2014/03/29

濃厚なレズビアンセックスシーンにドン引き?・・・シンプルなガール・ミーツ・ガールの”アデルの恋の物語”が、これほど切ないとは!~「アデル、ブルーは熱い色/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2」~



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カンヌ映画祭では、毎年、違う映画関係者(監督、俳優など)が審査委員長を努めるということもあり、パルムドール賞(グランプリ)に選ばれる作風も審査委員によって左右されているといわれます。例えば・・・リュック・ベッソン監督が審査委員長だった時のグランプリが「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、クエンティン.タランティーノ監督の時は「華氏911」、イザベル・ユペールは「白いリボン」、ロバート・デ.ニーロは「ツリー・オブ・ライフ」という具合です。第66回カンヌ映画祭(2013年度)の審査委員長が、父と子をテーマとした作品が多いスティーヴン・スピルバーグ監督ということもあって、是枝裕和監督の「そして父になる」が受賞するのではと期待されましたが・・・フタを開けてみたら、濃厚なレズビアンセックスシーンが話題となったアブデラティフ・ケンシュ監督の「アデル、ブルーは熱い色/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2が、パルムドール賞を受賞しました。それも監督だけでなく、主演のアデル・エグザルホプロスとレア・セドゥも受賞という異例の扱いだったのです。

ゲイのボクにとって、濃厚なレズビアンセックスシーンがある映画というのは、同性愛を扱っているからといっても、正直、それほど積極的に観たい作品ではありません。それも、性器の模型(?)まで作成して、写実的なセックスシーンの再現にこだわったというのだから「勘弁してよ~」です。ある意味・・・恐いもの見たさ(?)の気持ちで、ボクは「アデル、ブルーは熱い色」を観たのでした。


本作は、恋愛映画としては異様に長い3時間という上映時間なのですが、物語自体はガール・ミーツ・ガールのシンプルなラブストリーであります。ただ、多くのカメラワークは顔のクローズアップという独特のスタイル・・・圧迫感さえ感じるほどの近距離で、登場人物たちの細かな表情を追うことで、赤裸裸に心の内を浮き彫りにしているのです。その場にカメラがあることを意識しないようなフットワークの軽いカメラアングルでありながら、本作のテーマカラーである”ブルー”の色がフレームのどこかに入り込むという・・・完璧に計算し尽くされた画面になっているのも特徴と言えるでしょう。

アデル(アデル・エグザルホプロス)は、文学好きの女子高校生・・・イケメンのボーイフレンドにカラダを許してしまうものの、何かが違うと感じています。オナニーの時、街で見かけたブルーの髪をした女性を妄想したりしてしまうアデル・・・結局、ボーイフレンドとは煮え切らないまま別れてしまうのです。ある日、ゲイのクラスメイトに連れられて入ったゲイバーで、アデルはブルーの髪をした美術大学生のエマ(レア・セドゥ)と遂に会話を交わすことになります。

翌日、アデルの通う高校前に現れたエマ・・・見た目からして明らかにレズビアンのエマと連れ添って帰るアデルは、クラスメイトの女子からレズビアンの疑いをかけられてしまうのです。レズビアンであることを必死に否定して、摑み合いの喧嘩になってしまうアデル・・・同性愛に寛容というイメージのあるフランスですが、高校生にとってカミングアウトすることは、まだまだ勇気のいることなのかもしれません。

エマに一目惚れしてしまった”レズビアン初体験”のアデルの思いは、一度弾けたら歯止めが利かず、二人は肉体的に結ばれることとなります。ここでのセックスシーンは、これでもかというほど長くて濃厚・・・知らなくてもいいレズビアンセックスの四十八手(?)を見せられたような気がします。ハーココアポルノのような性器のドアップというのは、さすがにありませんでしたが・・・性行為に没頭する二人の息づかいが妙に生々しくて、観ている方が恥ずかしくなるぐらいです。


レズビアンのセックスシーンにありがちの”甘美さ”の表現というのは、部外者(レズビアン以外)のために映像的に”美化”されていていたのだと思えてしまうほど・・・本作のような描写こそが、多くのレズビアンにとっての「ふつうのセックス」なのかもしれません。「恋愛」は心と心の結びつきである「恋」であると同時に、肉体的な結びつきの「性」でもあるわけで、異性愛、同性愛関係なく「好き」という感情の先には、動物的な肉体の求め合いなのです。そして「愛」は肉体の結びつきでしか確かめられないこともある・・・ということを描くためにも、本作の濃厚なレズビアンセックスシーンというのは、絶対に必要なのであります!

