2015/07/29

カルト映画を意識し過ぎたシリーズ三部作最終章にて超駄作!・・・学芸会レベルの”怪演”とスベリまくりの”内輪ウケ狙い”~「ムカデ人間3/The Human Centipede 3 (Final Sequence)」~


ホラー映画のシリーズも3作目あたりになると”ポシャる”ことってアリガチです。1作目がヒットして、それを踏襲した続編となる2作目はソコソコ成功しても、3作目ともなるとネタ切れ感があったり、観客も飽きてしまったり・・・。「ムカデ人間」1作目の公開時から、トム・シックス監督は1作目では3人を繋げたムカデ人間が2作目では12人・・・3作目では500人というトンデモナイ「ムカデ人間」の三部作構想を明らかにしていたのですが、最終章となる3作目で、これほど見事なハズしっぷりとなるとは・・・。

「口と肛門を繋ぐ」という分かりやすく(?)インパクトのある”B級ホラー映画として「ムカデ人間」は世界中のファンの心を掴んだわけですが、それに続く2作目は、まさかの”メタ構造”で、エログロ描写は過激・・・1作目を笑って観ていたボクさえも血の気が引いてしまうほどの”トラウマ映画”だったのです。以前からトム・シックス監督は3作目は政治的な映画になると発言していましたが、風刺にもなっていません。また舞台をアメリカ中西部であろう砂漠地帯にある刑務所に移したのも失敗・・・東ヨーロッパを舞台にした「ホステル」が3作目にアメリカのラスベガスに舞台に移して失敗していましたが、同じ過ちを犯してしまったようです。

1作目で”ムカデ人間”をつくったハイター博士を演じたディーター・ラーザーが刑務所所長、2作目で「ムカデ人間」の映画を観てムカデ人間をつくってみたいと”妄想する”マーティンを演じたローレンス・R・ハーヴィーが刑務所所長の助手を演じています。前2作に主演している俳優が、本作で所長と助手を演じているというのは、ちょっと不自然・・・囚人の中には1作目でムカデ人間の先頭になっていた日本人の北村昭博がいたり、トム・シックス監督が自分の役で出演している「楽屋オチ」のファンサービスも、完全にスベってしまっているのです。

ディーター・ラーザとローレンス・R・ハーヴィーは、カルト映画らしい”怪演”を意識した結果、前2作でのハマりっぷりが嘘のような学芸会レベルの演技で空回りしてしまっています。役名も所長が「ボス」、助手が「バトラー」という名前というのも、ジョークにもなっていません。二人とも寡黙であることでカリスマ性のあるキャラクターを演じていたのとは真逆で、本作では非常に饒舌・・・本作の半分は刑務所の所長室での”会話劇”のようになっています。台詞での説明が過剰で、キャラクターの行動に何も意外性を感じさせないので、トラウマ感が皆無なのです。


「ムカデ人間3」は、やっぱりというか、再びの”メタ構造”・・・映画「ムカデ人間」と「ムカデ人間2」を観た助手が、所長に経費節約のために500人もの囚人達を繋いでムカデ人間にしようと提案する場面から本作は始まります。

ボスは「目には目を歯には歯をの100倍~!」と所長自ら囚人達を虐待していて・・・骨が露出するまで腕を捻ったり、顔にタオルをのせて熱湯をかけたり、ナイフで睾丸を切り取って去勢したりと、やりたい放題。そのくせ囚人達から「リスペクトがない!」と怒りまくって、銃を乱射しているというメチャクチャっぷり・・・トム・シックス監督にとっての「クレイジーなアメリカ人!」という描写なのかもしれませんが、何も脈略もなく狂っているだけ。唯一の女性キャラクターである秘書のデイジーに対してのセクハラっぷりは、フェミニストがブチ切れそうほど酷いモノですが、悪趣味という意味では、完全に想定内。エリック・ロバーツ演じる州知事が、囚人達をムカデ人間に改造することを「素晴らしい!」と容認するという展開は、政治的な風刺にさえなっていません。


見所のひとつであるはずのムカデ人間への改造手術の行程は、稚拙な方法になっています。1作目では頬とお尻の皮膚を三角形に切り取って縫い合わせるという手術を施していたのが、本作では唇と肛門の周りに糸を通して引っ張るだけ・・・これでは大便はダダ漏れになるのは確実。500人もの人間が口と肛門を縫い合わされた状態で、どうやって移動するのかにボクは興味があったのですが、そのような場面を描くことは一切なく・・・術後、いきなり運動場のような広い空間に、局部だけ穴の開いた囚人服を着せられた状態で、ムカデ人間となった500人が繋がっているというシーンに切り替わってしまいます。また、終身刑の囚人は、手足を切り取った上、口と肛門を繋げた「イモムシ人間」にさせられるいるのですが、これが画的に地味・・・本来であれば「なんてこった!」と驚愕すべきところなのでしょうが。


