり雷雨の中で兄弟たちを皆殺しにしていくのです。一度は家族の一員であったと命乞いする兄弟たちを、慈悲なくオノで惨殺していく・・・長年の”恨み”を晴らしていくカオス炸裂の壮絶スプラッターシーンであります。ただ、兄弟たちを全員殺した後、広場に戻ってみると、カンナニはすでに首吊りに処されていたのです。すべては占い師ムーダンに信じ込まされてきた迷信が、”恨み”の根源だと悟ったグリョンは、村のシンボルである神木を切り倒し、占い師ムーダンも殺してしまいます。そして、残されたカンナンの子供たちと共に畑を耕して生きていく・・・とグリョンが決意するところで本作は終わるのです。


「高麗葬」は「楢山節考」と似た物語ながら、メロドラチックに”母子愛”を描くのではなく・・・”因縁”や”怨恨”に満ちたシェークスピアの”復讐劇”のようです。ただ、どこかの王国の貴族たちが繰り広げる”悲劇”ではなく、最底辺の人間の醜い部分をえぐり出すエピソードや台詞を濃厚に積み重ねていくという、さすが”キム・ギヨン監督”らしい・・・なんとも”下衆い”一作となっているのであります。

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キム・ギヨン監督(金綺泳/Kim Ki-young/김기영)のフィルモグラフィー


1955「屍の箱」(주검의 상자)
1955「陽山道」(양산도)
1956「鳳仙花」(봉선화)
1957「女性前線」(여성전선)
1957「黄昏列車」(황혼열차)
1958「初雪」(초설)
1959「十代の抵抗」(10대의 반항)
1960「悲しき牧歌」(슬픈 목가)
1960「下女」(하녀)
1961「玄界灘は知っている」(현해탄은 알고 있다)
1963「高麗葬」(고려장)
1964「アスファルト」(아스팔트)
1966「兵士は死後も語る」(병사는 죽어서 말한다)
1968「女(オムニバスの一篇)」(여)
1969「美女、ミス洪」(미녀홍낭자)
1969「レンの哀歌」(렌의 애가)
1971「火女」(화녀)
1972「蟲女」(충녀)
1974「破戒」(파계)
1975「肉体の約束」(육체의 약속)
1976「血肉愛」(혈육애)
1977「異魚島」(이어도)
1978「土」(흙)
1978「殺人蝶を追う女」(살인나비를 쫓는 여자)
1979「水女」(수녀)
1979「ヌミ」(느미)
1981「潘金蓮」(반금련)
1982「火女 82」(화녀'82
1982「自由の乙女」(자유처녀)
1984「馬鹿狩り」(바보사냥)
1984「肉体動物」(육식동물)
1995「死んでもいい経験」(죽어도 좋은 경험)

「高麗葬」
原題/고려장
1963年/韓国
監督&脚本:キム・ギヨン
出演   :キム・ジンギュ、チュ・ジュンニョ、キム・ポエ、ジョン・オク


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1 件のコメント:

  1. この映画のラストの階段の構図は、楳図かずおのおろちの第1話姉妹のラストシーンと酷似してますよ。チェックしてみて下さい。

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