毎晩ミートソーススパゲティを食べるような家庭に育ったアデルと、殻付きの生ガキを自宅で食べるような家庭で育ったエマ・・・数年後(映画ではワンカットで切り替わる)同棲を始めるのですが、二人の生きる世界の違いが徐々に明らかとなっていきます。いかにも美大生っぽいブルーの髪からナチュラルカラーになっていますが、エマは新進気鋭の画家として野心的です。ホームパーティーも、力のある画廊のオーナーと親しくなるためでした。

一方、子供好きなアデルは、エマから文才を生かして小説を書くように奨められていながらも、普通の小学校の先生として職を得て満足しています。エマの開催するホームパーティーでは、アデルはもっぱら食事の給仕役・・・エマの友人らの交わすアート関係の文化的な会話にはついていけません。恋人の友人のサークルに入っていけないのは、どことなく淋しいもの・・・エマと親しげにしている女性のことを、アデルはエマの元彼女ではないかと勘ぐって嫉妬してしまいます。

行動や表情の一挙一動を追ってしまうことで、ますます不安と疑いが生まれてしまう・・・そんなアデルの「恋愛弱者」としての悪循環は、誰もが一度は経験したことのある”苦い恋”を思い起こさせます。自分の芸術表現と画廊とのビジネスの狭間で葛藤するエマに対して、アデルは何ひとつ気の利いた言葉をかけることはできません。生きてきた世界が違う二人に埋められない溝は、アデルに”淋しさ”を感じさせ・・・その”淋しさ”から逃れるために、アデルは絶対してはいけない”過ち”を犯してしまうのです。

こっっからネタバレを含みます。


同僚に誘われて出向いたナイトクラブで、アデルは同僚の男性と踊ったり飲んだりしているうちに、その男性と抱き合ってキスしてしまいます。そして、アデルは数回、その男性とエッチしてしまったようなのです。(映画ではハッキリとは描かれていませんが・・・)レズビアンの女性には、男性ともエッチできる”バイセクシュアル”なタイプと、男性は生理的に無理という生粋(?)のタイプがいるように思います。アデルは、女性との性的関係はエマとしかありません。エマとの関係に行き詰まった時、揺れ動く気持ちが男性に向かってしまうのも頷けるところがあります。しかし、エマにとって男性と性的な関係を持つことは、売女的な行為のなにものでもなく、絶対的なタブーなのです。

ある夜、男性の車で送られて帰宅したアデルに、エマはアデルが男性と浮気していることを確信します。涙ながらに弁解を試みるアデルの言葉に耳を傾けることなしに、アデルを家から追い出してしまうのです。目の前の世界のすべてが崩れていくような絶望的な失恋の気持ちを・・・自分を傷つけない手段”だけ”は覚えてしまったボクは、すっかり忘れてしまっていたような気がします。

それから日々が経ち、カフェで再会するアデルとエマ。肉体的な結びつきを呼び起こそうとするアデルの痛々しさは、濃厚なレズビアンセックスシーンがあったからこそ。しかし、すでに新しい恋人がいるエマは、二人の関係が、もう元には戻らないことを改めて伝えるのです。別れを告げられた(振られた)側は、もしかすると復縁できるかもしれない・・・と、希望を持ってしまいがちですが、別れを決めた(振った)側にとっては、すでに終わった過去。もう二度と同じ関係に戻ることはできないのです。