最後には、所長は完全に狂って(というか最初から狂いっぱなしではありますが)全員を殺害して、監視塔で奇声をあげながら、アメリカ国歌が流れてエンディングとなります。サプライズもなく、三部作の物語の着地点としては、なんとも消化不良な感じ。ボクが観たのはアメリカ版に先駆けて発売されたイギリス版のブルーレイなのですが、それには「もうひとつのエンディング」が収録されていて、こちらの方が全然良いのです。


全員を殺害して、アメリカ国歌が流れるところまでは同じなのですが・・・ここで、いきなり高速道路の脇に停められた車のシーンに変わります。実はこのシーンは「ムカデ人間」の1作目のオープニングシーン・・・車の中ではハイター博士が、口と肛門を繋げる実験をした愛犬たちの写真を見ながら、涙を流しています。”メタ構造”を繰り返してきた本シリーズにふさわしく、1作目の”ふりだし”に戻ることで、「ムカデ人間」の全ては妄想の産物だったというのが、最も妥当な”オチ”だったのではないでしょうか?

「ムカデ人間3」
原題/The Human Centipede 3 (Final Sequence)
2015年/アメリカ、オランダ
監督&脚本:トム・シックス
出演   :ディーター・ラーザー、ローレンス・R・ハーヴィー、エリック・ロバーツ、北村昭博、ブリー・オルソン、ロバート・ラサード、トミー・タイニー・リスター、トム・シックス
2015年8月22日より日本劇場公開



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2015/07/10

猟奇的シリアルキラーを弟視線で描いた思春期成長ムービーと過激なスピンオフのスプラッター・・・超低予算のインディーズと侮れない鬼レベルのトラウマ映画!~「FOUND ファウンド」「ヘッドレス(原題)/Headless」~



それほど予備知識もなく海外版の映画DVDを買うことが時々あるのですが・・・「なんじゃこりゃ?」のハズレ映画ということもあれば、アタリ映画ということもあります。

インディーズで短編を撮り続けていたスコット・シャーマー(Scott Schirmer)監督による初の長編作品「FOUND ファウンド」は、2012年に完成したのですが、北米で劇場上映され始めたのは2014年になってから・・・各地の映画祭で上映されて多くの受賞歴があるようですが、大々的に宣伝されることもありませんでた。おそらく、ボクはこの映画の事を海外のウェブサイトで知って、DVDを購入したのだと思うのですが・・・実際にDVDが届いた時には何故買ったのか忘れていて、いつの間にか大量のDVDの中に埋もれてしまったのでした。

先日、DVD整理をしている時に偶然みつけて(!)観賞してみたところ・・・(心構えをしていなかったこともあり)完全ノックアウトされてしまいました。また、劇中映画がスピンオフの長編映画「ヘッドレス(原題)/Headless 」として最近完成しており、製作会社の通販サイトでブレーレイが販売されているのを見つけて、即購入!「FOUND ファウンド」「ヘッドレス/Headless」の2作は、この「めのおかしブログ」で書いた数々のトラウマ映画を凌駕する作品だったのです!!!

「FOUND ファウンド」の舞台は1980年代(レンタルビデオ屋がアメリカに普及した80年代半ば頃でしょうか?)・・・田舎町の中流住宅地(典型的なアメリカ)で、両親と兄と暮らす11歳の少年マーティ(ギャビン・ブラウン)の視点によって描かれて・・・「スタンド・バイ・ミー」と「悪魔のいけにえ」を足して割ったような作品となっています。


「兄はクローゼットに”人間の生首”を隠している」・・・という、不気味なモノローグで始まる本作。鍵っ子のマーティは自宅に一人きりの時、家の中を物色して家族の秘密を見つけて遊んでいます。母親(フィリス・ムンロー)は昔ボーイフレンドからもらったラブレターをベットの下に保管いるし、父親(ルーイ・ローレス)は巨乳のヌードモデルの雑誌を車庫のダンボール箱に隠しています。そして、兄のスティーブ(イーサン・フィルべック)はクローゼットのボーリングバッグの中に”人間の生首”を隠しているのです。多くは黒人女性で数日後には別な生首に変わっています。兄の留守を見計らっては、生首を取り出して眺めたりすることがマーティの日課なのです。