さらに数年後(?)エマは念願の画廊で展覧会のオープニングパーティーで、アデルとエマは再会します。元彼女としての立場は、アデルにとって決して心地よいものではありません。今度こそ、過去を吹っ切るようにアデルはひとり画廊を後にします。その足取りは淋しげではあるけど(ボクも含めて)「愛」を失ったことのある誰もが通過してきた道。シンプルなガール・ミーツ・ガールの「アデルの恋の物語」だからこそ・・・切なく胸を締めつけるのです。

「アデル、ブルーは熱い色」
原題/La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2
2013年/フランス
監督 : アブデラティフ・ケンシュ
脚本 : アブデラティフ・ケンシュ、ガリア・ラクロワ
出演 : アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ
2013年10月15日東京国際映画祭にて上映
2014年4月5日より日本劇場公開


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2014/03/21

アメリカ超低俗番組「ジャッカス」からの最新スピンオフ・・・一般人を巻き込む”どっきりカメラ”のサイテー映画と思いきや?~「ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中/Jackass Presents Bad Grandpa」~



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今年のアカデミー賞ノミネートのサプライズは「ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中/Jackass Presents Bad Grandpa」のノミネートかもしれません。とは言っても、作品賞や演技賞などのメインではなく”ベストメイク賞”ではあり、当然、受賞は逃したわけでが。ただ、投票権をもつアカデミーの会員も、この映画もしっかり観賞するかと思うと、ある意味”快挙”と言えるかもしれません。

アメリカのケーブルテレビ「MTV」制作の番組のなかでも悪名高き「ジャッカス/Jackass 」・・・ジョニー・ノックスヴィルを中心にしたメンバーが体を張った過激なイタズラをする内容で「どっきりカメラ」の要素もあるという典型的な「おバカ番組」であります。番組内の行為を真似して死者が出るなど社会問題になりながらも、3シーズン終了後にはスパイク.ジョーンズ監督(マルコビッチの穴、her/世界でひとつの彼女)が製作総指揮を勤める映画3作が作られるほどでしたが・・・「YOU TUBE」の台頭によってJackass風の映像のインパクトが薄れていったところは拭えません。そこで、サシャ・バレン・コーエン(ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習、ブルーノ)の一般人のリアクションを楽しむ”どっきりカメラ”と、フィクションのコメディを融合したスタイルをパクった(オマージュ?)のが、本作「ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中」であります。

46年連れ添った妻エリーを亡くしたアーヴィング(ジョニー・ノックスヴィル)は、刑務所に戻らなければならなくなった娘キミーの8歳の息子ビリー(ジャクソン・ニコル)を、ノースカロライナのビリーの父親チャック(グレッグ・ハリス)に送り届けることになります。エロじじいのアーヴィングを演じるのは、”86歳の”に変身したジョニー・ノックスヴィル(現43歳)・・・さすが、映像だけでなく、実際に会った一般人を騙せただけの見事な特殊メイクであります。本作の内容はともかく、メイクではアカデミー賞ノミネートというのも納得です。8歳の孫を演じるジャクソン・ニコルは、こまっしゃくれた肥満気味の男の子で、ジャッカス的な下品な悪のりも”お手ものというなかなか芸達者・・・この子なしでは、本作は成り立たなかったでしょう。


どっきりの対象は彼らが道中で出会う”一般人”で、仕掛けるイタズラは悪ふざけなものばか。生々しいリアクションからは、アメリカ人の”頭の悪さ”や”人の良さ”が垣間みれますが、サシャ・バレン・コーエンのような政治的な毒はありません。”チンコ””ウンコ”に笑いが止まらない小学生レベルのイタズラなのです。ただ、その”頭の悪さ”に苦笑してしまうという愛すべき面白さに溢れています。特に、ボクのお気に入りの酷いシークエンスは、ダイナーでアーヴィングとビリーが”おならごっこ”をしているうちに、エスカレートしてアーヴィングが壁に”ウンチ”をぶっぱなしてしまうところ・・・知能指数が急降下してしまうほど、頭を抱えて笑ってしまいました。

どっきりを仕掛けるだけで終わっていたら「ジャッカス」の延長でしかなかったのですが、本作はアーヴィングとビリーというキャラクターの”フィクションの物語”を追いながら、一般人への”どっきりカメラ”という嘘と現実が入り交じっている奇妙な映画・・・一度はビリーを父親のチャックに送り届けた後、アーヴィングがビリーを取り戻しにいくシーンでは、一般人のリアルな真実のリアクションが、虚構の物語に妙な感動を生んでしまっているのです。何故か、ビリーの引き渡し場所に指定されているのが、ガーディアン・オブ・チルドレンという虐待された子供たちを助けることを使命としている「バイク野郎」の集団のたまり場。子供の養育のために受け取る月600ドルだけが目的としている父親のチャックは、彼らが最も憎むべき相手・・・ビリーをアーヴィングに渡さないように暴れ始めるチャックの腕を、イカツイ男たちはマジで締め上げ始めるのです!チャックを演じるグレッグ・ハリスは「腕の骨が折られると本当に思った」というほど怯えてしまったそうで・・・こうなると、どっきりを仕掛けられているのが一般人なのか、虚構のキャラクターを演じている出演者なのか分かりません。

そして、この「マジでやばい!」感じこそが「ジャッカス」の真骨頂でもあるわけで、「ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中」は、まぎれもない「ジャッカス」映画であるのです。


「ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中」
原題/Jackass Presents Bad Grandpa
2013年/アメリカ
監督 : ジェフ・トレメイン
脚本 : ジョニー・ノックスヴィル、スパイク・ジョーンズ、ジェフ・トレメイン
出演 : ジョニー・ノックスヴィル、ジャクソン・ニコル、グレッグ・ハリス、ジョージナ・ケイツ、スパイク・ジョーンズ
2014年3月29日より日本劇場公開

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2014/03/15

スティーヴ・マックイーン監督が黒人監督として初のアカデミー作品賞受賞!・・・”被害者”から歴史を描く流れは、改めて”加害者”に罪を問うことになるかもしれない!?~「ハンガー/Hunger」「それでも夜は明ける/12 Years a Slave」~



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往年のハリウッド・アクション俳優と同じ名前をもつイギリス人映画監督、スティーヴ・マックイーンの作品を初めて観たのは、今から約4年ほど前のこと・・・アメリカのアマゾンでクライテリオン(Criterion)社から発売された「ハンガー/Hunger」のブルーレイを購入した時です。当時、超円高で日本で映画館入場料よりも安く新作映画のDVDやブルーレイを買えることもあり、ちょっと気になった作品は、映画の内容についても殆ど知らなくてもショッピングカートに入れていたのでした。まだ、マイケル・ファスビンダーも無名に近く・・・「ハンガー」という作品については刑務所でのハンガーストライキを描いた作品という程度の知識しか、ボクにはありませんでした。

1981年、当時のイギリス首相だったマッガレット・サッチャーが、IRA(アイルランド共和軍)の囚人たちを”政治犯”として扱わない(普通の犯罪者と同じく囚人服を着なければならないとか)という強硬姿勢を打ち出したことに対して抗議するために、ブランケット・プロテスト(囚人服を拒否して不潔な毛布をかぶる)や、ダーティー・プロテスト(尿を廊下に流す、大便を壁になすりつける)を行ないます。しかし、抗議活動は受け入れられることもなく、当時26歳のIRAメンバーだったボビー・サンズは、自虐的なハンガー・ストライキを決意・・・66日後に餓死してしまうのです。

本作「ハンガー」は、刑務所の監視員の淡々した・・・しかし、常に暗殺されるかもしれないという日常生活、そして、囚人たちの抗議活動に対して抑制をしなければならない葛藤と、ボビー・サンズ(マイケル・ファスベンダー)が衰弱して餓死していく様子を、明確で映像言語を持った映像描写で描いていきます。本編中盤、ボビー・サンズが牧師にハンガー・ストライキを宣言する20数分のシーン以外、殆ど台詞がないのです。刑務所の監視員が行なう囚人たちへの暴力の描写には、一切容赦ありませんが、それぞれの立場の苦しみを観客に傍観させることにより、迫害されたIRAの囚人を擁護するような”政治映画”とは、まったく違う印象を与えています。ただ、ハンガー・ストライキという自虐的な手段を選んだボビー・サンズの最期を、まるで”聖人”の死のように表現しているところには、映像としては素晴らしいと感じながらも、釈然としないところがありました。