ホラー好きのマーティは変わり者として学校ではイジメられっ子・・・特に、ガキ大将的存在の黒人同級生マーカス(エドワード・ジャクソン)からは「チンコが小さい」とか「こいつはホモ」などと言われっぱなしで殴られっぱなし・・・しかし、母親にはイジメの話はしません。両親との折り合いは悪いものの、兄はマーティにとっては、常に味方の頼もしい存在でもあり、弟思いの兄という兄弟愛はしっかりと感じられます。成長期にありがちな問題を抱えた普通のアメリカの家族の日常生活を少年の視点で淡々と描いていて、殺人や生首は孤独なマーティの妄想であって欲しい・・と思えてしまうほどです。


唯一の友達は、ホラー好きという共通の趣味をもつデビット(アレックス・コギン)・・・共作でグロテスクなグラフィックノベル(アメコミ)を描いています。ホラーグッズコレクターの廃屋のようなトレラーハウスで遊んだり、両親が留守の時にはマーティの自宅に遊びにきて、ホラー映画を観るのが二人の楽しみになっています。近所のビデオレンタル屋で見つけた「ヘッドレス(原題)/Headless」というビデオは、何故か中身のビデオテープだけが抜かれており、店員(原作者のトッド・リグニーがカメオ出演)いわく、盗まれたか紛失してしまったとのこと・・・ところが、自宅に帰って兄の持っているホラービデオのコレクションを物色してみると、そこには「ヘッドレス」のビデオがあるのです。


この「ヘッドレス」は架空の映画で、1978年に製作されたスプラッターフィルムという設定・・・ガイコツのマスクをかぶった男が、拉致した女性たちを殺害する”だけ”というプロットで、1970年代後半には確かにアリガチの映画・・・ただ、ゴア描写は当時のモノより過激かもしれません。乳房を切り落として血だらけの胸にむしゃぶりつくとか、仰向けで首を切り落として切り口から流れ出す大量の血をかぶるとか、スプーンで目玉をえぐり出し食べるなど、なかなかエグい描写ばかり。極めつけは、切り落とした首の切り口(!)に○ンコを挿入する「生首○ァック」・・・猟奇的な行為とセックスのリピドーが連動していているところは、不快極まりないです。


マーティは「ヘッドレス」を観て「この殺人鬼を兄は模倣しているのではないか?」と思います。いつしかマスクを外した殺人鬼は兄の顔になり、マーティは恐怖を感じて始めるのです。そんな様子みて、マーティがビビってると茶化すデビット・・・「本当に恐ろしいものを見せてやる」といって、マーティが持ってきたのは、クローゼットに隠されている兄の”ボーリングバッグ”であります。そして、中に入っているのは、マーティをイジメていた同級生マーカスの”生首”なのです。

”生首”のことをマーティが知っていたこと・・・さらに、デビットに見せてしまったことを、兄は激しく問い詰めます。そして、殺害の対象の殆どが黒人である理由が人種的な差別を匂わすところは、倫理的になんとも居心地悪いです。警察官の黒人に対する不当な暴力、人種差別の白人青年による黒人教会での殺戮など、人種問題を要因にした事件が続く昨今・・・本作が高い評価のわりに全米で大々的に公開されることがなかったのは、インディーズ映画という理由だけでなく、もしかすると殺人の動機が人種差別に由来という設定があるのかもしれません。

そんな兄も、マーティに対しては心優しく・・・誰にもマーティを傷つけさせないと改めて強く誓うのです。そして、イジメてくる奴には暴力で対抗しろと、マーティにアドバイスします。日曜日の教会学校では、同い年のトレバー(エイドリアン・コックス=サーモンド)から、しつこいイジメを受けるマーティ・・・兄の助言に従い、この時は猛反撃して、トレバーをボコボコにしてしまいます。自宅に戻って父親から激しく叱られているマーティをみた兄は、遂に父親に対して激しい暴力を振い、家を追い出されてしまうのです。

ここから「FOUND ファウンドネタバレを含みます。


その夜、兄が自宅に現れます。今夜だけ寝室を交換しろという兄に、何かが起こると直感したマーティは「両親を殺さないで!」と懇願するのですが、両親さえも自分やマーティを傷つける存在であると確信してしまった兄を止めることはできません。二人の会話を聞きつけて外に出てきた父親をスコップで殴り倒すと、兄は母親に襲いかかります。母親を性的に暴行しようとする兄を止めようとしたマーティは、口枷を装着された状態で、兄の寝室のベットに縛りつけられてしまうのです。