1980年代~90年代のハリウッド映画で”テロリスト”と言えば「IRA」ということもあり、ボク自身には少なからず「IRA」=「悪者」というステレオタイプを洗脳されていたところもあるのかもしれません。しかし、いかなる政治的な理由があるにしても、テロリスト活動を行なうグループの抗議を認めることは、ボクには難しいのです。本作で描かれている刑務所の監視員の暴力的な行為にしても・・・ダーティー・プロテストを行なっている囚人たちを散髪や入浴をさせたり、糞まみれの監獄を洗浄しなければならなかったからこそ。また、囚人たちの口内から肛門まで厳しくチェックしなければならなかったのは、面会時に禁じられた手紙のやり取りや差し入れを受け取っていたから。刑務所が一方的にルールを強要することは理不尽ですが、それに対しての抗議手段が”糞尿”というのは、とんでもない”嫌らがせ”・・・それに対応しなければならなかった監視員に、少なからず同情してしまうところもあるのです。

本作の映像としての力強さには感動をしながらも、IRAの行なった抗議活動に対して肯定的とも受け取れる表現には疑問を感じ・・・おそらく、アイルランド出身の映画監督マックイーンは典型的なアイリッシュの名字)による作品なんだろうと思いながら、特典映像のスティーヴ・マックイーン監督インタビューを観て、大変びっくり。本作のテーマから、ボクは監督は”アイルランド系の白人男性”と思い込んでいたのですが、映っていたのは髭面のイカツい黒人男性・・・彼がスティーヴ・マックイーン監督本人であることを認識するまで、かなり脳を働かせなければなりませんでした。そして、人種や肉体的特徴によるステレオタイプを、いかにボク自身が持っていたのかと思い知らされのです。その後、ネットで調べてみたら、彼は1999年にイギリスのターナー賞受賞歴もある”アーティスト”だということや、カリブ海のグラナダからの移民の子(アメリカ奴隷の子孫)としてロンドンで生まれ育ったことなどを知ったのでした。


スティーヴ・マックイーン監督の家庭環境や、どのような幼少期を過ごしたかは知りませんが、チェルシー・カレッジ・オブ・アート&デザインやゴールドスミス・カレッジに学び、在学中から映画製作を始めたということは、決して貧困家庭ではなかったことは想像出来ます。しかし、だからといってイギリス社会で人種差別を受けたことがないと言えば嘘になるでしょう。アート界と言うのは、金持ち白人(ユダヤ人)によって牛耳られている世界・・・ビデオ・インスタレーションのアーティストとして世界的に活動し、認められてきたことは、彼にとって”戦い”であったかもしれないのです。そんな彼が、11歳の頃にテレビで観たボビー・サンズのハンガー・ストライキのニュースに、並々ならぬ関心を抱いたというのは、迫害される”被害者側”の立場に強く共感したからのような気がしてなりません。

その後、スティーヴ・マックイーン監督は、再びマイケル・ファスベンダー主演で、セックス依存症の男性を描いた「シェイム」を2011年に監督・・・人種的な視点でのテーマ選びはしないのかと思っていたのですが、長編映画3作目で、真っ向からアメリカ黒人奴隷の迫害を描いた「それでも夜が明ける/12 Year a Slave」を監督することになります。ユダヤ系のスティーヴン・スピルバーグ監督は映画化権を手に入れてから、実際に「シンドラーのリスト」を製作するまで10年近く費やしました。これは、構想を温めていたこともありますが、1980年代前半「E.T.」や「レイダース/失われたアーク」で飛ぶトリを落とす勢いだった時に「ユダヤ系」映画監督というイメージを強く与えたくなかったことを、後に告白しています。迫害された側の人種の監督によって、その歴史を映画に描くことは、当事者だけでなく全世界的に大切なことではあるのですが、当事者に近い立場ゆえに加害者の罪を誇張してしまったり、事実ではないことまで捏造してしまう恐れもあるのです。例えば・・・ナチスのユダヤ人大量虐殺は、絶対悪による残酷ネタとして「あること」「ないこと」描かれてきたのですから。実際に起こった”事実”を見極めて描くというのは、年月が経てば経つほど難しくなることなのです。