隣の寝室からは母親の泣き叫ぶ声が聞こえてきます。母親の名前を呼び続ける父親の悲痛な叫びも聞こえます。どうやら兄は母親をレイプしている様子・・・切断用の大きなナタを探しにマーティの前に姿を現した兄は、全裸にガスマスクという姿で、股間は凛々と勃起しているのですから。その後、母親の断末魔の叫び声・・・そして、拷問でもされているかのような悲鳴をあげながら、父親も殺されてしまったようです。


このシーンは画面に映されることは一切なく、両親の声とマーティの顔のアップ”のみ”・・・”近親相姦”と”親殺し”という映像を観客に想像するほうが、そのものを見せるよりも遥かに恐怖を感じさせるという絶妙な演出です。さらに、両親を殺した後、血だらけの兄がマーティの前に現れて「今は理解できないかもしれないけど感謝する時がくる。もう誰も傷つけたりしないから問題ないよ」と優しい言葉をかけるところは、血の気が引く恐怖であります。翌朝、兄は血まみれのまま家から出て行ってしまいます。本作一番のトラウマシーンは、エンディング直前に映される口枷をされたままベットに拘束されているマーティの姿です。切断された両親の生首とバラバラの遺体の中に、埋もれてしまっているのですから・・・。


劇中映画の「ヘッドレス」以外で、ゴア描写は最後のショットのみ・・・「衝撃のラスト」という宣伝文句は使い古された感がありますが「FOUND ファウンド」のエンディングは、本当に本当に衝撃的です。公表されている制作費は、わずか8000ドル(約100万円)・・・スタッフやキャストがノーギャラだとしても、驚くべき低予算で製作されています。アイディア次第でホラー映画には、まだまだ可能性があることを証明した作品と言えるでしょう。


「FOUND ファウンド」の中で劇中映画として登場する「ヘッドレス」は、DVDの特典映像として短編映画になっているのですが・・・スピンオフの長編映画として2015年に完成した「Headless/ヘッドレス」は、殺人鬼のキャラクター設定からインスパイアされた”もうひとつの物語”。「FOUND ファウンド」で特殊効果を担当していたアーサー・カリファー(Arthur Cullipher)が監督を務め、スプラッター映画マニアのネーサン・イーデルが脚本を担当したこともあり、劇中映画の「ヘッドレス」よりも、ゴア描写満載の”スプラッター映画”となっています。本作では、殺人鬼の幼少期から育んできた性的フェティッシュの全貌が明らかになるわけですが・・・これが、とんでもなくヘビーな内容でトラウマ確実です。

「1978年制作」という設定となっている「ヘッドレス/Headless」・・・本編の始まる前に架空の映画予告編があるところなどは、グラインドハウスムービーを意識してのこと。また、低予算映画であることを逆手にとって、1970年代後半に作られていたスナッフフィルムに似せた安っぽさ(とは言ってもゴア描写には手抜きなし!)もリアルです。また、ファラ・フォーセット風の女性の髪型や、ヒッピー崩れの男性のロン毛など、キャストの1970年後半感の再現度も高いです。


ガイコツのマスクをかぶった名前のない殺人鬼(シェーン・ベーズリー)は、町外れの廃屋のような一軒家に暮らしており、日課のように拉致してきた女性を殺害しています。乳房切り落とし、首斬り、血浴び、目玉食いという猟奇的な行為は「ファウンド/Found.」の劇中映画で、すでにお馴染み(!)・・・大量のバラバラ遺体に囲まれて行なわれる生首○ァックには、さすがに頭を抱えてドン引きです。快楽殺人の行為と幼少期のトラウマや性的なファンタジーをフラッシュバックして、彼の異様なフェティッシュを明らかにしていきます。快楽殺人のような猟奇的フェティッシュを持っている人にとっては・・・このようなシーンが”おかず”になったりするのでしょうか!?


殺人鬼が、どうやって生計を成り立たせているかは謎・・・目玉を食べるくらいなので、人肉を食べていたとしても驚きではありません。ただ、自家用のトラックを所有していて、ヒッチハイクで女性をピックアップしたり、夜中のローラースケート場に出かけて女性を拉致したりしているということは・・・ガソリンを買うぐらいのお金は必要ということ。まぁ、殺している人たちの持ち物から、お金を奪っているのかもしれませんが。

ここから「ヘッドレス/Headless」のネタバレを含みます。


殺人鬼が寝起きするのはペット用のケージ・・・それは、彼が子供の頃から閉じ込められていたモノ。母親は夫(彼の父親?)が家を出てしまったのは彼のせいだと責めていて、碌な食事も与えずケージの中に閉じ込めたまま。コミュニケーションも取らないため、彼は言葉を話す事さえできず・・・まるで、動物のように育ててられています。与えられる食べられるモノは、目の前でバラした小動物の生首で、その目玉は彼にとっては果実のようなもの・・・人間の目玉がご馳走というのも頷けます。いつしか、小動物の生き血を浴びせられたり、姉の小便をかけられることに、彼は恍惚感を覚えていくのです。


殺人鬼が快楽殺人を行なう時、必ず彼の側にいて残忍な行為に導くのは、彼にしか見えないガイコツ少年(ケイダン・ミラー)の存在・・・少年期の過酷な状況下で彼自身が生み出した自己肯定の”人格”であります。ガイコツ少年という人格を生み出したことにより、自我が解放できるようになったのかもしれません。やがて青年に成長して、自分を虐待してきた母親と姉を殺害するに至り・・・トラウマ体験から培われていた性的なフェティッシュを、湾曲させた形で”現実化”させていくことになっていくのです。


殺人鬼の”ミューズ”として登場するのは、真っ赤な分厚い唇を持った目や鼻のない”のっぺらぼう”という人間的な表情を一切感じさせない無人格な女性・・・殺人鬼は女性の生首や切断された遺体と戯れることにより、この”ミューズ”との性行為を妄想することができるのかもしれません。男性の性行為というものが、性的なフェティッシュや自分勝手な妄想によって支えられていることを考えると・・・猟奇的な行為も、妙に腑に落ちてしまうところがあったりします。それと同時に、殺人鬼の受けた虐待の傷の深さも理解できるところがあって、同情心さえ感じてしまうことに、観客は気色悪さを覚えるに違いありません。


スプラッター映画には、”お約束”というのがあります。たいした必然性もなく女性キャラクターが脱いだり、被害者の人間性のクソっぷりをわざわざ描いたりとか、エッチをしたキャラクターは行為の直後に殺されるとか、最後まで生き残るヒロイン(女性キャラ)がいるとか。本作では、基本的に女性キャラは全員殺される前に裸にされるし、上司であるピート(デーヴ・パーカー)のクソっぷりが描かれた後、仕事場のローラースケート場でベッツィー(エリー・チャーチ)とエッチをしていて殺されるのです。ヒロインのジェス(クリッシー・カーライル)は、生きたまま拉致されて、最後に生き残るのかと思いきや・・・「悪魔のいけにえ」にオマージュを捧げた食卓シーンの後、バッサリ殺されてしまいます。


殺人鬼は、今まで殺してきた女性の生首を食卓に保管しているのですが、その中には母親と姉の腐りかけた生首もあります。ベッツィーの遺体に姉の首を、ジェスの遺体に母親の首をのせて、家族の食卓を再現・・・画的には地獄図のようですが、彼が求めていたのは普通に食卓を囲む家族の姿だったのかもしれません。鍵に写る自らの姿を改めて見た殺人鬼は、一瞬”正気”を取り戻したのでしょうか・・・気が狂ったように自分の顔の皮を剥ぎ、頭蓋骨剥き出しの”ガイコツ男”になってしまうのです。快楽殺人を誘導するガイコツ少年の姿に近づくことにより、ガイコツ少年の人格が殺人鬼の人格を飲み込んでいく・・・いずれにしても虐待のトラウマから逃れる術などなく、救われない”闇”しかありません。


「FOUND ファウンド」
原題/Found.
2012年/アメリカ
監督&脚本 : スコット・シャーマー
原作&脚本 : トッド・リグニー
出演    : ギャビン・ブラウン、イーサン・フィルベック、フィリス・ムンロー、ルーイ・ローレス、アレックス・コギン、エドワード・ジャクソン、エイドリアン・コックス=サーモンド、シェーン・ベーズリー
2017年1月10日より「未体験ゾーンの映画たち 2017」ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開
2017年2月3日日本版DVDリリース


「ヘッドレス(原題)」
原題/Headless
2015年/アメリカ
監督 : アーサー・カリファー
脚本 : ネーサン・イーデル
出演 : シェーン・ベーズリー、クリッシー・カーライル、エリー・チャーチ、デーヴ・パーカー、ケイダン・ミラー、マット・キーリー、エミリー・ソルト・マックギー
日本劇場未公開


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