最近ハリウッドでは、黒人監督による黒人迫害を描いた作品というのが、ある種のブームのようなところもあります。第86回アカデミー賞では監督賞は逃したものの、最も重要な作品賞を受賞・・・これは、黒人の映画監督の作品としては「初」のことだということ。「やっと、黒人の映画監督よって黒人の歴史が描かれる時代になり、アカデミー賞にも認められた!」とも言えるわけですが、この流れには不快感を感じている”白人層”というのは少なくはないようです。ニューヨーク批評家協会賞の授賞式では、監督賞を受賞してスピーチするスティーヴ・マックイーン監督に対して、人種別的な野次を浴びせたバカなジャーナリストがいたように、新たな人種の溝を深めていく可能性もあります。「拷問ポルノ」と罵る白人の映画批評家もいたという本作・・・現代アメリカ社会が、もみ消したい”負の歴史”の歴史認識を”被害者”側から検証するという方向になっていくのでしょうか?これは、中国や韓国から歴史認識や戦争責任を改めて追求される日本人が感じている不快感と、少し似ているのかもしれません。


「それでも夜が明ける」は、アメリカ北部で”自由黒人”として生活していた音楽家のソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)が拉致されて、12年間南部で奴隷として生きることを強いられたという自伝をもとにした作品で、解放されるまで家族の元に戻る希望を捨てない姿が感動的に描かれています。アメリカ奴隷の記録というのは、奴隷側が記録したものというのは、当然のことながら残っていません。何故なら、主人からの口頭による命令を理解する必要しかなかったので、文字の読み書きができることは稀なことだったからです。奴隷をすでに解放していた北部で生まれ教育を受けたソロモン・ノーサップだからこそ記録することができた”奇跡”と言えるでしょう。

本作で描かれるソロモン・ノーサップの元の生活というのは、経済的に比較的裕福(一軒家に住んでいる)で、白人社会の中で平等に扱われている(お店の亭主の態度など)なのですが・・・いくら奴隷解放している北部と言えども、当時としては非常に恵まれていた存在だったのだろうと推測します。彼の音楽家としての才能が、それだけ高く評価されていたということでしょう。ただ、白人社会で受け入れらて生活することは、黒人社会からは浮いた存在であったのかもしれないという疑念も感じさせます。外見は黒人だけど内面は白人みたいというのは、現在の黒人社会では疎まれる存在・・・本作の舞台である19世紀半ばに、ソロモン・ノーサップのような存在が、どのようなものであったのかは想像するしかありません。

ソロモン・ノーサップが拉致された後、奴隷として売られていく過程で受ける虐待には目を覆うしかありません。容赦ない鞭打ち、白人に歯向かった罰としての首吊り・・・彼が生死の境目を彷徨っている時にも、まるで彼自身の存在が”無”のように、普通に遊びはしゃいでいる子供の姿を同じフレームで捉えるカメラは、あまりにも残酷・・・正視できません。リアリティを追求した暴力描写の一方・・・本作では奴隷同士の会話が、まるでシャークスピア劇のような台詞回しというところには、正直、違和感を感じずにはいられませんでした。崇高な精神を表現しているのだとは思いますが・・・あの時代にありえなかった黒人奴隷の姿という映画的な妄想と、迫害の歴史をリアルに描こうとする意図が混在しているところはトリッキーに感じられました。

加害者であった白人側を単なる”悪者”として描かないのは巧みでした。奴隷オーナーであったウィリアム・フォード(ベネディクト・カンバーパッチ)にしても、奴隷を虐待する農園支配人のエドウィン・エップス(マイケル・ファスベンダー)にしても、奴隷制度というのは、それを利用していた白人側の精神も破壊していたということが描かれるのです。特に、密かに黒人奴隷のパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)を愛するエドウィン・エップスと、そんな二人に嫉妬するエドウィン・エップスの妻メアリー(サラ・ポールソン)の屈折した残忍性は「善と悪」「被害者と加害者」というだけでは言い切れない人間性を表しています。そして、被害者であった黒人奴隷が当時逆らうことが難しかったように、加害者であった白人にとっても、その時の社会の仕組みに逆らうことは難しかったのかもしれません。

奴隷にさせられてしまったソロモン・ノーサップが自主的にできることは、殆どなく・・・カナダ人のサミュエル・バス(ブラッド・ピット)の助けによって救われるまでの過酷な日々に耐えることだけだったのは”リアル”で、まさに運命に翻弄されたとしか言えません。12年間の奴隷生活から解放されて、北部に暮らす家族の元に戻れたという奇跡的な事実は感動的でありますが、それは涙の再会以上の驚きはありません。自由黒人としては北部に戻った彼が、その後、どのように再び社会に順応していったのかは想像するしかありませんが・・・冷静に奴隷生活の記録を残したということは、彼を迫害した同じ人種の白人を憎んだのではなく、自分の経験した不幸を超越した視点を持っていたと思えるのです。加害者が被害者に対して謝罪することは当然のことですが・・・被害者が加害者を「許す」なしには未来はありません。過去の事実を見つめ直すことが、加害者(白人社会)への罪の追求だけでなく・・・本当の意味で「許す」過程の一歩となることを祈るばかりであります。

韓国のパク・クネ大統領が「1000年経っても日本への”恨み”は忘れない」と訴えたように・・・自らを歴史的に迫害の”被害者”と感じる民族/人種にとって、年月によって”加害者”への”恨み”が消えるわけではないようです。逆に、時が経って国際的、経済的な立場が高くなるほど、過去を振り返って”恨み”が強くなっていくこともあるのかもしれません。そもそも、過去の出来事を今現在の”倫理観”で検証し直したら、許されるべきことではないことは当然です。また、「本当に何が起こったのか?」という歴史認識というのは、それぞれの立場によって違ってしまうのは仕方のないこと・・・”被害者”側の認識を押し付けるというのは、過去の”恨み”を生々しく再生させるだけで、双方に”落としどころ”のない不毛な要求のように思えます。

「それでも夜は明ける」の制作者のひとりであるブラッド・ピットのパートナーのアンジェリーナ・ジョリーの監督第二作目となる「Unbroken(原題)」は、日本軍の捕虜収容所に収容されて、日本兵から数々の虐待を受けたという実在のアメリカ兵の生涯を描いた作品・・・日本をバッシングをしたいわけではなく、戦争の愚かさを描くために選んだテーマなのだとは思いたいですが、空襲や原爆投下で焼け野原になったアメリカの敗戦国の日本が、第二次世界大戦の”加害者”として、改めて罪を問われる立場になってしまうことは避けれそうにもありません。

迫害を受けた”被害者”というのは過去に於いて”弱者”であったことは確かです。しかし、その”弱者”が”加害者”への罪を問い続けることが、過去の問題の解決なのでしょうか?”被害者”側から発信された歴史認識を100%受け入れることが「政治的に正しい」という今の世界的な流れが、ボクは少々怖く感じられることがあるのです。


「ハンガー 静かなる抵抗」
原題/Hunger
2008年/イギリス
監督 : スティーヴ・マックイーン
脚本 : スティーヴ・マックイーン、エンダ・ウォルシュ
出演 : マイケル・ファスベンダー、スチュアート・グラハム、リアム・カニングハム
2008年10月21日第21回東京国際映画祭にて上映
劇場未公開、DVD/Blu-ray発売


「それでも夜は明ける」
原題/12 Years a Slave
2013年/アメリカ、イギリス
監督 : スティーヴ・マックイーン
脚本 : ジョン・リドリー
出演 : キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーパッチ、ルピタ・ニョンゴ、サラ・ポールソン、ブラッド・ピット、ポール・ダノ、ポール・ジアマッティ、アルフレ・ウッダード
2014年3月7日より日本劇場公開


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